7:44 わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。7:45 この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。7:46 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。7:47 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。7:48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、7:49 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。7:50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
「幕屋」とは、出エジプト時代の聖所、すなわちイスラエル人の礼拝場所でした(出エジプト25:8-9)。民が神の約束の地に向かって旅する間、神が民と一緒に旅をし、共に住まわれることを示すものでした。幕屋の最奥には十戒、すなわち神の戒めをあかしする板を納めた「あかしの箱」(出エジプト25:21-22)が納められました。
その後のイスラエル王国時代に、確立した王権のもとに堅固な宮(神殿)が建てられ、もはやモーセの時代のように移動する必要がなくなりました。しかし、堅固な宮は神の永遠の住まいではありませんでした。「しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。…ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。」(列王紀上8:27)
聖書の神は場所や物によって、まして人間の願いで固定できるものではありません。天地の造り主であられる神に祈りをささげられることを感謝しましょう。「われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。」(詩篇124:8)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)