2024/03/31

賛美歌カラオケ・目次

※2024年3月31日公開

讃21テーマ曲名
7賛美ほめたたえよ力強き主を
24頌栄たたえよ主の
27頌栄父・子・聖霊の
40-6応答唱アーメン
63主の祈り天にいます父よ
78聖餐わが主よ、ここに集い
87神の小羊罪なき小羊
98就任式緑の牧場に
99教会主イエスよわれらの
101結婚命と光たもう神よ
156詩篇目を上げわたしは見る
157詩篇いざ語れ主の民よ
189聖書の歌ちいさいこどもの
210朝夕の歌来る朝ごとに
227創造主のまことは
230待降起きよと呼ぶ声
231待降久しく待ちにし
241待降来りたまえわれらの主よ
247降誕今こそ声あげ
248降誕エッサイの根より
249降誕おさなご主イエスよ
252降誕羊は眠れり
258降誕牧人羊を
259降誕急ぎきたれ、主にある民
260降誕いざ歌えいざ祝え
261降誕もろびとこぞりて
262降誕聞け天使の歌
265降誕天なる神には 
267降誕ああベツレヘムよ
268降誕朝日は昇りて
276降誕あかつきの空の美しい星よ
297受難栄えの主イエスの
298受難ああ主は誰がため
300受難十字架のもとに
303受難丘の上の主の十字架
306受難あなたもそこにいたのか
311受難血しおしたたる
325復活キリスト・イエスは
328復活たたかいは終わり
342聖霊神の霊よ今くだり
343聖霊聖霊よ降りて
351三位一体聖なる聖なる
355神の名主をほめよわが心
358神の名小羊をばほめたたえよ
361神の名この世はみな
377宗教改革神はわが砦
402宣教いとも尊き
403宣教聞けよ愛と真理の
404宣教あまつ真清水
434神の招き主よみもとに
436神の招き十字架の血に
443回心冠も天の座も
449救い千歳の岩よ
451救いくすしきみ恵み
458信頼信仰こそ旅路を
459信頼飼い主わが主よ
461信頼みめぐみ豊けき
463信頼わが行くみち
465信頼神ともにいまして
466信頼山路こえて
467信頼われらを導く
474希望わが身の望みは
482わが主イエスいとうるわし
483わが主イエスよ、ひたすら
484愛の主イエスは
493祈りいつくしみ深い
495祈り静けき祈りの
504服従主よみ手もて
513献身主は命を
530慰め主よ試み
532慰め安かれわが心よ
536戦いみ恵みを受けた今は
560社会主イエスにおいては
577神の国聞けよ主の民

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

イスラエルと日本の横穴墓

吉見百穴・玄室

「ここにはおられません。前から言っておられたように、
よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を
見てごらんなさい。」(マタイ28:6)

 十字架で死なれたイエス・キリストは、アリマタヤの金持ちのヨセフによって新しい墓に葬られました(マタイ27:57)。その墓は岩に横穴を掘って作られたもの(横穴墓)であり、遺体を収めた後、大きな石で墓穴をふさぎました(マタイ27:60)。このことはアリマタヤのヨセフの厚意によることでしたが、心ならずも「彼は富む者とともに葬られた」(イザヤ53:9)という聖書の言葉通りとなりました。当時の一般庶民の墓は横穴墓ではなく、土を掘って遺体を埋めるだけの簡素な土葬墓でした。

 横穴墓はイスラエル王国時代(BC1000~BC586)に盛んに作られ、後の時代には王国時代の横穴墓が再利用されました。内部には遺体を安置する棺台(ベンチ)が設けられて、遺体が骨化した後、集骨して奥の穴(リポジトリ)に収めました。このようにして、一つの横穴墓は何世代にもわたる家族墓として用いられました。墓はいわば死後の家とみなされ、日用品の副葬物も発掘されています。

 捕囚後の時代、ギリシャ文化(ヘレニズム)の影響でイスラエルの横穴墓が変化し、骨を一つの場所に集めるのではなく一人ずつ、あるいは近親者の骨ごとに骨壺(オシュアリ)に収めるようになりました。一説によれば、これはイスラエル人の復活信仰(イザヤ66:14)の現われであると言われています。

 日本では古墳時代後期に横穴墓が用いられました。イスラエルと時と場所は違いますが、多くの共通点を見出すことができます。いわゆる古墳と同じく横穴墓は権力者の墓ですが、古墳の主ほどの権力はなく、横穴墓の文化と共に中央から地方に派遣された役人レベルの墓であると見られています。日本の横穴墓も何世代もの家族が引き続いて利用し、集骨がなされ、また後の時代には火葬された骨が小さな骨壺に入れられて横穴墓に収められました。志村教会の近場では、赤羽台(東京都北区)、吹上(埼玉県和光市)、吉見百穴(埼玉県吉見町)などの発掘例を知ることができます。

 人類は普遍的に死後の世界を思い見ていることを、埋葬の文化からうかがうことができます。「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16:10-11)

参考資料:
長尾琢磨「第二神殿時代のユダヤ人埋葬に関する考古学的研究の課題」『史学第88号』三田史学会(2020年)
松崎元樹「東京の古墳を探る」吉川弘文館(2022年)

引用聖書:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳』2003年版

2024年3月31日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・328「たたかいは終わり」
聖書:マタイ28:1-7

もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。(マタイ28章6節)

