ルカ4章1節、2節をお読みします。
さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。
イエス・キリストは多くの民衆と同じくバプテスマ、別名で洗礼を受けた後、聖霊に満たされました(ルカ3章21~22節)。このキリストが体験した二つの出来事は、今日のクリスチャンの模範となっています。すなわち、クリスチャンとなるためには、キリストと同じようにバプテスマを受ける必要があります。またクリスチャンには、キリストと同じように聖霊を受けることが約束されています(使徒2章38節)。
聖霊、また名である御霊とは神の霊であり、聖霊に満たされることは神の特別なご愛顧を受けていることの印です(ルカ3章22節)。その聖霊がキリストをひきまわすようにして荒野に送り込み、キリストはそこで悪魔の試み、試錬を受けました。試錬を受けることは思いがけない災難であると考えるべきではありません。なぜなら、すべての人は人生の中でしばしば試錬にあうからです。しかし、クリスチャンには試錬の中にあっても神が共におられ、試錬からのがれる道を備えて下さることが約束されています(コリント第一10章13節)。
キリストは悪魔の試みに対抗して聖書の言葉を掲げ、悪魔はキリストから離れていきました(ルカ4章3~13節)。聖書の言葉すなわち「神の言」(マタイ4章4節)は、人の言葉と違って、人を傷つけるような凶器になることはありません。反対に人に命を与えるものであり、人に正しい道を示すものです(使徒2章28節)。「おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。」(詩篇119篇1節)聖書の言葉の力に信頼して学び続けましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの主であるキリストは、私たちと同じように試錬に会われました。そして、試錬に苦しむ私たちの弱さを知られ、あわれみをもって試錬からのがれる術を与えて下さることを感謝します(ヘブル4章15節)。試錬に苦しむ者に御言葉を賜り、私たちを強め励まして下さいますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)