2023/09/10

2023年9月10日の聖書日課

(写真:ツリフネソウ)

ルカ6:35-38
 6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
 6:36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
 6:37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
 6:38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/09/03

主の祈り(5)日用の糧を与えたまえ

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。(マタイ6章11節)

 主の祈りで天からの祝福を求めた後、地上に住む私たちの願いとして「日用の糧」を求めるように教えられています。私たちは毎日働き、生活の糧を得て、それを食べて生きています。「日用の糧」のためには当然、そのための働きも必要となります。神は人に対して、人として生きていくために必要なすべてを備えられ、日々の働きの場と、働く力、助けをも与えてくださいます(創世記2章)。
 また「日ごとの食物」のための祈りを、「きょうも」毎日祈るべきことを教えています。私たちは不足することが無いためだけでなく、持て余してしまうことの無いようにも祈るべきです(箴言30章8~9節)。約束の地を目指したイスラエルの民は、毎日天のパンを与えられ、毎日働いてパンを集めるように教えられ、訓練されました(出エジプト16章18節)。
 私たちは日用の糧を求めつつ、日用の糧のために煩わされないように生きるよう導かれています。聖書の神は私たちのすべての必要をご存じであり、私たちに日ごとの糧と働きを十分に備えてくださいます。「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6章34節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年9月3日の聖書日課

(写真:ツルボ)

箴言30:4-9
 30:4 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、
風をこぶしの中に集めたのはだれか、
水を着物に包んだのはだれか、
地のすべての限界を定めた者はだれか、
その名は何か、その子の名は何か、
あなたは確かにそれを知っている。
 30:5 神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。
 30:6 その言葉に付け加えてはならない、
彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
 30:7 わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
 30:8 うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
 30:9 飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/27

主の祈り(4)みこころをなさせたまえ

みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。(マタイ6章10節)

 聖書の神の「御名」、「御国」、「みこころ」を求める祈りを続けてきました。「天にまします」神が、地に住む私たちに近づいて来るようです。まさにそのことを求めて、「天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。
 主の祈りが教えているのは、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6章33節)ということです。それは、地に属する様々な物事は、天国の後に「すべて添えて与えられる」と約束されているからです。
 このように、「まだ見ていない事実を確認すること」が信仰です(ヘブル11章1節)。聖書は、目で見てわかること、自然の成り行きについては、目には見えない「神の国」の後に来るものだと教えています。
 「目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。」(ローマ8章24節)私たちが現に見て、心に思い描く世界は、人の限界を超えることはできません。しかし、神の「みこころ」を求めるなら、私たちの思いを超えた世界が現れてきます。私たちの日常にも神のみこころを求めてまいりましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月27日の聖書日課

(写真:トロロアオイ)

ヘブル11:1-6
 11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
 11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
 11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。
 11:5 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/20

主の祈り(3)御国を来らせたまえ

御国が来ますように。(マタイ6章10節)

 イエス・キリストはしばしば「神の国(天国)」について教えられました(マタイ13章31節)。宣教開始の第一声も「悔い改めよ、天国は近づいた」でした(マタイ4章17節)。いわば神の国はキリストのメインテーマでした。
 主の祈りの願い事は、「御名をあがめさせたまえ」から始まっている通り、神についての願い事が前半部分に置かれています。このことは、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6章33節)と言われたキリストの教えにも共通することです。他の願いは神の国に加えて与えられると約束されています。
 神の国はこの世の国とは異なります(ヨハネ18章36節)。またこの世の国々の栄華と比較できるものではありません(マタイ4章8節)。いやむしろ、この世の富と比較にならないほど高価なものです(マタイ16章26節)。キリストは、この神の国を求めるように教えているのです。
 神の国を支配する者は神ご自身です。神の国を求める者は、神の支配に服することになり、神の大いなる力に従うことで人生の守りと導きを得ることができます。キリストはこのように約束しています。「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5章3節)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月20日の聖書日課

(写真:サンゴバナ)

第一コリント1:18-25
 1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
 1:19 すなわち、聖書に、
「わたしは知者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしいものにする」
と書いてある。
 1:20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
 1:21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
 1:22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
 1:23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
 1:24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
 1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)