哀歌5:15-225:15 われわれの心の喜びはやみ、踊りは悲しみに変り、5:16 われわれの冠はこうべから落ちた。わざわいなるかな、われわれは罪を犯したからである。5:17 このために、われわれの心は衰え、これらの事のために、われわれの目はくらくなった。5:18 シオンの山は荒れはて、山犬がその上を歩いているからである。5:19 しかし主よ、あなたはとこしえに統べ治められる。あなたの、み位は世々絶えることがない。5:20 なぜ、あなたはわれわれをながく忘れ、われわれを久しく捨ておかれるのですか。5:21 主よ、あなたに帰らせてください、われわれは帰ります。われわれの日を新たにして、いにしえの日のようにしてください。5:22 あなたは全くわれわれを捨てられたのですか、はなはだしく怒っていられるのですか。
「哀歌」は聖書の民イスラエルの「悲しみの歌」です。イスラエル人にとって最悪の経験の一つが、預言者エレミヤの時代の「バビロン捕囚」でした。イスラエル人は数々の苦難を経験して、神への賛美である詩篇とともに哀歌も今日まで歌い継いできました。
苦役の叫び(出エジプト2:23)から始まったイスラエルの祈りは、心からの訴えを含む歌にまで昇華しました(哀歌5章)。家も(:2)、家族も(:3)、資源も(:4)、自由も(:5)、ことごとく敵国に奪われてしまいました。日常生活だけでなく、祭りの踊りも絶えて、喪の儀式に変わり(:15)、民の心も衰え(:17)、最も尊い聖所が山犬の住みかに変わってしまいました(:18)。
しかし、イスラエルの民は消え失せませんでした。国を失えど、聖書の神への信仰を失わず(:19)、変わらない神にすがって自らを保ちました。「主よ、あなたに帰らせてください」(:21)との祈りに主は応え、イスラエルを回復されました。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」(ペテロ第一2:6)。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)