2020/01/19
姉夫婦の救い(小嶋隆)
姉夫婦の救い 志村キリスト教会 小嶋隆
先日、地元の老人会の友人より、「小嶋さん、教会に行っていると聞いたけど…」と声を掛けられました。その方はこのように言われました。「実はうちの親戚で葬儀があって、教会でしたのよ。賛美歌を歌って、お祈りをして、聖書のお話しもよく理解できて、皆さんと一緒にアーメン、アーメンと言って、お別れしたのよ。」
その話を聞いて、私は天に召された姉夫婦のことを思い出しました。私の姉もクリスチャンの方の葬儀に行った先で、イエス様に出会いました。姉は私の手をしっかり握りしめ、「私の心の中に神様がストンと入り込んで来たのよ」と言ってくれました。以前の姉は、私の言葉にも頑なに心閉ざしていたのですが、神様は姉の心をいともたやすく打ち砕いて下さいました。姉は私にこう言ってくれました。「隆ちゃん。あんたの信じている神様は本当の神様だ。」あの時の姉の喜びに満たされた顔を忘れることができません。
その後、姉夫婦は病に倒れてしまいました。私の家から姉夫婦の家まで片道二時間以上もかかります。しかし、姉夫婦の地元にある橋本キリスト教会の牧師先生始め信徒の方々が姉夫婦を支えて下さり、また志村教会の兄弟姉妹も私を励まし、送り出して下さいました。そして、姉夫婦が入居する福祉施設、病院も、その他の必要な事柄をも備えられました。
そして、共に八十歳を過ぎてからの信仰でしたが、神様の深いあわれみに依り、姉夫婦共々信仰告白をして、滴礼の恵みに与る事が出来ました。それから召天までの四年間の出来事においても、橋本教会の兄弟姉妹が幾度も足を運んで下さり、祈り、慰め、支えて頂きました事を感謝いたします。
人はいつ、どの様な形で主イエス様に出会い、また信仰の恵みに依る事が出来るか、それぞれ違いがあります。しかし、「イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません」と、「難しい事は何一つなく、『ただ信ぜよ』と言って下さる神様に『はい、信じます』と答えるだけでいいのよ」と、伝えて行かなければなりません。
2020年1月19日3分メッセージ
ヨハネ1章45節、46節をお読みします。
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
この聖書の言葉に登場した人、ピリポは興奮した様子で知人のナタナエルに語りかけています。「私たちは聖書に記されている救世主に出会った!その人はナザレの町出身のイエスと言うんだ。」
イエスに出会ったのはピリポ一人だけではありませんでした。ほかの人はイエスについて、「私たちはキリストに出会った」と言っています(ヨハネ1章41節)。
ナタナエルはその話を疑うようにして言います。「ナザレの町から、キリストなんて大人物が出るはずがない。」その言葉にピリポは反論します。「実際にイエスの所に来て、キリストであるかどうか、見て確かめてみなさい!」
ナタナエルは疑いつつも、救世主であるキリストについては関心がありました。そのため、彼はピリポの勧めに従って、イエスに会いに行きました。その後、ナタナエルはイエスがキリストであることを認め、キリストの弟子となりました(ヨハネ1章49節)。
イエス・キリストは救いを期待する者に確かに応えて下さいます。キリストはさらに、「これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」と語っています(ヨハネ1章50節)。皆様もぜひ、ご自分の手で聖書を開き、イエスがキリストであるかどうかをご自分の目で見て確かめて下さい。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。イエス・キリストは「大きなことを、あなたは見る」と語られました。その言葉の通り、私たちの願いに応えて下さり、私たちがはっきりとキリストの救いの御業を見ることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/01/18
展望台から見る聖書 第一回 聖書を見渡してみよう
展望台に上ると、その下に広がる街全体を見渡すことができ、街の概略を知ることができます。聖書を街にたとえるなら、66の町々(旧約39巻+新約27巻)から構成される大都市を一つの視点から俯瞰することにより、その大都市を構成している町々をより良く理解することができるようになります。
聖書の各書巻はそれぞれ著者も執筆された年代も異なり、歴史・詩歌・手紙等、書かれた内容も違います。しかし、一つの視点、すなわち「神によって定められた救い主(キリスト)を通しての人間の救い」という観点から見れば、聖書は驚くほど調和があり、かつ歴史に根ざしたものであることに気づきます。また聖書には極めて多くの人物が登場しますが、中心人物は一人、イエス・キリストです(ルカ24:27)。
聖書は大きく分けると旧約聖書と新約聖書に分かれます。旧約は紀元前にヘブル語およびアラム語で書かれ、新約は紀元後にギリシャ語で書かれているように大きな違いはありますが、聖書は旧約・新約の二つで一つの書物です。両者は植物の芽(旧約)と花(新約)の関係にたとえることができます。すなわち旧約で与えられた神様の救いの約束のつぼみが、新約において開花し、成就したということです(マタイ5:17,18)。
参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社
展望台から見る聖書 第二回 創世記
「人間の救い」という主題は【神】【罪】【救い】という三つのポイントに分けることができます。創世記を三つのポイントにまとめると、以下の通りです。
(1)【神】は天と地を創造され、人間を創造された(創世記1~2章)。
