聖書:ヘブル10:19-25
わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ…(ヘブル10章19節)
ヘブル人への手紙は、聖書の民であるイスラエル人、別名ヘブル人に宛てて、聖書(旧約聖書)を用いて神の御子イエス・キリストを説明する手紙です(ヘブル1章1~2節)。
イスラエル人は、モーセを通して神の宮である聖所を与えられ、聖所の前で神に礼拝をささげました(出エジプト15章17節)。その地上の聖所は、天にある真の聖所の模型であり、キリストは真の聖所で仕える大祭司であるとヘブル書は教えています(ヘブル9章24~25節)。大祭司であるキリストはあわれみ深く、神の民を助けてくださいます(ヘブル2章17~18節)。
地上の聖所には最も奥にある至聖所があり、大祭司が一年に一度しか入ることができませんでした。すなわち、聖所での礼拝では、神のみまえに簡単に近づくことができません(ヘブル9章1~9節)。大祭司が聖所に入るためには犠牲の血が必要です(ヘブル9章25節)。キリストは自らの血を用いて、すなわち十字架の死によって全人類の罪の清め(あがない)を成し遂げられました(ヘブル9章12節)。そのため、今日私たちはキリストへの信仰によって、はばかることなく神のみまえに近づくことができるのです(ヘブル10章19節)。
キリストを信じクリスチャンになるとき、教会では水を用いた洗礼式が行われます。それもモーセ時代の聖所の型と同様、罪の清めを意味する型です(ヘブル10章22節)。その意義を踏まえて、教会の諸儀式も味わっていただきたいと願います。教会の営みに加わって神のみまえに行き、ご一緒に神の祝福に与りましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは聖書が示す出来事を通して、また教会で行われる様々な行事を通して、神ご自身が私たちを招いておられることを学びました。その意義を正しく理解することができ、私たちも神が賜る至福の恵みに豊かに与ることができますよう願い求めます。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)