2020/10/12

2020年10月18日の聖書日課

(写真:キンモクセイ)

詩篇34:15-22
 34:15 主の目は正しい人をかえりみ、
その耳は彼らの叫びに傾く。
 34:16 主のみ顔は悪を行う者にむかい、
その記憶を地から断ち滅ぼされる。
 34:17 正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、
彼らをそのすべての悩みから助け出される。
 34:18 主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。
 34:19 正しい者には災が多い。
しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
 34:20 主は彼の骨をことごとく守られる。
その一つだに折られることはない。
 34:21 悪は悪しき者を殺す。
正しい者を憎む者は罪に定められる。
 34:22 主はそのしもべらの命をあがなわれる。
主に寄り頼む者はひとりだに
罪に定められることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/11

2020年10月11日3分メッセージ



 コリント第二5章4節をお読みします。
この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。

 この聖句で言われている「幕屋」とは、移動式の住居であるテントを意味します。パウロはこの言葉で、人間の体のことを簡単に壊れてしまうテントにたとえています。
 テントも人間の体も、不具合が起きたら直すことができますが、それでも永遠に使い続けることはできません。しかし、人間として生きていくためには、不具合の起きた体を捨てるわけにはいかず、だましだまし使い続けていかなければなりません。そのことは、私たちにとって重荷であり、苦しみであるかもしれません。
 キリスト教の約束する救いは、まさにこの人間の体の苦しみの声に応えるものです。聖書の神は、人間のために壊れることのない堅固な建物、永遠の家を備えておられます(コリント第二5章1節)。それは、イエス・キリストを信じる者のために備えられている、天のすまいです(ヨハネ14章1~3節)。
 キリストを信じる時、私たちは自分を失ってしまうのではありません。そうではなく、私たちの人間としての弱さが、天から下ってくる神の力によって覆われて、神から頂く新しい命に満ちあふれることになるのです。私たちも神を見上げて、命にあふれた神の力を身にまといたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの毎日の生活には疲れることも、くたびれてしまうこともあります。その時、私たちの弱さに目を留めるのではなく、私たちの弱さを覆う、神の力に目を留め続けることができますように。天からの命によって私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/05

2020年10月11日の聖書日課


(写真:イネ)

コリント第二5:1-10
 5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
 5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
 5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。
 5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
 5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。
 5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。
 5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
 5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。
 5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。
 5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/04

2020年10月4日3分メッセージ



 ヨハネ10章30節、31節をお読みします。
「わたしと父とは一つである」。そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。

 イエス・キリストは聖書の神を「父」と呼んで、「わたしと父とは一つである」と言いましたが、それを聞いた人々はキリストに殺意を覚えて、石を取りあげました。
 それほどまでに感情的になった彼ら、ユダヤ人たちは聖書の神を信仰する「聖書の民」でした。彼らにとって、キリストの言葉は自らを神と同列において、神を汚していると考えたのです(ヨハネ10章33節)。
 しかし、キリストは自らが神であると言ったのではなく、「父なる神と一つである」と言いました。その意味は、キリストが父なる神の心を知っていて、言葉とわざにおいて神の御心と一致していることを示しています(ヨハネ10章15節)。
 そして、このことはキリストだけに当てはまることではなく、私たちも「神と一つとなる」ことができることを示しています。そのために、キリストは私たちに神の御心を教え、神の特別な祝福を受けた「神の民」として、私たちを導かれます(ヨハネ10章16節)。
 キリストは言葉だけではなく、わざによって神の御心を教えられます。イエス・キリストは私たちの祈りに応えてくださり、私たちにわかる形で神の真理を示されます(ヨハネ14章6節)。

 皆様の生涯にも、父なる神の良き御業が示されますように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストは私たちに、「父による多くのよいわざを、あなたがたに示した」と語られました(ヨハネ10章32節)。その御言葉の通り、聖書の神が私たちの父であられ、私たちが神の守りの中を歩むことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/01

2020年10月4日の聖書日課

 

(写真:コスモス)

ヨハネ10:31-42
 10:31 そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。
 10:32 するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」。
 10:33 ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。
 10:34 イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。
 10:35 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)
 10:36 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。
 10:37 もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。
 10:38 しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」。
 10:39 そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。
 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行き、そこに滞在しておられた。
 10:41 多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。
 10:42 そして、そこで多くの者がイエスを信じた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/09/27

2020年9月27日3分メッセージ



 歴代志下7章11節、12節をお読みします。
こうしてソロモンは主の家と王の家とを造り終えた。すなわち彼は主の家と自分の家について、しようと計画したすべての事を首尾よくなし遂げた。時に主は夜ソロモンに現れて言われた、「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。

 イスラエルの王ソロモンは「主の家」すなわち聖書の神を礼拝し、祈りをささげるための神殿を造ることを計画し、それをなし遂げました。
 神殿建設のために、ソロモンはそれにふさわしい綿密な準備を進めて、最高の資材と技術を惜しみなく投入しました(歴代志下2~4章)。そして完成させた後、聖書の教えに則った盛大な式典を行い、ソロモン自らイスラエルの国民全体のために祈りをささげました(歴代志下5~6章)。
 このようなソロモンの熱心な信仰と祈りに対し、神は神殿を受け入れて祝福し、神殿でささげられる祈りに耳を傾けることを約束されました(歴代志下7章15節、16節)。ソロモンの造った神殿は目を見張るような豪華さがありましたが、その内実たる信仰を伴ったものでした。
 私たちはこのソロモンの神殿建設と彼の祈りに、礼拝と祈りの模範を見ることができます。聖書の神は見た目の豪華さ以上に、私たちの礼拝と祈りの心を見られるお方です(サムエル記上16章7節)。そして私たちの心からの切なる祈りに応えてくださいます。
 もし私たちの人生に神の特別な祝福を得たいと願われるなら、ソロモンの信仰とともにエペソ2章22節の御言葉にならってまいりましょう。「そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。」

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。ソロモンは彼の全身全霊をもって神を礼拝し、神に祈りをささげました。私たちも彼にならって祈りをおささげいたします。どうぞ私たちの体を神の家となして、神の祝福を受け継ぐ者とならせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/09/21

2020年9月27日の聖書日課

  

(写真:スイフヨウ)

歴代志下7:11-16
 7:11 こうしてソロモンは主の家と王の家とを造り終えた。すなわち彼は主の家と自分の家について、しようと計画したすべての事を首尾よくなし遂げた。
 7:12 時に主は夜ソロモンに現れて言われた、「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。
 7:13 わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、
 7:14 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。
 7:15 今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける。
 7:16 今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)