(2)人間は自分の意思で【罪】を犯し、堕落した(創世記3章)。
(3)神は人間に【救い】の約束を与えられた(創世記3:15)。
この神が人間を救うという約束は、御子イエス・キリストによって実現しました(第一ヨハネ3:8)。
創世記は神により選ばれた人々(神の選び)について語っています。
最初の人アダムの子の中でセツが選ばれ、救い主の血筋となりました。セツの子孫からはノアが選ばれ、洪水から救い出されました。ノアの三人の息子の中ではセムが選ばれました(創世記4~11章)。
セムの子孫の中からはアブラハムが選ばれて神の民イスラエルの先祖となりました(創世記12:1~3)。このアブラハムからイスラエルの歴史が始まり、それ以前(創世記1~11章)は創世記の前置きと見ることができます。また聖書は、アブラハムが全人類に救いをもたらす福音を最初に聞いた人であると語っています(ガラテヤ3:8)。
アブラハムの子ではイサクが選ばれ、イサクの子ではヤコブが選ばれ、イスラエル十二部族の祖となります。十二部族の中ではユダが選ばれ、王の王であるイエス・キリストの部族となりました(創世記49:10)。
参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社
展望台から見る聖書 第三回 出エジプト記~申命記
エジプト時代のイスラエルの民は苦難を経験しましたが、それは神の救いの計画に則ったことでした。ヨセフに招かれてエジプトに入ることで、選ばれた家は飢饉から救われたのです(創世記45:7)。
エジプトでの苦難は、イスラエルが国家として誕生する「生みの苦しみ」となりました。苦難を通してイスラエルは、①本当の一致団結を得ました。②神の民としての純潔を守りました。③罪の自覚と救いへの渇望を得ました(出エジプト2:23-25)。④神こそ救い主であることを知りました。⑤国民として生活する手段を習得しました。
イスラエルがエジプトから救われた目的は、神に仕えるため(出エジプト3:12)、また全人類に仕えるため(創世記12:2,3)でした。そのため、神はイスラエルに律法を与えて教育し、神が支配する王国として整えられました(出エジプト19:5)。またイスラエルは神が住まわれる宮殿である幕屋(出エジプト25:8)での礼拝を通して、将来にメシヤによる救いが到来することを教えられました(第一ペテロ1:18-20)。
レビ記は神への礼拝の作法を教えています(レビ19:2)。民数記は神の救いの計画は人の失敗に妨げられず成就することを教えています(民数記14:20-23)。申命記は神の救いの計画は世代を超えて成就することを教えています(申命記34章)。
参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社
展望台から見る聖書 第四回 歴史書(ヨシュア記~エステル記)
神は全人類を救う使命を担わせるため、イスラエルを長い年月をかけて整えられました。イスラエルの歴史は召集(孤立)と派遣(離散)の二つの時代に分けることができます。
ヨシュア記の時代からソロモン王の時代(第一列王記10章)までは召集の時代です。イスラエルは神の恵みにより国土を与えられ、律法によって教育され、預言者が語った預言によって救いの希望を与えられました。その過程でイスラエルは他の民族からは区別され、孤立していきました。
ソロモン王の時代(第一列王記11章)からバビロン捕囚の時代(エズラ記~エステル記)までは派遣の時代です。イスラエルは神の御前に悪とされることを行った結果、国家としての力を徐々に失い、度々他国に攻められて敗北し、民が捕囚となって離散していきました。しかし、異教世界に置かれたイスラエルの民はその土地で神に立ち返り、異教徒に福音を伝える世界宣教の端が開かれました。彼らはその土地で現在の教会の前身にあたる会堂(シナゴーグ)に集まり礼拝しました。その後、神の預言の約束通り(ダニエル9:2)イスラエルの民は帰還を果たし、偶像礼拝を捨てて神殿礼拝を回復しました。帰還した民は律法に従って生活することを志し、律法を教える祭司が支配的な立場を占めるようになりました。
参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社
展望台から見る聖書 第五回 詩書(ヨブ記~雅歌)
旧約聖書の全39巻を配列順に区分すると、次の四つに分類することができます。①律法(創世記~申命記)、②歴史書(ヨシュア記~エステル記)、③詩書(ヨブ記~雅歌)、④預言書(イザヤ書~マラキ書)。このうちの詩歌書はその文体の性質から、イスラエルの民の心情を表現していると言えます。
ヨブ記は、正しい人ヨブ(ヨブ1:1)の苦悩を記しており、「なぜ正しい者が悩むのか」を問いかけています。
詩篇はイスラエルの賛美集です。その中には証しがあり、祈りがあり、賛美の言葉があり、さらに人間の救いに関わる預言の言葉も含まれています。
箴言は、イスラエルの諺集です。イスラエルの長い歴史の中で人々が神に祈りつつ生活し、答えとして得た具体的な生活の知恵がまとめられています。
伝道者の書は、別名で「伝道の書」、「コヘレトの言葉」とも言われる書巻です。伝道者(伝道1:1)が人生の様々な経験を通して得た答えは、「神を恐れよ、神の命令を守れ」(伝道12:13)ということでした。
雅歌は、男女の愛を高らかに歌った「歌の中の歌」(雅歌1:1)です。神によって祝福された愛は「死のように強く」、また「大水もその愛を消すことができません」(雅歌8:6,7)。
参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社
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