2020/01/18

展望台から見る聖書 第八回 新約聖書緒論


 新約聖書も旧約聖書と同様、配列順に四つに区分することができます。旧約聖書も含めて、人間の救いに関連して説明すると以下の通りです。
 旧約聖書は、全人類の救いの準備を担いました。①福音書(マタイ~ヨハネ)は、イエス・キリストにおいて救いが現れたことを示します。②使徒の働きは、キリストの救いを宣教した使徒を初めとする教会の働きを示します。③手紙(ローマ~ユダ)は、キリストの救いの内容を説明しています。④黙示録は、天地の初めより神により計画された救いの完成について示しています。
 福音書、延いては新約聖書の背景となる世界は、福音(救いのメッセージ)のために備えられていました(ガラテヤ4:4)。世界はローマ帝国という一つの統一国家となっていて、その世界の中で平和に、共通語であるギリシャ語によって福音を宣べ伝えることができました。また世界の人々は真理を求め(ヨハネ18:38)、救いを待ち望んでいました(マタイ2:2)。
 また福音はこの世界のために与えられたものでした。初めにキリストは使徒たちに福音宣教を委ねられました(ヨハネ15:27)。新約聖書は使徒たちが「見たこと、聞いたことを」伝えるために書かれたものです(第一ヨハネ1:3)。また新約聖書は使徒たちが語った説教を記録しています(使徒10:36-43)。ですから新約聖書は「キリストの福音を伝えるための使徒による記録」であるということができます。

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

展望台から見る聖書 第九回 福音書(マタイ~ヨハネ)


 新約聖書の最初の部分に収められている福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つです。そのうちマタイ、マルコ、ルカは宣教という共通の目的があるので共観福音書と言われています。以下にそれぞれの福音書の特徴を説明します。
 ①マタイ:使徒マタイがまとめた記録。預言により約束された救い主を強調しているため、ユダヤ人的福音と言われています。
 ②マルコ:使徒ペテロが語った説教をその助手マルコがまとめた記録。勝利者であるキリストを強調しているため、ローマ人的福音と言われています。
 ③ルカ:使徒パウロの助手ルカがまとめた記録。完全な人間としてのキリストを強調しているため、ギリシャ人的福音と言われています。
 ④ヨハネ:上記三福音書を踏まえ、使徒ヨハネが独自にまとめた記録。神の御子としてのキリストを強調しており、クリスチャンに対し福音の本質を説明しています。
 福音書はすべて、キリストの生涯を本筋として語っています。キリストは宣教の生涯に入る前、三十年間の準備期間を過ごされました(ルカ3:23)。キリストの宣教活動の期間は、ヨハネ伝に記された四回の過越の祭り(2:13、5:1、6:4、11:55)を根拠として約三年半であったと言われています。福音書の最後に、圧倒的な記述の分量がキリストの福音の根本である「十字架」と「復活」に割かれています。

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

展望台から見る聖書 第一〇回 使徒の働き


 使徒の働きには、教会の誕生とその成長についての歴史が書かれています。その歴史はキリストが予告した通り(ルカ24:46-49)に進展しました。①キリストが昇天し、世界宣教の準備が整う(使徒1章)。②キリストの弟子たちに聖霊が降り、世界宣教の力を受ける(使徒2章)。③エルサレムから世界に向けて福音が宣べ伝えられる(使徒2章以降)。
 使徒の働きは二人の人物、ペテロとパウロ(ガラテヤ2:8)を中心として記述されています。ペテロはエルサレムを中心として宣教し、主にユダヤ人への使徒として活動しました(使徒1~12章)。パウロはペテロたちの宣教を引き継ぎ、ユダヤ人以外の国民(異邦人)への使徒として世界中を巡って宣教しました(使徒13~28章)。
 使徒の働きの理解の鍵となる聖句は使徒1:8で、その御言葉の通りに宣教が進展していきました。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ(使徒1~7章)とサマリヤの全土(使徒8~12章)、および地の果てにまで(使徒13~28章)、わたしの証人となります。」

