1)十字架のもとに われは逃れ
重荷をおろして しばし憩う
あらし吹くときの いわおのかげ
荒れ野の中なる わが隠れが
2)十字架の上に われはあおぐ
わがため悩める 神のみ子を
たえにも尊き 神の愛よ
はかりも知られぬ 人の罪よ
3)十字架のかげに われは立ちて
み顔のひかりを たえず求めん
この世のものみな 消ゆるときも
くすしく輝く そのひかりを
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について
2024/03/10
2024/03/03
2024年3月3日3分メッセージ
賛美歌:讃美歌21・297「栄えの主イエスの」
聖書:ヨハネ6:60-71
キリストは、湖のほとりに集まってきた大ぜいの群衆にパンを与える奇跡を行いました(ヨハネ6章1~14節)。その目的は、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ4章4節)という聖書の教えを身をもって理解させるためでした。
しかし、群衆の中のある人々は、キリストを王にかつぎあげようとしました(ヨハネ6章15節)。それはキリストが望まれたことではなく、人々はキリストの奇跡を曲解してしまったのです。キリストは「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである」(ヨハネ6章26節)と指摘しました。
キリストは「わたしは天から下ってきた生きたパンである」(ヨハネ6章51節)と言われました。しかし、人々はその意味を理解せず、キリストの弟子たちの中からも「これは、ひどい言葉だ」(ヨハネ6章60節)と言って去るものが出ました。彼らはパンの奇跡を味わいながら、キリストが約束された「永遠の命」(ヨハネ6章54節)を味わうことができませんでした。しかし、十二弟子の一人ペテロは「永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネ6章68節)と言って理解を示しました。
キリストは「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」(ヨハネ6章27節)と勧めています。この世の営みでは決して得られない、キリストが賜る天の恵みに与りましょう。キリストはこのように言って私たちを招いています。「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。…生ける水が川となって流れ出るであろう」(ヨハネ7章37~38節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの内なる霊は、豪華な食事を食べても、ぜいたくな行楽に興じても、いずれは飢え、渇いてしまいます。しかし、キリストが約束された決して渇くことのない永遠の命を私たちに与えてください。日々、天からの恵みを食べて生きていくことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
聖書:ヨハネ6:60-71
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(ヨハネ6章63節)
キリストは、湖のほとりに集まってきた大ぜいの群衆にパンを与える奇跡を行いました(ヨハネ6章1~14節)。その目的は、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ4章4節)という聖書の教えを身をもって理解させるためでした。
しかし、群衆の中のある人々は、キリストを王にかつぎあげようとしました(ヨハネ6章15節)。それはキリストが望まれたことではなく、人々はキリストの奇跡を曲解してしまったのです。キリストは「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである」(ヨハネ6章26節)と指摘しました。
キリストは「わたしは天から下ってきた生きたパンである」(ヨハネ6章51節)と言われました。しかし、人々はその意味を理解せず、キリストの弟子たちの中からも「これは、ひどい言葉だ」(ヨハネ6章60節)と言って去るものが出ました。彼らはパンの奇跡を味わいながら、キリストが約束された「永遠の命」(ヨハネ6章54節)を味わうことができませんでした。しかし、十二弟子の一人ペテロは「永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネ6章68節)と言って理解を示しました。
キリストは「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」(ヨハネ6章27節)と勧めています。この世の営みでは決して得られない、キリストが賜る天の恵みに与りましょう。キリストはこのように言って私たちを招いています。「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。…生ける水が川となって流れ出るであろう」(ヨハネ7章37~38節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの内なる霊は、豪華な食事を食べても、ぜいたくな行楽に興じても、いずれは飢え、渇いてしまいます。しかし、キリストが約束された決して渇くことのない永遠の命を私たちに与えてください。日々、天からの恵みを食べて生きていくことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
讃美歌21・297「栄えの主イエスの」
1)栄えの主イエスの 十字架をあおげば
世の富 ほまれは 塵にぞひとしき
2)十字架のほかには 誇るものあらず
この世のものみな 消えなば消え去れ
3)見よ 主のみかしら み手とみ足より
恵みと悲しみ こもごもながるる
4)恵みと悲しみ ひとつにとけあい
いばらはまばゆき 冠(かむり)とかがやく
5)ああ 主の恵みに 応うる道なし
わが身のすべてを 主の前に献ぐ
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
世の富 ほまれは 塵にぞひとしき
2)十字架のほかには 誇るものあらず
この世のものみな 消えなば消え去れ
3)見よ 主のみかしら み手とみ足より
恵みと悲しみ こもごもながるる
4)恵みと悲しみ ひとつにとけあい
いばらはまばゆき 冠(かむり)とかがやく
5)ああ 主の恵みに 応うる道なし
わが身のすべてを 主の前に献ぐ
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
2024/03/01
2024年3月31日(日) イースター礼拝
2024年3月31日(日) 10:30~11:45
イースター礼拝
志村キリスト教会 牧師:横山唯一
〒174-0041 東京都板橋区舟渡2-7-10
TEL&FAX 03-3969-7040
