説教「さあ来て、食事をしなさい」
ヨハネ21:3-13(お持ちの聖書をお読みください)
2020年のイースターから2週間が経ちました。私たちの毎日の生活には良くなる兆しが見えません。それはまるで、イエス様が復活されたという事実を知りながらも、この先どうなっていくかがわからず、恐れ惑っている主の弟子たちの気持ちと同じです。
そのような時期に、弟子たちはガリラヤ湖で魚をとっていました。この弟子たちの姿に皆さんもいろいろと感じるところがあると思います。ですが、主は弟子たちをどのように思われたでしょうか?今日はヨハネ21章の御言葉を読んで、主が弟子たちにどのようになさったのかを知りましょう。そして、主が今日の私たちにも同じようになされることを思って、御言葉に耳を傾けてまいりましょう。
弟子たちが漁をしていた理由は、何よりも生活のためでした。彼らのうちの多くはガリラヤの漁師でしたので、彼らにとって漁とは特別なことではなく、当たり前のことでした。しかし、漁をしたにも関わらず魚がとれなかったのは当前なことではありませんでした。夜通し働いた彼らは、心身ともに堪えたことでしょう(3節)。
そこに、主がやさしく声をかけられ、大漁の奇跡を現わされたのです(4~6節)。弟子たちの驚きは、どれほど大きかったことでしょう。また、主が弟子たちに向けられた憐みと恵みの大きさはどれほどであったか、私たちもじっくりと味わってみるべきです。
さらに、主がなされた「大漁の奇跡」は、弟子たちにとっても、今日の私たちクリスチャンにとっても、特別な意味があります。それは、ペテロたち、主の最初の弟子たちは「人間をとる漁師」として主に呼び出された者であるからです(ルカ5:1-11)。彼らは大漁の奇跡を見て、主だとわかったと同時に、主と最初に出会った時のことも懐かしく思い出したに違いありません。
また、弟子たちにとって、懐かしい主と一緒に食事ができたことは、よりいっそう大きな励ましとなったことでしょう。彼らは言葉少なく、主がいつものように分けてくださったパンと魚を食べ(13節)、体も心も満たされ、癒されたのです。
主の復活を見届けた弟子たちに必要なのは、休息と食事と励ましでした。主は弟子たちの必要をよく知られて、彼らに近づかれ、彼らの必要を十分に満たされました。今日の私たちクリスチャンにも主は同じようにしてくださいます。
主はこのように言って約束してくださいました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)今日も私たちは主の御約束に感謝して祈りましょう。そして、主が約束してくださった聖霊を求めて祈り続けましょう(ヨハネ20:22)。
(引用:聖書 新改訳 (c)1970,1978,2003
新日本聖書刊行会)