ピリピ2:12-162:12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。2:14 すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。2:15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。2:16 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。
クリスチャンは、天の父なる神から投じられた火(ルカ12:49)のように燃える、神からの願い(:13)を心に抱くことがあります。それは、燃え盛る欲望とは異なる、神のよしとされる聖なる願いです。その願いを「つぶやかず疑わないで」(:14)実行することで、天の神のわざが地上に実現することになります。そのように歴代のクリスチャンたちが良いわざを実行して、「星のようにこの世に輝いて」(:15)います。
教会も神の作品の一種です。この世のあらゆる事業は「一つ思い」(:2)で取り組むことが不可欠なように、教会も一致することが必要です。一致するためには「へりくだった心」(:3)が必要です。それは「御霊の交わり」(:1)の中で与えられます。
教会は神と人とが「一つ思い」になることで生まれ、成長し、維持されます。教会が一致する時、クリスチャンは「神の子」(:15)と認められるのです。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)