(写真:ホオノキ)
マタイ6:19-24
6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
6:21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。
6:22 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
6:23 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
6:24 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/21
2021/06/20
2021年年6月20日3分メッセージ
コリント第二8章9節をお読みします。
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
イエス・キリストはいつも貧しい人々に寄り添っていました。しかし、キリストが主に行ったのは慈善活動ではなく、キリスト教の福音を告げることでした(ルカ7章22節)。
キリストはこのように語りました。「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6章20節)キリストがこの言葉で約束した「神の国」は地上の国ではなく(ヨハネ18章36節)、神のおられる天の国を意味します(マタイ5章3節)。キリストは「天に宝をたくわえよ」と教えています(マタイ6章20節)。
私たちはキリストによって、天から注がれるあふれるばかりの恵みを受け取ることができます。しかし、そのためにキリストは天から降りてこの地上に来られました(ローマ10章6節)。キリスト自ら、私たちと同じような貧しい存在に成り下がったのです。そして、わたしたちが及びもつかないような高い天の恵みを、この地上において味わうことができるようにしてくださったのです。
キリストの恵みを受け取る者は、決して心渇くことなく、永遠の潤いに満たされます(ヨハネ4章13~14節)。私たちもキリストの恵みに与り、天上の恵みを味わいたいと思います。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。キリストは心の貧しい者に寄り添い、天からの恵みによって彼らの心を満たされました。私たちも、失われるこの世のものに目を留めるのではなく、決して失われることのない天の宝に目を留めて、キリストの恵みに満たされることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/14
2021年6月20日の聖書日課
(写真:エゴノキ)
第二コリント8:1-9
8:1 兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。
8:2 すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
8:3 わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
8:4 聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
8:5 わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
8:6 そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。
8:7 さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。
8:8 こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
第二コリント8:1-9
8:1 兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。
8:2 すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
8:3 わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
8:4 聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
8:5 わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
8:6 そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。
8:7 さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。
8:8 こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/13
2021年6月13日3分メッセージ
詩篇67篇1節、2節をお読みします。
どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに知られるためです。
注・聖書中の「セラ」は慣例として朗読しない言葉です。
詩篇67篇は神の祝福を祈り求める歌です。祈り求めているのは自分たちの祝福だけでなく、世界にあまねく神の祝福が及ぶことまでも含んで祈り求めています。
聖書の民であるイスラエル人は、神によって選び出された民です。イスラエル人の始祖であるアブラハム(最初の名はアブラム)は、神からこのような約束の言葉を聞きました。「わたしはあなたを大いなる国民とし…あなたは祝福の基となるであろう。…地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。(創世記12章2~3節)
この詩篇の言葉は、アブラハムに与えられた祝福を言い表しています。神の祝福はたった一人に留まって終わるのではなく、神の民に与えられた祝福を自らも得たいという、神の祝福を求めるすべての人に与えられるものであるということです。そして、祝福を、また救いのわざを気前よく与える神がほめたたえられるようにと、詩篇の言葉によって高らかに歌われているのです。
イエス・キリストもこのように語っています。「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる。」(ルカ6章38節)皆様もあふれるばかりに与えられる神の祝福を受けられますように。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは信仰の先人たちが高らかに歌ったように、神への賛美歌をともに歌います。どうか約束された神の祝福が私たちのものとなりますように。また祝福が私たちだけに留まるのではなく、一人でも多くの人が神の祝福を受けることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/07
2021年6月13日の聖書日課
(写真:カキツバタ)
詩篇67篇
聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび
67:1 どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、
そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ
67:2 これはあなたの道があまねく地に知られ、
あなたの救の力がもろもろの国民のうちに
知られるためです。
67:3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:4 もろもろの国民を楽しませ、
また喜び歌わせてください。
あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、
地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ
67:5 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:6 地はその産物を出しました。
神、われらの神はわれらを祝福されました。
67:7 神はわれらを祝福されました。
地のもろもろのはてにことごとく
神を恐れさせてください。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
詩篇67篇
聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび
67:1 どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、
そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ
67:2 これはあなたの道があまねく地に知られ、
あなたの救の力がもろもろの国民のうちに
知られるためです。
67:3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:4 もろもろの国民を楽しませ、
また喜び歌わせてください。
あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、
地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ
67:5 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
67:6 地はその産物を出しました。
神、われらの神はわれらを祝福されました。
67:7 神はわれらを祝福されました。
地のもろもろのはてにことごとく
神を恐れさせてください。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/06
2021年6月6日3分メッセージ
エゼキエル18章31節をお読みします。
あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。
エゼキエル書は、他国バビロンとの戦いに負け、土地を奪われて捕囚の憂き目にあった「バビロン捕囚」のイスラエル人に語られた言葉です。共に捕囚の身である預言者エゼキエルは、不思議な幻を伴った神の預言の言葉をイスラエル人に語り伝えました(エゼキエル1章1~3節)。
イスラエル人たちは「間もなく母国のイスラエルに帰ることができる」と期待していましたが、その期待は何年も裏切られ続けました。彼らの信仰心は曇り、彼らの言葉は失望のことわざに変わってしまいました(エゼキエル18章2節)。さらに彼らは主なる神に対し、「主のおこないは正しくない」というような文句まで言うようになってしまいました(エゼキエル18章25節)。
イスラエル人たちは目の前の苦境しか考えることができなくなってしまいました。そして、自ら神の民であると自覚しつつも、人をそのおこないによって正しくさばく聖書の神を考えることができなくなってしまったのです(エゼキエル18章30節)。
聖書の神は「何人との死をも喜ばない」神であり、「翻って生きよ」と言われる情け深い神です(エゼキエル18章32節)。しかし、神に選ばれた民であるイスラエル人や、あるいは信仰深いクリスチャンであったとしても、私たち人間は非常な苦難にあった時に、人間として決して忘れてはならない大切なことをも忘れてしまうような弱い存在です。
しかし、聖書の神は私たちの弱さを知ってこのように語られています。「あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。」神は苦難の最中にある者をも助け出そうとされるお方です。神が与えると約束される「新しい心」(エゼキエル36章26節)を受け取って、私たちは心を改めて神の救いに与りたいと思います。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちは苦しい状況に追いつめられた時、自らを失ってしまうように物事を正しく見ることができなくなることがあります。そのような時にも、私たちの心を支えてください。神が約束される新しい心、新しい霊によって正しい道に立ち返って歩むことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/06/01
2021年6月6日の聖書日課
(写真:シラン)
エゼキエル18:25-32
18:25 しかしあなたがたは、『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、聞け。わたしのおこないは正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。
18:26 義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬならば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。
18:27 しかし悪人がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。
18:28 彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。
18:29 しかしイスラエルの家は『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしのおこないは、はたして正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。
18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
18:31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
18:32 わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
エゼキエル18:25-32
18:25 しかしあなたがたは、『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、聞け。わたしのおこないは正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。
18:26 義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬならば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。
18:27 しかし悪人がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。
18:28 彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。
18:29 しかしイスラエルの家は『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしのおこないは、はたして正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。
18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
18:31 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。
18:32 わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
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