説教「私はあなたを呼び求めます」
詩篇30:1-8(お持ちの聖書をお読みください)
今日はイースターですが、教会に集まって礼拝できないことが残念です。ですが、私たちは教会に集まらなくても「本当の礼拝」をすることができます。本当の礼拝とは、人間に会うことではなく、神様にお会いすることです。
私たちも場所は違っても、心を一つにしてイースター礼拝を捧げていきましょう。今日の聖書の「詩篇」は、私たちと同じ神様を信じるイスラエル人の礼拝の賛美歌です。イスラエル人も心を一つにして神様を礼拝しました。そして、お互いの喜びや悲しみを分かち合いました。
3節の「よみ(つまり、死のこと)」や、5節の「涙」は、個人的な苦しみや悲しみでもありますが、それと同時にイラスエル全体の苦しみや悲しみを意味します。またそれはイスラエルの国の問題に関わることでもあります。イスラエル人は毎週の礼拝や毎年のお祭りで、国全体のための祈りを捧げているのです。
この詩篇は、私たちのそれぞれの祖国のための祈りとすることもできます。今、日本の国全体が苦しんでいる問題について、詩篇の言葉によって私たちも心を合わせて祈っていきましょう。また、感染症の問題は一つの国の問題ではありません。私たちは世界中の国々、人々の救いのために心を合わせて祈っていきましょう。
神様は私たちの祈りを聞いてくださいます。「あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」(3節)その通り、イエス・キリストは十字架で死なれた後、三日目のイースターの朝によみがえられました。イエス様が復活されたことが、この詩篇30篇の言葉が正しいことの証拠です。
私たちが人間として生きる中で、涙を流すようなつらい出来事に会わない人は誰もいません。人間はすべて、涙も悲しみも知っています。人間は失敗しない人は誰もいません。クリスチャンも同じです。だから、教会では弱い人でも集まることができるし、お互いに慰め合うことができます。
また、同じようにすべての人は喜びを知っています。ですが、クリスチャンが知っている喜びは、悲しみよりもはるかに大きいのです。「喜んだり、悲しんだり」ではなく、「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(5節)のです。
主イエス・キリストは十字架で死なれた後、復活されました。そして、主は今、生きています。苦しみは必ず終わる時が来ます。主は信じる者に「永遠のいのちを与えます」と約束しています(ヨハネ10:28)。イースターのこの日、私たちは主が約束された永遠のいのちによって喜びに満たされ、主のあわれみを求めてご一緒にお祈りいたしましょう(詩篇30:8)。