2021/04/12

2021年4月18日の聖書日課

 (写真:レンギョウ)

マタイ12:38-42
 12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。
 12:39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
 12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
 12:41 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
 12:42 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/04/11

2021年4月11日3分メッセージ



 使徒13章26節をお読みします。
兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。

 キリストの使徒パウロはキリストの福音を伝えるため、現在のトルコの町々を巡っていました。この言葉は、ピシデヤ地方のアンテオケという町でパウロが語ったものです(使徒13章14節)。
 この町にはイスラエル人が多く住んでおり、彼らの礼拝の日である安息日に集まるための会堂がありました。安息日には、アブラハムの子孫であるイスラエル人だけではなく、聖書の神を敬う異邦人、すなわちイスラエル人ではない外国人も会堂に集まって礼拝をささげ、聖書の言葉に耳を傾けていました。
 このような古代のイスラエル人の会堂が、キリスト教の教会の原型となりました。キリストの福音はイスラエルの国から、イスラエル人によって伝え始められました。しかし、福音は今や全世界に伝えられ、世界中に教会が存在しています。
 キリストの前には、国籍や、職業や、性別の差別はありません(ガラテヤ3章28節)。キリストの救いは私たち全員に送られています。教会に集まって、心を合わせて賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書の言葉に耳を傾けましょう。教会は皆様のお越しを心よりお待ちしています。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストの福音は今や全世界に伝えられています。私たちもこの場所で福音を聞き、キリストの救いに与りたいと願います。キリストの前に世界中の人々が一つとされ、平和を保つことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/04/05

2021年4月11日の聖書日課

(写真:コブシ)

使徒13:26-31
 13:26 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。
 13:27 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。
 13:28 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。
 13:29 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。
 13:30 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。
 13:31 イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2021/04/04

2021年4月4日3分メッセージ



 イザヤ12章3節をお読みします。
あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。

 今日はキリストの復活を祝うイースターです。先週の受難週の十字架に続くものとして今日の聖書のメッセージを味わってまいりましょう。
 乾燥した中東のイスラエルにおいて、井戸は生きるために欠かせないものでした。それだけに、井戸に関わる争いは大昔より度々起きてきました(創世記21章25節)。ですから、「喜びをもって井戸から水をくむ」ことは、平和が保たれてこそ実現可能なことです。
 キリストはこのように語られました。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4章14節)。キリストは信じる者に、救いの井戸から永遠の命をもたらす水を与えられます。
 この「永遠の命」は、キリストの復活の命に由来します。キリストは私たちに永遠の命をもたらすため、私たちの罪に下る神の怒りを、十字架の上で身代わりとして引き受けられました。その結果、私たちは怒りに代えて慰めを得ることができました(イザヤ12章1節)。
 私たちはキリストの十字架と復活のゆえに、平安といやしを得ました(イザヤ53章5節)。今年のイースターも喜びをもってキリストをほめたたえましょう(イザヤ12章4節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。キリストは十字架の死を経て復活されました。それは、私たちの代わりに苦しまれ、私たちに先立って命に満たされるためでした。私たちは喜びをもってイースターを祝います。キリストとともに永遠に生きることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/04/01

2021年4月4日の聖書日課

(写真:タチツボスミレ)

イザヤ12:1-6
 12:1 その日あなたは言う、
「主よ、わたしはあなたに感謝します。
あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、
その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。
 12:2 見よ、神はわが救である。
わたしは信頼して恐れることはない。
主なる神はわが力、わが歌であり、
わが救となられたからである」。
 12:3 あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。
 12:4 その日、あなたがたは言う、
「主に感謝せよ。
そのみ名を呼べ。
そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。
そのみ名のあがむべきことを語りつげよ。
 12:5 主をほめうたえ。
主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。
これを全地に宣べ伝えよ。
 12:6 シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。
イスラエルの聖者はあなたがたのうちで
大いなる者だから」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2021/03/28

2021年3月28日3分メッセージ



 マタイ27章37節、38節をお読みします。
そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

 今週はイエス・キリストの十字架の苦しみを覚える受難週です。キリストはユダヤ人による不正な裁判で有罪とされ(マタイ26章66節)、ローマ人の手によって十字架刑に処されました(マタイ27章26節)。
 ローマ総督のピラトはキリストに罪を認めませんでしたが(マタイ27章23節)、十字架刑の細かい指示を与えたのはピラトでした。ピラトは「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげさせ、二人の強盗の間、すなわち十字架刑の主犯格の位置にキリストの十字架を据えさせました。
 人々はキリストにいばらの冠をかぶらせ、皮肉を込めてキリストを王様扱いしてあざけりました(マタイ27章29節)。ある人々は「ユダヤ人の王」という罪状書きを改めるよう抗議しましたが、ピラトはその要求を拒みました(ヨハネ19章21、22節)。
 このように、イエス・キリストは罪のない王様として十字架にかけられました。キリストは自ら十字架から降りることなく、また誰も十字架から引き下ろすこともできませんでした。十字架はキリストの不動の玉座だったのです。
 キリストはこのように語られました。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10章11節)キリストの十字架は、か弱く迷える羊である私たちに命を与えるための犠牲です。十字架を覚えつつ、キリストの命に与りましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは今年もキリストの十字架を覚える季節を迎えることができました。クリスチャンに、またキリストの教会につけられた十字架を心に担いつつ、キリストとともに命に溢れる日々を生きることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/03/22

2021年3月28日の聖書日課

(写真:ミツマタ)

マタイ27:38-44
 27:38 同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
 27:39 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって
 27:40 言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
 27:41 祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
 27:42 「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
 27:43 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
 27:44 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)