E-mail: jag4mura_kyokai@yahoo.co.jp
2024/02/27
2024年2月25日(日) ギデオン協会宣教報告
世界中で聖書を配布・贈呈する活動を行っている日本国際ギデオン協会の皆様が、5年ぶりに志村キリスト教会にお越しくださいました。今回は、コロナ禍においても活動を継続してきた報告を聞くことができました。
見えるところの状況が変わらないように思えても、着実に新しい時代が始まっている、そのようなことを思わされました。今年のイースターは3月31日です。志村教会もキリストの復活の信仰に立ち、新しい歩みを踏み出したいと思います。
2024/02/25
2024年2月25日3分メッセージ
賛美歌:讃美歌21・434「主よみもとに」
聖書:ヨハネ9:35-41
イエス・キリストは、シロアムの池の近くに住んでいた盲人の目を開ける奇跡を行いました(ヨハネ9章7節)。それに対し、キリストが戒律により働くことが禁じられている安息日に奇跡を行ったことを問題視する人々がありました(ヨハネ9章16節)。
キリストの奇跡を体験した人は、その体験ゆえにキリストを神からつかわされた預言者であると認めました(ヨハネ9章17節)。一方、キリストを問題視した人々は出来事を十分に確かめることなく、キリストを罪人だとしました(ヨハネ9章24節)。そして、奇跡を体験した人を追放して、出来事の検証を放棄してしまいました(ヨハネ9章34節)。キリストが「見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになる」と言われた通りとなりました。
キリストは、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と語りました(ヨハネ3章3節)。ある者はニコデモ(ヨハネ3章)のようにキリストに教えを求めましたが、別の者はキリストの言葉に耳を貸そうとせず、喜ばしい出来事すら目をふさぐようにして認めない者がありました。私たちはどちらの立場に立つでしょうか。
キリストはこのようにも語っています。「わたしは父にお願いしよう。…それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。」(ヨハネ14章16~17節)真理を目にし、耳にするとき、もし私たちの心がそれに従うことを好まなくても、素直に受け入れましょう。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ8章32節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちが真理を目にし、耳にするとき、耳が痛い思いがしても素直に受け入れることができますように。私たちを真理によって教え導いてくださいますように。真理によって私たちを聖別してくださいますように(ヨハネ17章17節)。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
聖書:ヨハネ9:35-41
そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。(ヨハネ9章39節)
イエス・キリストは、シロアムの池の近くに住んでいた盲人の目を開ける奇跡を行いました(ヨハネ9章7節)。それに対し、キリストが戒律により働くことが禁じられている安息日に奇跡を行ったことを問題視する人々がありました(ヨハネ9章16節)。
キリストの奇跡を体験した人は、その体験ゆえにキリストを神からつかわされた預言者であると認めました(ヨハネ9章17節)。一方、キリストを問題視した人々は出来事を十分に確かめることなく、キリストを罪人だとしました(ヨハネ9章24節)。そして、奇跡を体験した人を追放して、出来事の検証を放棄してしまいました(ヨハネ9章34節)。キリストが「見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになる」と言われた通りとなりました。
キリストは、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と語りました(ヨハネ3章3節)。ある者はニコデモ(ヨハネ3章)のようにキリストに教えを求めましたが、別の者はキリストの言葉に耳を貸そうとせず、喜ばしい出来事すら目をふさぐようにして認めない者がありました。私たちはどちらの立場に立つでしょうか。
キリストはこのようにも語っています。「わたしは父にお願いしよう。…それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。」(ヨハネ14章16~17節)真理を目にし、耳にするとき、もし私たちの心がそれに従うことを好まなくても、素直に受け入れましょう。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ8章32節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちが真理を目にし、耳にするとき、耳が痛い思いがしても素直に受け入れることができますように。私たちを真理によって教え導いてくださいますように。真理によって私たちを聖別してくださいますように(ヨハネ17章17節)。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
讃美歌21・434「主よみもとに」
1)主よ みもとに近づかん
十字架の道 行くとも
わが歌こそ わが歌こそ
主よ みもとに近づかん
2)さすらう間に 日は暮れ
石にまくら するとも
夢にもなお 夢にもなお
主よ みもとに近づかん
3)天よりとどく かけはし
われをまねく みつかい
恵みうけて 恵みうけて
主よ みもとに近づかん
4)目さめてのち ベテルの
石を立てて 捧ぐる
祈りこそは 祈りこそは
主よ みもとに近づかん
5)天(あま)がけゆく つばさを
与えらるる その時
われら歌わん われら歌わん
主よ みもとに近づかん
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
十字架の道 行くとも
わが歌こそ わが歌こそ
主よ みもとに近づかん
2)さすらう間に 日は暮れ
石にまくら するとも
夢にもなお 夢にもなお
主よ みもとに近づかん
3)天よりとどく かけはし
われをまねく みつかい
恵みうけて 恵みうけて
主よ みもとに近づかん
4)目さめてのち ベテルの
石を立てて 捧ぐる
祈りこそは 祈りこそは
主よ みもとに近づかん
5)天(あま)がけゆく つばさを
与えらるる その時
われら歌わん われら歌わん
主よ みもとに近づかん
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
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