2023/06/18

2023年6月18の聖書日課

(写真:アルストロメリア)

申命記8:11-20
 8:11 あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。
 8:12 あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、
 8:13 また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、
 8:14 おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
 8:15 あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、
 8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。
 8:17 あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。
 8:18 あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
 8:19 もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。
 8:20 主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/12

2023年6月11日(日) 献堂69周年記念礼拝

今年は志村キリスト教会の創立(献堂)69周年となります。献堂記念礼拝の特別講師として、フィリピン宣教師の山城良美先生にお願いし、フィリピンからビデオメッセージを送っていただきました。ビデオの中で、ルソン島北部での生活と宣教活動の紹介があり、「ゆだねる」という事のメッセージを語っていただきました。これからもすべてをゆだねて、神様が導かれる道を歩んでまいりたいと思います。

2023/06/11

2023年6月11日3分メッセージ



 使徒2章42節をお読みします。
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 キリスト教会は、ペンテコステ(五旬節)の日にキリストの弟子たちに聖霊が注がれたことで誕生しました(使徒2章1~4節)。彼らは礼拝のために集まる教会堂を持っていませんでした。キリスト教会が誕生した後も、彼らはユダヤ人として生活し、エルサレムの神殿に詣でて礼拝し、各地のユダヤ人の会堂に集まり、あるいは自宅を開放してクリスチャンの交わりを保ちました(使徒2章46~47節)。
 後に迫害を受けて多くの者がエルサレムから追放されても、彼らは行く先々で集まって礼拝を捧げ続けました(使徒8章1~4節)。これが今日のキリスト教会の生い立ちとなった出来事です。ヨーロッパにある大聖堂も、日本のような非キリスト教国の小さな家の教会も、教会としての本質は変わることがありません。同じクリスチャンが集まる教会です。
 時代や国が変わっても、変わらない教会の本質があります。それが、「使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈を」することです。それはつまり、「聖書に学び、教会の交わりを保ち、聖餐式等の礼典を守り、祈りを捧げる」ことであり、そのことが守られているのが使徒たちの時代から変わることなく存在し続けている本当の教会です。
 皆様もぜひ、このキリスト教会の本質、教会の命に触れていただきたいと願います。キリスト教の教会堂、聖画や彫刻、賛美歌などの芸術を味わいつつ、それらが意味しているキリスト教の交わりに触れてください。それが教会におけるクリスチャンたちの交わりであり、毎週の礼拝で行われていることです。イエス・キリストはこのように言われています。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17章21節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリスト教会は時代を超えて、クリスチャンたちが集まり、交わりを保ち続けています。この教会の交わりの中に神の国がある、とキリストは言われました。神の国、神の恵みに私たちも与りたいと願います。どうぞ教会の交わりを祝福してください。自らを省みつつ、神ご自身との交わりをも保たせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月11日の聖書日課

(写真:テッポウユリ)

使徒2:42-47
 2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
 2:43 みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
 2:44 信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、
 2:45 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。
 2:46 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
 2:47 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/04

2023年6月4日3分メッセージ



 出エジプト19章20節をお読みします。
主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。

 モーセに導かれてエジプトを出たイスラエルの民は、シナイ山のふもとで神から十戒を始めとする律法を受け取りました(出エジプト20章)。この律法によってイスラエルは民族集団から法治国家へと変貌しました。
 このイスラエルにとって重要な節目の時に、人々は律法に従うという誓いを立て(出エジプト19章8節)、神との対面に備えて身を清めました(出エジプト19章10~15節)。山のふもとに立った人々は、山の頂の恐るべき光景、地震と大音響に震え上がり、直接会うことのできない神の尊厳に触れました(出エジプト19章10~18節)。
 その中でただ一人、モーセが民の前に立って神と語り合い、神に呼び出されてモーセは山に登っていきました(出エジプト19章19~25節)。この出来事の後、イスラエルの民はモーセを神の代言者、神と人々の間を取り持つ仲介者として、モーセを尊敬するようになりました(出エジプト34章29~35節)。
 神の民が律法を受け取る出来事は、時代を超えて人が神とどのように関わりを持つべきかを教えています(ガラテヤ3章19~20節)。今の時代、神と人との間に立つ仲介者(仲保者)はイエス・キリストです(テモテ第一2章5節)。全能の神に向けて祈りをささげることは、本質的には恐れ多いことで、何の準備も持たずにできることではありません。私たちは「イエス・キリストの御名によって」始めて祈りをささげることができるのです。
 ですから、今私たちは聖書の言葉に励まされて気兼ねなく祈りたいと思います。「わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」(ヘブル4章16節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはキリストの御名によって祈ることができることを感謝します。全能の神の御前に恐れつつ、しかし私たちの切なる祈りを親しく聞き届けて下さる恵みが与えられています。益々勇気をもって祈り続けることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月4日の聖書日課

(写真:キリ)

出エジプト19:16-20
 19:16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。
 19:17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。
 19:18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。
 19:19 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。
 19:20 主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/05/28

2023年5月28日3分メッセージ



 ルカ11章1節をお読みします。
また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。

 神の御子イエス・キリストは弟子たちに「主の祈り」(ルカ11章2~4節、マタイ6章9~13節)という祈りの言葉を教えられました。また度々自ら祈られた方であり、弟子たちはキリストの祈りの姿から祈ることについて学びました。
 祈りは必ずしも決められた祈りの言葉、祈りの方法で祈らなければならないものではありません。聖書の神は私たちの切なる祈りを聞き届けられ、言葉に表せないような心の底からの願いを知ってくださる方です。ローマ書にも、私たちの祈りを助ける神の御霊について次のように書かれています。
 「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」(ローマ8章26節)
 また私たちの側も、神が祈りを聞き届けられるという信仰をもって祈り続けることが大切です(ルカ11章5~8節)。うまく言葉に表せなくても、神に祈りの心をまっすぐに向け、自らの願いを自分自身の言葉で表すことも大切なことです(ルカ18章41節)。
 祈るときには、迷わず神に自らの思いを打ち明けることです。その時、神は私たちの祈りに対し親しく耳を傾けてくださいます。キリストはこう言って励ましています。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(ルカ11章9節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは神の御子イエス・キリストご自身が祈りをささげられたことに励まされます。私たちは神様の特別なご愛顧を必要としています。キリストが教えられたとおり、信仰をもって祈り続けることができますように。どうぞ私たちの切なる祈りを聞き届けてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)