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

展望台から見る聖書 第一一回 手紙(ローマ~ユダ)


 使徒たちを初めとする福音宣教の結果、世界中に教会が誕生しました。しばらくした後、これらの教会に集う多くのクリスチャンが現実の生活に信仰を適用するために、教育が必要となりました。新約聖書の手紙はこれらの教会の現実的な問題に対処するため書かれました。
 手紙は福音書に示されたキリストの福音を説明しています。福音書に示されたキリストの罪のない生涯に従い(エペソ4:22-24)、いかにしてキリストのようなきよい性質となるかを説明しています(ガラテヤ5:22-25)。
 手紙はキリストの教えを説明しています。その教えは信仰的であるとともに実際的です。救いを得る手段は信仰のみである(ローマ3:28)ことを語ると共に、信仰は現実的な行動がなければ死んだものである(ヤコブ2:26)とも語っています。
 最初の教会の時代、その時代から既に間違った教えがはびこっていました。ユダヤ人から出た律法尊重主義(ガラテヤ書参照)、異邦人から出た道徳的無秩序(ユダ書参照)等です。そのため、「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」(ユダ3節)

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

展望台から見る聖書 第一二回 黙示録


 旧約聖書の最初、創世記から始められた救いの計画は、新約聖書の最後、ヨハネの黙示録で完成します。
 黙示録は、使徒ヨハネが迫害により流刑とされたパトモスという島で見た神の幻を記録したものです(黙示録1:9)。当時の世界はローマ帝国の支配下にあり、多くのクリスチャンがヨハネと同様、厳しい迫害を受けていました。黙示録はこれらのクリスチャンたちに宛てて書かれました。その内容は、キリストがありとあらゆる反対を押しのけて最終的な勝利を得る(黙示録1:7)ことを示すものであり、クリスチャンたちに励ましを与えるものでした。
 黙示録の性質をいくつか挙げることができます。①力の書:見えない世界の力が示され、神は御国のために諸勢力を治められる。②御座の書:天の御座が示され、神がまことの支配者であられ、神に従う者に支配が任される。③冠の書:王の王であるキリストの冠が示され、キリストに従う者に冠が与えられる。④戦いの書:終わりの時代にキリストと反キリストとの戦いがある。⑤勝利の書:キリストは最後の戦いに勝利を収められる。⑥救いの書:神の救いの計画の中心としてほふられた小羊(キリスト)が示され、聖徒は小羊の血によってあがなわれ、救いの勝利を得る。

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

2020/01/12

2020年1月19日の聖書日課

(写真:スノードロップ)

ヨハネ1:43-51
 1:43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。
 1:44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
 1:45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
 1:46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
 1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
 1:48 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。
 1:49 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。
 1:50 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。
 1:51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年1月12日3分メッセージ


 エペソ2章10節をお読みします。
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。

 聖書は、キリストを信じるクリスチャンは神の作品であると語っています。クリスチャンは神の作品であり、良い行いをするように造られているので、クリスチャンは自慢してはならない、というように戒めているのです。
 しかし、私は自らクリスチャンの一人として敢えて言いたいのです。それは、クリスチャンだからといって良い行いをするとは限らず、かえって悪い行いもするではないか、ということです。
 聖書はこの点についてもこう語っています。「善を行う者はいない」(ローマ3章12節)クリスチャンであったとしても、すべての人は悪を行いうる罪人であって、良い行いをする点では実に不完全な者なのだ、ということです。
 そのような良い行いをするに非力な私たち人間のために、神はイエス・キリストをこの世にお遣わしになられました。ただ他人に自慢する程度のものではない、本当の意味での良い行いをして日を過ごすために、私たちはキリストの恵みに頼る必要があります。私たちはキリストを信じることで、神の作品としての本当の自分を見出すことができます。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは他人から見られることのない、私たち自身しか知らない自分というものを知っています。しかし、聖書は私たちが神の作品であると語っています。キリストを信じることにより得られる本当の自分を見出すことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)