2020/12/27

2020年12月27日3分メッセージ



 エペソ3章6節をお読みします。
それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。

 冒頭の「それ」とは、「キリストの奥義」(エペソ3章4節)を示しています。キリストより前の時代には、神の民イスラエルとその他の国民、つまり異邦人には区別があり、神の約束を得られる資格に制限がありました(エペソ3章5節)。
 しかし、イエス・キリストがこの地上に現われ、神の約束の制限を取り除き、すべての人が神の約束にあずかることができるようにされました。そのことを可能としたのが、キリストの十字架です。
 福音は、キリストが十字架にかかられたことによって、人々の間にあった敵意を打ち壊し、人々を一つにすることを語ります(エペソ2章13~16節)。そのように、神の祝福は人々が互いに信頼し合い、平和を保つ中にもたらされます。キリストはこの世界に平和をもたらすため、すべての人の罪と敵意を一身に負わなければならなかったのです(第一ペテロ2章24節)。
 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)私たちもキリストの奥義を覚えつつ、平和を作り出すものとなりたいと思います(マタイ5章9節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの生きるこの世界に平和をもたらすため、イエス・キリストをお送りくださったことを感謝いたします。私たちも神の祝福にあずかって、平和の子として日々を歩むことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/12/21

2020年12月27日の聖書日課

(写真:フユサンゴ)

エペソ3:2-12
 3:2 わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。
 3:3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
 3:4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
 3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
 3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
 3:7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。
 3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
 3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
 3:10 それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
 3:11 わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。
 3:12 この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)


2020/12/20

2020年12月20日3分メッセージ



 ミカ5章2節をお読みします。
しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。

 イエス・キリストがクリスマスの夜に生まれた後、イスラエルよりはるか東の国から博士たちが長い旅をしてイスラエルの都、エルサレムにやって来ました。その話を聞いたイスラエルの王様、ヘロデはキリストの居場所を調べさせたところ、預言書のミカ書に記されている通りユダヤのベツレヘムにいることを突き止めました(マタイ2章1~6節)。
 イスラエルを治めるべきキリストは大都会に生まれたのではありませんでした。その生まれの地、ベツレヘムはイスラエルの町々の中でも小さな町でした。また、キリストは王様の住む王宮に生まれたのでもありませんでした。キリストは貧しい大工の息子として、さらには旅の途中の家畜小屋で生まれたのでした(ルカ2章1~7節)。
 神によって特別に選ばれた民、イスラエルの人々のほとんどはキリストが生まれたことに気づきませんでした。しかし、イスラエルから遠く離れていた外国人である東の博士たち、また町の外で野宿をしていた羊飼いたちがキリストの誕生を知って、会いに出かけていき、そしてキリストに出会うことができました。
 クリスマスはあなたに天からの祝福と平和を与えるために、イエス・キリストが誕生されたことを知らせています(ミカ5章5節)。このクリスマスの知らせを聞かれた皆様に天からの祝福がありますようにお祈りさせていただきます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。今年もクリスマスの季節がやってまいりました。クリスマスは、イエス・キリストが私たちに平和を与えるために誕生されたことを知らせています。私たちもクリスマスのお祝いとともに、天からの祝福と平和を味わうことができますように。今年も天からの祝福に満たされたクリスマスを過ごすことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/12/17

2020年12月17日3分メッセージ



愛し励まして下さる神様  志村キリスト教会 日高佐和子

 私が教会に通い始めたのは16年前、63才の時でした。それより前に、私は小学生の頃、しばらく教会の日曜学校に通っていましたが、中学生になると行かなくなり、以後長い間教会から離れていました。
 結婚して息子二人と娘一人を授かり、忙しい日々を過ごしました。そして10代の娘を置き去りにして、京都の田舎に住んでいた両親の遠距離介護に明け暮れることとなり、娘の気持に気付けませんでした。最も母親を必要としたであろう思春期に殆ど放っておかれた娘は、20代早々うつ状態に沈み、ようやく気付いた私も共にトンネルの暗闇の中で涙に暮れることとなりました。
 そんな私達母娘を神様、イエス様は光の中へと引張り出して下さったのです。教会へ通い始めた私は、すぐに「聖書は面白い!これは生涯学び続けたい!」と、思いました。聖書には“人とはどういうものか”が克明に描かれていて、“その人間を、万物を造られた神様とは?”、“神の子なるイエス・キリストとは?その教えは?”など、学ぶ程に尽きない興味が湧いて来ます。
 それから紆余曲折はありましたが、二人で教会に通ううち、娘の心にもイエス様はしっかり入って下さり、共に再出発することが出来たのです。今、娘は結婚して仕事を頑張っており、私は礼拝、祈祷会、クリスチャンの様々な集会に行くことが楽しくてなりません。
 聖書の教えは究極のプラス思考の教えだと思います。イエス様の十字架はプラス印なのですから。“あすのための心配は無用です。”(マタイの福音書6章34節)、“私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している”(イザヤ書43章4節)と言って下さる神様がおられるとは何と嬉しいことでしょう!
 現在、競争社会に於て生き難さに悩む人も多いと思います。神の愛を知り、イエス様が共に歩んで下さることを信じることが出来れば、生きる勇気が得られるのではないでしょうか。キリストの教えの素晴らしさをお伝えしたいものと思う次第です。

2020/12/14

2020年12月20日の聖書日課

(写真:ポインセチア)

ミカ5:1-3
 5:1 今あなたは壁でとりまかれている。
敵はわれわれを攻め囲み、
つえをもってイスラエルのつかさのほおを撃つ。
 5:2 しかしベツレヘム・エフラタよ、
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのために出る。
その出るのは昔から、いにしえの日からである。
 5:3 それゆえ、産婦の産みおとす時まで、
主は彼らを渡しおかれる。
その後その兄弟たちの残れる者は
イスラエルの子らのもとに帰る。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/12/13

2020年12月13日3分メッセージ



 ピリピ4章6節、7節をお読みします。
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

 聖書は多くの所で「恐れてはならない」(創世記15章1節)、「心配するな」(マルコ13章11節)と私たちに語りかけています。
 私たちはいろいろな物事のために恐れたり、心配することがあります。あるいは、心の恐れや心配を隠して、まるでそうではないかのように振舞うことがあります。また、他人から「心配するな」と言われたから心配しなくなるとも限りません。
 聖書が語りかける「恐れるな」という言葉には、必ず根拠があります。ピリピ書の「思い煩うな」という言葉の根拠は「神への祈り」にかかっています。
 聖書の教える「祈り」とは、呪文や自己暗示のようなものとは違います。それは聖書の神に対する切実な訴えです。聖書の神は私たちの祈りを聞いてくださるお方です(詩篇77篇1節)。ですから、「事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ」なさいと勧められているのです。
 神が私たちの祈りを確かに聞いておられることを知ることができます。それは、神に祈りを捧げるなら、「人知を超えた神の平安」が与えられます。しかし、祈りの答えがすぐに与えられるとは限りません。神の最善の時に祈りの答えが与えられることを信じ、平安な気持ちになるまで祈り続けることが、祈りの秘訣です。

 皆様の心から思い煩いから消え去りますようにお祈りさせていただきます。
 天の父なる神様。聖書は「思い煩うな」と私たちに語りかけます。全知全能の神様にすべてをお任せすることができるよう、私たちから思い煩う心を取り去ってくださり、代わりに平安な心を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/12/07

2020年12月13日の聖書日課

(写真:ヒメツルソバ)

ピリピ4:4-9
 4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。
 4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
 4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
 4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
 4:8 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
 4:9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)