2024/12/15

2024年12月15日「広く開かれた心」

ピリピ4:4-7

 4:4 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

 4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。

 4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

 4:7 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

 著者パウロは手紙の結びに「喜びなさい」(:4)と記しました。この言葉はギリシャ語の日常的なあいさつ(カイレテ)ですが、本来の意味である「喜び」を繰り返して強調しています。またその喜びの根拠は「主にあって」ということです。

 パウロは他の手紙でも「心を開いてほしい」(コリント第二7:2)と書いていますが、その理由は「主は近い」(:5)からです。誰でも信頼をおけない人に対して心を開くことはできません。しかし、「心と思いとを、キリスト・イエスにあって守る」(:7)お方が私たちの近くにおられるのです。

 この世は思い煩いに満ちています。そのため私たちの心も固く閉じてしまうのです。しかし聖書は語ります。「思い煩わず、感謝をもって祈りをささげなさい」(:6)と。祈るとき、私たちの心に神の平安(:7)が訪れ、寛容な心(:5)へと造り変えられます。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ第一5:16-18)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/12/08

2024年12月8日「クリスマスの奇蹟」

マタイ13:54-58

 13:54 そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。 

 13:55 この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。

 13:56 またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。

 13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。

 13:58 そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。

 イエス・キリストは郷里のナザレ(マタイ2:23)に行き、会堂で礼拝する人々に向かって説教をしました。ナザレの人々は、山上の説教を聞いた人々と同じように驚きました(マタイ7:28)。彼らはキリストの教えの深さを頭では理解し、キリストが行った奇蹟をも見聞きしていました。しかし、ナザレの人々はキリストを信じませんでした(:57-58)。彼らは今日の私たち以上にキリストの身近にいて、キリストの家族関係まで詳細に知っていたにも関わらず…(:55-56)。

 キリストの誕生を祝うクリスマスは、日本でも身近な年中行事の一つです。しかし、クリスマスの中心的な意義について、どれほど理解されているでしょうか。クリスマスに秘められた大切な教え、その奇蹟について、はたから眺めているのではなく、自ら飛び込んでその醍醐味を味わってみませんか。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」(ルカ2:10)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/12/01

2024年12月1日「さあ主の山に上ろう」

イザヤ2:2-5
 2:2 終りの日に次のことが起る。
主の家の山は、
もろもろの山のかしらとして堅く立ち、
もろもろの峰よりも高くそびえ、
すべて国はこれに流れてき、
 2:3 多くの民は来て言う、
「さあ、われわれは主の山に登り、
ヤコブの神の家へ行こう。
彼はその道をわれわれに教えられる、
われわれはその道に歩もう」と。
律法はシオンから出、
主の言葉はエルサレムから出るからである。
 2:4 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、
そのやりを打ちかえて、かまとし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない。
 2:5 ヤコブの家よ、
さあ、われわれは主の光に歩もう。

 預言者イザヤが「終りの日」、つまり終末の時代の預言を語りました(イザヤ2:1)。終りの日とは、すべてが終り、無くなってしまう日ではありません。終りの日に新しい事が起き、新しい神の業が行われると預言で語られています(:2)。

 クリスマスは一年の「終りの日」であり、「始まりの日」でもあります。最も暗やみに包まれる季節(冬至)に、キリストがいのちの源として、「主の光」(:5)として私たちに与えられました。

 川は、高い山の頂から低い海の底に向けて流れて行きます。終りの日に起きる奇跡、それは主の山に向けて川が遡るように、もろもろの国の民が主の山、エルサレムに流れてくることです。それは、人々が神のみことばに自ら行くべき道を(:3)、光を(:5)見出したからです。神が教える道は平和の道です(:4)。「さあ、われわれは主の光に歩もう。」(:5)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024年12月22日(日) クリスマス礼拝

作者:太田玲子(鶴見福音教会

志村キリスト教会のクリスマス

2024年
12月22日(日)10:30~11:45 クリスマス礼拝

2025年
1月1日(水)10:30~11:45 元旦礼拝

※12月21日まで内装工事中ですが定例集会は休まず行っています。
どなたでもご出席いただけます。ぜひお越しください。

2024/11/29

2024年11月29日(金) 内装工事

 
 志村教会で内装工事が行われています。工期は12月21日(土)までを予定していますが、その間各集会とも休まず開催します。工事中は足元が悪い状態ですので、お越しの際はくれぐれも注意して中にお入りください。各集会とも2階の礼拝堂で行います。

2024/10/24

2024年10月24日(木) 海外宣教祈祷会

 

 志村教会の木曜日の祈祷会に、カルスター神召教会(アメリカ・カルフォルニア州)の石原シンシア充江先生が来られ、米国宣教の証をしてくださいました。アメリカ在住の日系人の救いのため、志村教会でも引き続きお祈りいたします。

2024/09/08

2024年9月8日(日) 洗礼式


  本日は主日礼拝の前に洗礼式が行われました。洗礼式はイエス・キリストの命令によるもので(マタイ28:19)、教会員となる前に行われる入会儀式です。志村キリスト教会では、1階の床下に、全身を水に浸して行う洗礼式(浸礼)を行うための「洗礼槽」があります。前日より洗礼槽を清掃し、当日の朝、水を張って準備しました。

 今回洗礼を受けられた兄弟(男性のクリスチャン)は、「朝早く眠かったが、洗礼を受けて目が覚めた!」と興奮気味に語っていました。おそらく、それ以上の感動的な体験を得たのだろうな、と先輩の教会員たちは喜んで、その兄弟を教会の仲間に迎えてくれました。