 イエス・キリストは「安息日の前日」(マルコ15章42節)すなわち金曜日に十字架で死なれ、その日のうちに墓に葬られました。その墓は弟子の一人であるアリマタヤのヨセフが用意したものでした(マタイ27章57~60節)。
 イスラエル人は、神が週の「第七日」すなわち土曜日を「安息日」として天地創造のわざを休まれた(創世記2章3節)のにならい、安息日に一切の働きを休みます(出エジプト20章10節)。ところが、キリストを訴えた祭司長たちはわざわざその安息日にピラトに訴え出て、キリストの死体を持ち出されないように墓に番人を置き、墓石に封をしました(マタイ27章62~66節)。
 キリストの女性の弟子たちは、急な埋葬の後に改めて死体を丁寧に処置したくとも、おきてに従って安息日を休み、翌日すなわち日曜日の夜明け前に墓に行きました(マルコ16章1~2節)。しかし、そこで見たのはキリストの死体ではなく、抜け殻となった空の墓でした。御使いは彼女たちに「イエスが納められていた場所をごらんなさい」と告げました。
 イエス・キリストが復活されたことを証明することはできません。なぜなら、その証拠を私たちは目で見ることができないからです。しかし、復活しなかったと反証することもできません。なぜなら、その反証となるキリストの死体を見ることができないからです。それは、聖書の神が存在することを証明も反証もできないことに似ています。
 17世紀の科学者パスカルはこう言っています。「神は存在するか、しないかのいずれかだ。…きみはどちらに賭けるのか。…もし勝てば(神が存在すれば)、すべてを獲得する。」神の存在、キリストの復活は私たち人類の幸福のためです。キリストの呼びかけに聞き従いましょう。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28章29節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリストは私たちの先駆けとして復活されました(ピリピ3章10~11節)。そのことを祝うイースターの日、私たちにも復活の恵みを豊かに注いでください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

引用資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
パスカル「パンセ(中)」50-52頁、岩波文庫(2015年)

讃美歌21・328「たたかいは終わり」


ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

1)たたかいは終わり 主は死に勝たれた
主をほめたたえよ ハレルヤ

2)主は敵を破り 死はいま滅びた
高らかに歌え ハレルヤ

3)永遠のいのち われらにくださる
主を宣べ伝えよ ハレルヤ

4)すべての栄えは よみがえりの主に
よろこびたたえよ ハレルヤ

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年3月31日の聖書日課

(写真:カルガモ)

マタイ28:1-7
 28:1 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
 28:2 すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
 28:3 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
 28:4 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
 28:5 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
 28:6 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
 28:7 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/03/24

2024年3月24日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・311「血しおしたたる」
聖書:ヘブル10:19-25

わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ…(ヘブル10章19節)

 ヘブル人への手紙は、聖書の民であるイスラエル人、別名ヘブル人に宛てて、聖書(旧約聖書)を用いて神の御子イエス・キリストを説明する手紙です(ヘブル1章1~2節)。
 イスラエル人は、モーセを通して神の宮である聖所を与えられ、聖所の前で神に礼拝をささげました(出エジプト15章17節)。その地上の聖所は、天にある真の聖所の模型であり、キリストは真の聖所で仕える大祭司であるとヘブル書は教えています(ヘブル9章24~25節)。大祭司であるキリストはあわれみ深く、神の民を助けてくださいます(ヘブル2章17~18節)。
 地上の聖所には最も奥にある至聖所があり、大祭司が一年に一度しか入ることができませんでした。すなわち、聖所での礼拝では、神のみまえに簡単に近づくことができません(ヘブル9章1~9節)。大祭司が聖所に入るためには犠牲の血が必要です(ヘブル9章25節)。キリストは自らの血を用いて、すなわち十字架の死によって全人類の罪の清め(あがない)を成し遂げられました(ヘブル9章12節)。そのため、今日私たちはキリストへの信仰によって、はばかることなく神のみまえに近づくことができるのです(ヘブル10章19節)。
 キリストを信じクリスチャンになるとき、教会では水を用いた洗礼式が行われます。それもモーセ時代の聖所の型と同様、罪の清めを意味する型です(ヘブル10章22節)。その意義を踏まえて、教会の諸儀式も味わっていただきたいと願います。教会の営みに加わって神のみまえに行き、ご一緒に神の祝福に与りましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは聖書が示す出来事を通して、また教会で行われる様々な行事を通して、神ご自身が私たちを招いておられることを学びました。その意義を正しく理解することができ、私たちも神が賜る至福の恵みに豊かに与ることができますよう願い求めます。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・311「血しおしたたる」

1)血しおしたたる 主のみかしら
とげに刺されし 主のみかしら
悩みと恥に やつれし主の
痛ましきさま だれのためぞ

2)主の苦しみは わがためなり
われこそ罪に 死すべきなり
かかるわが身に 代わりましし
主のあわれみは いととうとし

3)慕わしき主よ わが牧者よ
はかり知られぬ 愛の泉
迷うこの身を たずねもとめ
導きましし 日ぞなつかしき

4)主よ 主のもとに 帰る日まで
十字架のかげに 立たせたまえ
かくも悩める 主をはなれて
われはいずこ 去り行くべき

5)なつかしき主よ はかり知れぬ
十字架の愛に いかに応えん
苦しみ悩む わが主のため
この身といのち すべて捧げん

6)死すべき者を あがなう主よ
十字架の光 見させたまえ
み傷をあおぎ み手によらば
いまわのときも 安けくあらん

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について