2020/01/18

展望台から見る聖書 第一一回 手紙(ローマ~ユダ)


 使徒たちを初めとする福音宣教の結果、世界中に教会が誕生しました。しばらくした後、これらの教会に集う多くのクリスチャンが現実の生活に信仰を適用するために、教育が必要となりました。新約聖書の手紙はこれらの教会の現実的な問題に対処するため書かれました。
 手紙は福音書に示されたキリストの福音を説明しています。福音書に示されたキリストの罪のない生涯に従い(エペソ4:22-24)、いかにしてキリストのようなきよい性質となるかを説明しています(ガラテヤ5:22-25)。
 手紙はキリストの教えを説明しています。その教えは信仰的であるとともに実際的です。救いを得る手段は信仰のみである(ローマ3:28)ことを語ると共に、信仰は現実的な行動がなければ死んだものである(ヤコブ2:26)とも語っています。
 最初の教会の時代、その時代から既に間違った教えがはびこっていました。ユダヤ人から出た律法尊重主義(ガラテヤ書参照)、異邦人から出た道徳的無秩序(ユダ書参照)等です。そのため、「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」(ユダ3節)

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

展望台から見る聖書 第一二回 黙示録


 旧約聖書の最初、創世記から始められた救いの計画は、新約聖書の最後、ヨハネの黙示録で完成します。
 黙示録は、使徒ヨハネが迫害により流刑とされたパトモスという島で見た神の幻を記録したものです(黙示録1:9)。当時の世界はローマ帝国の支配下にあり、多くのクリスチャンがヨハネと同様、厳しい迫害を受けていました。黙示録はこれらのクリスチャンたちに宛てて書かれました。その内容は、キリストがありとあらゆる反対を押しのけて最終的な勝利を得る(黙示録1:7)ことを示すものであり、クリスチャンたちに励ましを与えるものでした。
 黙示録の性質をいくつか挙げることができます。①力の書:見えない世界の力が示され、神は御国のために諸勢力を治められる。②御座の書:天の御座が示され、神がまことの支配者であられ、神に従う者に支配が任される。③冠の書:王の王であるキリストの冠が示され、キリストに従う者に冠が与えられる。④戦いの書:終わりの時代にキリストと反キリストとの戦いがある。⑤勝利の書:キリストは最後の戦いに勝利を収められる。⑥救いの書:神の救いの計画の中心としてほふられた小羊(キリスト)が示され、聖徒は小羊の血によってあがなわれ、救いの勝利を得る。

参考図書:マイヤー・パールマン著『展望台から見る聖書』福音出版社

2020/01/12

2020年1月19日の聖書日課

(写真:スノードロップ)

ヨハネ1:43-51
 1:43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。
 1:44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
 1:45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
 1:46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
 1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
 1:48 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。
 1:49 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。
 1:50 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。
 1:51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年1月12日3分メッセージ


 エペソ2章10節をお読みします。
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。

 聖書は、キリストを信じるクリスチャンは神の作品であると語っています。クリスチャンは神の作品であり、良い行いをするように造られているので、クリスチャンは自慢してはならない、というように戒めているのです。
 しかし、私は自らクリスチャンの一人として敢えて言いたいのです。それは、クリスチャンだからといって良い行いをするとは限らず、かえって悪い行いもするではないか、ということです。
 聖書はこの点についてもこう語っています。「善を行う者はいない」(ローマ3章12節)クリスチャンであったとしても、すべての人は悪を行いうる罪人であって、良い行いをする点では実に不完全な者なのだ、ということです。
 そのような良い行いをするに非力な私たち人間のために、神はイエス・キリストをこの世にお遣わしになられました。ただ他人に自慢する程度のものではない、本当の意味での良い行いをして日を過ごすために、私たちはキリストの恵みに頼る必要があります。私たちはキリストを信じることで、神の作品としての本当の自分を見出すことができます。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは他人から見られることのない、私たち自身しか知らない自分というものを知っています。しかし、聖書は私たちが神の作品であると語っています。キリストを信じることにより得られる本当の自分を見出すことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/01/06

2020年1月12日の聖書日課

(写真:ビワ)

エペソ2:1-10
 2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
 2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
 2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
 2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
 2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
 2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
 2:7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
 2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
 2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
 2:10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年1月5日3分メッセージ


 イザヤ40章26節をお読みします。
目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。

 今回は聖書に記された神の言葉から、新しい一年に向かっての新しい展望を見てみたいと思います。
 まず第一に、聖書は「目を高くあげて、見よ」と語っています。物事をできるだけ広い立場から、遠くに至るまで見てみましょう。それは大自然であっても、世界のあらゆる人間社会であっても、注意深く見てみるなら、最初に見えていたものとは別のものが見えてくるかもしれません。
 第二に聖書は、「これらのものを創造した者を見よ」と語っています。一つの物事だけに集中するのではなく、物事の原因となるものやその他の物事との関係などを見定めるなら、さらに深く物事の本質が見えてくるはずです。
 第三に聖書は、「神はおのおのをその名で呼ばれる」と語っています。聖書の神は創造の神であると、聖書は一貫して語っています(創世記1章1節、ローマ1章25節)。しかし、神は創造するだけではなく、物事の本質を正しい言い表すように「名前」を呼んで、神からの働きかけも行われます。同じように、私たち個々人をも知っていて、私たちが祈りの声を上げるなら、その祈りを聞かれるお方です。
 物事の本質を知る時、良い面だけでなく悪い面も見ることになるでしょう。また全く知らない、新しい物事に対して躊躇する気持ちも生まれてくるかもしれません。その時、「おのおのをその名で呼ばれる」神に信頼し、神の力に身を任せられることは幸いな事です。

 神の手に握られる幸いを求めて、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神さま。新年を迎えて、新しい事に対する期待と不安が混じるこの頃です。すべてのことを知っておられる神様に信頼しつつ、新しい歩みを踏み出させてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/01/01

2020年1月5日の聖書日課

(写真:マンリョウ)

イザヤ40:21-26
 40:21 あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。
 40:22 主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、
 40:23 また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。
 40:24 彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。
 40:25 聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。
 40:26 目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。
主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)