2025/03/16

2025年3月16日「聖なる道が開かれる」

 イザヤ35:1-10 
 35:1 荒野と、かわいた地とは楽しみ、
さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、
 35:2 さかんに花咲き、
かつ喜び楽しみ、かつ歌う。
これにレバノンの栄えが与えられ、
カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。
彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。
 35:3 あなたがたは弱った手を強くし、
よろめくひざを健やかにせよ。
 35:4 心おののく者に言え、
「強くあれ、恐れてはならない。
見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、
神の報いをもってこられる。
神は来て、あなたがたを救われる」と。
 35:5 その時、目しいの目は開かれ、
耳しいの耳はあけられる。
 35:6 その時、足なえは、しかのように飛び走り、
おしの舌は喜び歌う。
それは荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。
 35:7 焼けた砂は池となり、
かわいた地は水の源となり、
山犬の伏したすみかは、
葦、よしの茂りあう所となる。
 35:8 そこに大路があり、
その道は聖なる道ととなえられる。
汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、
愚かなる者はそこに迷い入ることはない。
 35:9 そこには、ししはおらず、
飢えた獣も、その道にのぼることはなく、
その所でこれに会うことはない。
ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。
 35:10 主にあがなわれた者は帰ってきて、
その頭に、とこしえの喜びをいただき、
歌うたいつつ、シオンに来る。
彼らは楽しみと喜びとを得、
悲しみと嘆きとは逃げ去る。

 聖書の国イスラエルは、雨の降る季節(冬)と雨の降らない季節(夏)で、一年が二つの季節に分かれます。その二つの季節の合間のごく短い期間に、花は一斉に開き、大地は一面の花畑に変わります。「さばくは喜びて花咲き…かつ喜び楽しみ、かつ歌う。」(:1-2)

 「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道3:1)このことを神の民は生活の中で体験し、人間の歴史にも時が定められていることを悟ります。花が開く一瞬の出来事の前に、長い忍従の時があること、そして忍従の後に喜びの季節が必ずやって来ることを、私たちも信仰によって期待し、待ち望むことができます。

 聖書は神の民に語りかけます。「あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。」(:3)「ぶどうの木から葉の落ちる」(イザヤ34:4)季節の後には、必ず新しい芽吹きの季節がやって来ます。「主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。」(:10)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)