2020/08/17

2020年8月23日の聖書日課

(写真:オミナエシ)

ヨブ28:12-28
 28:12 しかし知恵はどこに見いだされるか。
悟りのある所はどこか。
 28:13 人はそこに至る道を知らない、
また生ける者の地でそれを獲ることができない。
 28:14 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。
また海は言う、『わたしのもとにない』と。
 28:15 精金もこれと換えることはできない。
銀も量ってその価とすることはできない。
 28:16 オフルの金をもってしても、
その価を量ることはできない。
尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。
 28:17 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。
また精金の器物もこれと換えることができない。
 28:18 さんごも水晶も言うに足りない。
知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。
 28:19 エチオピヤのトパズもこれに並ぶことができない。
純金をもってしても、その価を量ることはできない。
 28:20 それでは知恵はどこから来るか。
悟りのある所はどこか。
 28:21 これはすべての生き物の目に隠され、
空の鳥にも隠されている。
 28:22 滅びも死も言う、
『われわれはそのうわさを耳に聞いただけだ』。
 28:23 神はこれに至る道を悟っておられる、
彼はそのある所を知っておられる。
 28:24 彼は地の果までもみそなわし、
天が下を見きわめられるからだ。
 28:25 彼が風に重さを与え、
水をますで量られたとき、
 28:26 彼が雨のために規定を設け、
雷のひらめきのために道を設けられたとき、
 28:27 彼は知恵を見て、これをあらわし、
これを確かめ、これをきわめられた。
 28:28 そして人に言われた、
『見よ、主を恐れることは知恵である、
悪を離れることは悟りである』と」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/16

2020年8月16日3分メッセージ



 詩篇146篇3節と5節をお読みします。
もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。…ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。

 神の民、イスラエル人は世代を超えて、同じ聖書の神を礼拝し、詩篇146篇のような賛美歌を歌い継いできました。
 長い歴史の中で、イスラエルの周辺には様々な国や君主が興り、また亡んでいきました。時には他国の支配に服することもありましたが、それらの支配者もまた消えていきました。
 イスラエルの国も、モーセに導かれた時代があり、王様や指導者によって導かれた時代があり、戦いに負けて国を失う時代もありました。彼らが歌う「もろもろの君」とは、諸外国のみならずイスラエルの国自体も含んでいます。
 そして、土から取られ、土に帰る人間(創世記3章19節)に信頼することは空しいことであることを告げて(詩篇146篇4節)、このように歌っています。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」(詩篇20篇7節)
 私たち人間は周りの状況が変われば、それに合わせて変化していかなければなりません。しかし、時代が変わっても決して変わらない聖書の神に、私たちの救いの希望をおいていきたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは自分の見る所や、世の中の権力や評判に頼りがちです。しかし、次の瞬間には消えてなくなってしまうものではなく、決して消えることのないものに望みをおきます。どうぞ私たちの心をお守りください(マタイ6章19~21節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/10

2020年8月16日の聖書日課

(写真:キキョウ)

詩篇146:1-10
 146:1 主をほめたたえよ。
わが魂よ、主をほめたたえよ。
 146:2 わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、
ながらえる間は、わが神をほめうたおう。
 146:3 もろもろの君に信頼してはならない。
人の子に信頼してはならない。
彼らには助けがない。
 146:4 その息が出ていけば彼は土に帰る。
その日には彼のもろもろの計画は滅びる。
 146:5 ヤコブの神をおのが助けとし、
その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。
 146:6 主は天と地と、海と、
その中にあるあらゆるものを造り、
とこしえに真実を守り、
 146:7 しえたげられる者のためにさばきをおこない、
飢えた者に食物を与えられる。
主は捕われ人を解き放たれる。
 146:8 主は盲人の目を開かれる。
主はかがむ者を立たせられる。
主は正しい者を愛される。
 146:9 主は寄留の他国人を守り、
みなしごと、やもめとをささえられる。
しかし、悪しき者の道を滅びに至らせられる。
 146:10 主はとこしえに統べ治められる。
シオンよ、あなたの神はよろず代まで統べ治められる。
主をほめたたえよ。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/09

2020年8月9日3分メッセージ



 ヨハネ6章51節をお読みします。
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

 キリストは五千人以上の人々にパンを与える奇跡を行いました。人々はそれに熱狂して、キリストを王様に担ぎ上げようとしましたが(ヨハネ6章1~15節)、キリストは先ほどお読みした言葉を語りました。
 人々はキリストが期待はずれだと思い、奇跡を体験したにもかかわらず彼の許を去りました(ヨハネ6章41節、42節、66節)。人々はパンを食べて満腹しましたが、キリストが語った「天から下ってきた生きたパン」を理解することができませんでした。
 キリストは目に見えるパンを用いて、目に見えない真理を伝えています。その真理とはこういうことです。私たち人間はパンやごはんを食べて体を養います。キリストは私たちの体や心だけではなく、永遠に続く私たちの霊魂を養う糧を与えられるのです。
 私たちの霊魂を養うために、キリストはご自分の肉を与えられます。それはキリストの十字架による犠牲を意味します。
 キリストはこのような祈りの言葉を教えられました。「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ6章11節)キリストは私たちの体や心だけではなく、私たちの霊魂を健やかにさせる糧を与えられます。私たちは今日もキリストの糧に養われて過ごしたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは毎日、身も心も養われる必要があります。どうぞ私たちの心の底からの飢え渇きを癒してください。キリストが賜る天からのパンによって、私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/03

2020年8月9日の聖書日課


(写真:カイコウズ)

ヨハネ6:41-51
 6:41 ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。
 6:42 そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
 6:43 イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。
 6:44 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。
 6:45 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。
 6:46 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
 6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
 6:48 わたしは命のパンである。
 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
 6:50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
 6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/02

2020年8月2日3分メッセージ



 列王紀上17章13節、14節をお読みします。
エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。

 神の預言者であるエリヤは、神の言葉に従ってザレパテの町に行きました。その所で一人の女性を見かけて、食事を求めました。
 その時期、土地には雨が降らず、人々は飢きんに苦しんでいました。声をかけられた女性も、息子と二人暮らしであり、わずかな食料しか手元にないことをエリヤに正直に告げました(列王紀上17章1~12節)。その言葉に対し、エリヤは先ほどお読みした言葉を語ったのです。
 ザレパテの女性は神の預言者の言葉に従いました。彼女の思いとしては、目先の物事に生きる希望を失っていて、神の言葉にすべてを託そうとしたのかもしれません。その結果、彼女は神の言葉通り、飢きんの中で食事に不足することがありませんでした(列王紀上17章15節、16節)。
 この聖書の言葉は、私たちに信じることの大切さを教えています。またザレパテの女性の姿は、キリストが語られた「まことの礼拝」(ヨハネ4章23節)をはっきりと示しています。つまり、神の言葉はまこと(本当)であると信じ、神の救いを期待してまこと(誠実)の心で行動することが必要であるということです(ヘブル11章6節)。私たちも神に祈る時に、ザレパテの女性の誠実さにならって祈りましょう。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは「まことの礼拝」の心をもって祈る、その祈りを聞き届けてくださるお方です。私たちもまことの心をもって、素直に、誠実に祈ることができますように。私たちのまことの祈りを聞き届けてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/08/01

2020年8月2日の聖書日課


(写真:オトギリソウ)

列王紀上17:8-16
 17:8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 17:9「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。
 17:10 そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。
 17:11 彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。
 17:12 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
 17:13 エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
 17:14 『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。
 17:15 彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。
 17:16 主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)