2020/07/05

2020年7月5日3分メッセージ



 ヨハネ4章36節をお読みします。
刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。

 聖書では、大事な真理を伝えるために、農業の例え話が多く語られています。一つ例を挙げると、大きなぶどう園の収穫のために多くの労働者を雇った、というような話もあります(マタイ20章1~16節)。
 農業の仕事は非常に多くの労力と時間が必要です。大農場の場合は、一人では仕事を賄いきれず、多くの労働者が必要になってきます。その場合、最初に作物の種をまく人と、最後に作物を刈り取る人が別であることもありえます。それぞれの仕事をしている労働者が、農場のすべての仕事、すべての労働者を把握しきれないこともあるでしょう。
 最初にお読みしたたとえ話を語ったイエス・キリストは、私たちが日々生活している人間社会について大事な真理を語っています。特に世界中と常に関わりを持たざるを得ない現代社会は、社会全体を把握することは極めて困難です。また、お互い同士がいつも変わらず信頼し合って生活しているという訳でもありません。時に人から手痛い仕打ちを受けて、社会から離れていたいと思うこともあると思います。
 キリストは、聖書の神は「収穫の主」であり、神に助けを祈り求めよ、と語っています(マタイ9章38節)。聖書の神はこの世界を導く主人であり、たとえ世界で生きる人々が異なった立場に立とうとも、「共々に喜ぶため」に世界全体を導かれるお方です。世界の混乱した部分に目を留めるのではなく、世界の主である神に目を留められますようお勧めします。

 皆様が「永遠の命」に満たされて日々を過ごすことができますよう、お祈りいたします。
 天の父なる神様。私たちは日ごとの糧を得るために、日々それぞれの働きをしています。しかし、私たちはたった一人で生きている訳ではありません。収穫の主であられる神様。様々な人間関係に悩む私たちをお助けくださり、共々に喜びながら日々を過ごすことができますよう、私たちをお導きください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/07/01

2020年7月5日の聖書日課


(写真:アジサイ)

ヨハネ4:27-42
 4:27 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。
 4:28 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
 4:29 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
 4:30 人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。
 4:31 その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
 4:32 ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。
 4:33 そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。
 4:34 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。
 4:35 あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
 4:36 刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
 4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
 4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。
 4:39 さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
 4:40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。
 4:41 そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
 4:42 彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/06/28

2020年6月28日3分メッセージ



 ミカ4章5節をお読みします。
すべての民はおのおのその神の名によって歩む。しかしわれわれはわれわれの神、主の名によって、とこしえに歩む。

 聖書の民であるイスラエル人は、人の名前を重視します。彼らは、人の名前にその人の性質が表れると考えるからです。そのために出エジプトの指導者、モーセは人々に説明するために、神の名前を尋ね求めました(出エジプト3章13節)。
 聖書には、神の性質を説明する神の名前が多く記されています。モーセに告げられた神の名前「ヤハウェ(主)」とは、「わたしは有る」という意味です(出エジプト3章14節)。また、神を賛美する目的で、神の名前を人の名前に組み込むこともよくあります。「ミカ」という名前は、「誰が主のような方であろうか」という意味です(ミカ1章1節、7章18節参照)。
 イスラエル人にとって名前をつけたり、名前を呼ぶことは、神への信仰を告白することにつながります。先ほどお読みした聖書の言葉、「われわれの神、主の名によって、とこしえに歩む」とは、日々の生活の中で信仰を実践していく決意を示しています。
 皆さんにとって「神」とはどのような存在でしょうか。聖書の神は、決まりきったご利益だけに働くお方ではありません。決して一言だけで言い表すことのできない、数多くのすばらしい性質が「神の名前」として聖書にちりばめられています。私たちが知っている以上の豊かな神の名前を、聖書を読んで発見してみてください。きっと皆さんの人生がより豊かにされるはずです。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。信仰の先人たちは、神なるあなたの御名を呼び、あなたは彼らにお答えになりました(詩篇99篇6節)。「わたしは有る」と言われる神様。あなたが確かにおられることを私たちに示してください。そして私たちの切なる祈りを聞き届けてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/06/22

2020年6月28日の聖書日課



(写真:トケイソウ)

