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八木原海神学生(写真右) |
2021年4月から9月にかけて、中央聖書神学校の八木原海神学生(3分メッセージ)が毎週日曜日、教会実習のため志村キリスト教会に来られました。コロナ禍の様々な課題を共有して、志村教会の兄弟姉妹とともに最善を尽くして奉仕してくれました。あっという間の6ヶ月間、名残惜しくもお別れしました。卒業後は牧師として再会できますように、学びの祝福をお祈りします。
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八木原海神学生(写真右) |
2021年4月から9月にかけて、中央聖書神学校の八木原海神学生(3分メッセージ)が毎週日曜日、教会実習のため志村キリスト教会に来られました。コロナ禍の様々な課題を共有して、志村教会の兄弟姉妹とともに最善を尽くして奉仕してくれました。あっという間の6ヶ月間、名残惜しくもお別れしました。卒業後は牧師として再会できますように、学びの祝福をお祈りします。
(写真:ススキ) |
ヨシュア6:1-5
6:1 さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。
6:2 主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
6:3 あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。
6:4 七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
6:5 そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
「わたしはまことのぶどうの木、
わたしの父は農夫である。」
(ヨハネ15章1節)
ブドウは最古の栽培植物の一つです(創世記9章20節)。イスラエルの乾燥した気候はブドウ栽培に適していて、甘い良質のブドウが生産されてきました。生食、干しブドウ、ワイン等、イスラエルの食卓を一年中賑わせています。
古代から様々な栽培技術を活用して、農夫は良質な果実を得るために常に注意深く手入れを行います(イザヤ5章2節)。神は私たちを、ブドウを育てる農夫のように日々清められ(ヨハネ15章2節)、命の源なるキリストに接ぎ木されて育んでくださいます(ヨハネ15章5節)。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
テサロニケ第二3:6-13
3:6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。
3:7 わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、
3:8 人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。
3:9 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。
3:10 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。
3:11 ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。
3:12 こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。
3:13 兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
イチジクグワとは、イチジクに近縁であるクワ科の植物です。イチジクに似た実をつけ、クワに似た葉を持っています。東アフリカが原産地で、エジプトを経てイスラエルに導入されました。実が食用となるほか、軽い木材として利用できるため、イスラエルで盛んに植林されました(列王紀上10章27節)。
イチジクグワの木は枝をたくさん出す性質があり、木登りにうってつけです。取税人のザアカイはイエス・キリストを一目見たいと思い、この木の上に登りました。そして、お金よりも価値のある神の救いを得ることができました(ルカ19章9節)。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
「見よ、主の宮の前に置かれているいちじくを盛った
二つのかごがあった。」(エレミヤ24章1節)
イチジクは古代より栽培されてきた果樹です。夏に外側から見えない不思議な花を咲かせますが、秋にかけて実が熟し、あたりに芳しい香りを放ちます。日本には主に江戸時代以降、原産地の西アジアから中国を経由してやってきました。聖地イスラエルでも家々の軒先に植えられ、満ち足りた生活の象徴として愛されました(列王紀上4章25節)。
預言者エレミヤの時代、イスラエルの人々はバビロン捕囚の憂き目に遭いました(エレミヤ24章1節)。捕囚から逃れた人々は自らの境遇を幸いとし、捕囚に遭った人々の境遇を災難とみなしました。しかし、人々の判断とは異なり、聖書の神は捕囚に遭ったエコニヤ(エホヤキン)たちを保護し、彼らをイスラエルの末裔として永らえさせました(エレミヤ52章31~34節)。
挿し木で簡単に増やせるイチジクのように、神は神の民を顧みて、命の祝福を与えられます(エレミヤ24章4~7節)。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)