ミカ4:1-7
 4:1 末の日になって、
主の家の山はもろもろの山のかしらとして
堅く立てられ、
もろもろの峰よりも高くあげられ、
もろもろの民はこれに流れくる。
 4:2 多くの国民は来て言う、
「さあ、われわれは主の山に登り、
ヤコブの神の家に行こう。
彼はその道をわれわれに教え、
われわれはその道に歩もう」と。
律法はシオンから出、
主の言葉はエルサレムから出るからである。
 4:3 彼は多くの民の間をさばき、
遠い所まで強い国々のために仲裁される。
そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、
そのやりを打ちかえて、かまとし、
国は国にむかってつるぎをあげず、
再び戦いのことを学ばない。
 4:4 彼らは皆そのぶどうの木の下に座し、
そのいちじくの木の下にいる。
彼らを恐れさせる者はない。
これは万軍の主がその口で語られたことである。
 4:5 すべての民はおのおのその神の名によって歩む。
しかしわれわれは
われわれの神、主の名によって、とこしえに歩む。
 4:6 主は言われる、その日には、
わたしはかの足のなえた者を集め、
またかの追いやられた者および
わたしが苦しめた者を集め、
 4:7 その足のなえた者を残れる民とし、
遠く追いやられた者を強い国民とする。
主はシオンの山で、今よりとこしえに
彼らを治められる。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/06/21

2020年6月21日3分メッセージ



 第一ヨハネ2章27節をお読みします。
あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。…

 新約聖書に収められている手紙のほとんどは、キリストの使徒から教会に宛てて書かれたものです。先ほどお読みした「ヨハネの第一の手紙」も同じです。この手紙の中の「あなたがた」とは、教会のクリスチャンたちのことを指しています。
 「キリストからいただいた油」とは、キリストがクリスチャンに注ぐと約束された「神の御霊」すなわち「聖霊」を意味します(ヨハネ7章37~39節)。それは「真理の御霊」(ヨハネ14章17節)とも言われていて、クリスチャンに真理を悟らせる力を持っています。
 私たちクリスチャンは、人生の真理を学ぶために聖書を読み、聖書から多くのことを教えられます。また教会の交わりの中で、多くのクリスチャンたちから教えられることもあります。しかし、聖書が教える真理とは、誰にも理解できないような高度な知識ではありません。むしろ、誰の心のうちにもある当たり前の知識でありながら、その本質を自分のものとすることが難しいようなものです。そのような真理の一つは「愛」です(第一ヨハネ2章5節)。
 そのような大切な真理を自分のものとするために、私たちはキリストが賜る油、すなわち真理の御霊が必要です。

 皆様の心のうちに真理の御霊が豊かに注がれますように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは聖書を読むことを通じて、多くの大切な真理について学ぶことができます。これらの真理がいかなるものであるかを知ることができるように、また知るだけではなく、真理に導かれて充実した日々を送ることができるように、私たちにキリストの油を、真理の御霊を注いでください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/06/15

2020年6月21日の聖書日課


(写真:ドクダミ)

第一ヨハネ2:22-29
 2:22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。
 2:23 御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。
 2:24 初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
 2:25 これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。
 2:26 わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。
 2:27 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
 2:28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
 2:29 彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/06/14

2020年6月14日3分メッセージ



 申命記6章20節、21節をお読みします。
後の日となって、あなたの子があなたに問うて言うであろう、『われわれの神、主があなたがたに命じられたこのあかしと、定めと、おきてとは、なんのためですか』。その時あなたはその子に言わなければならない。…

 今回お読みした申命記は、イスラエル人をエジプトから脱出させたモーセが人生の終わりに語った言葉です。モーセは十戒を始めとする数々の戒めによりイスラエル人を教育しました。
 今日も私たちクリスチャンは、何千年も昔のモーセの言葉に学んでいます。聖書の教えは、時代を超えた普遍的な真理を語っていると信じているからです。また旧約聖書も新約聖書も、後々の時代の子々孫々に至るまで聖書の真理を教えよ、と命じています(黙示録22章10節)。
 申命記においても、聖書の真理を心に留め、それを後の時代の子孫に受け継がせよ、と命じています(申命記6章6、7節)。自分だけ良ければ、あるいは今だけ良ければそれで良い、というのは聖書の精神には合いません。
 また、聖書の命令に従う信仰は、ほかの人々に説明できないような非合理的なものでは良くありません。子どもというものは、すべての物事に理由を求めます。そして、自ら納得の行く答えを得られると、それを自分のものとすることができます。それは信仰も例外ではありません。
 実は、私もクリスチャンの両親の信仰を間近に見ていました。そして、信仰の価値を見いだすことができたので、私自身の信仰を持つようになりました。皆様も、時代を超える真理を聖書に見いだし、自分のものとされますようにと願います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの手元に聖書があります。これは遥か昔の時代から、雲のように多くの人々の手を経て、私たちに届けられました(ヘブル12章1節)。多くの人々が見いだした真理を、私たちも自分のものとすることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)