2022/01/08

2022年1月6日(木) 4年ぶりの大雪

 1月6日(木)、定例の祈祷会最中に関東南部では4年ぶりの大雪が降りました。晴天の翌日に雪はほとんど解けてなくなりましたが、日陰には解けた雪が凍りついて残っています。自動車や徒歩での行き来は、道路の状況をくれぐれも注意してください。無事に礼拝にお越しになられることをお待ちしています。

2022/01/03

2022年1月9日の聖書日課

(写真:ビワ)
出エジプト14:15-22
 14:15 主はモーセに言われた、「あなたは、なぜわたしにむかって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って彼らを進み行かせなさい。
 14:16 あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。
 14:17 わたしがエジプトびとの心をかたくなにするから、彼らはそのあとを追ってはいるであろう。こうしてわたしはパロとそのすべての軍勢および戦車と騎兵とを打ち破って誉を得よう。
 14:18 わたしがパロとその戦車とその騎兵とを打ち破って誉を得るとき、エジプトびとはわたしが主であることを知るであろう」。
 14:19 このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らのうしろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち、
 14:20 エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。
 14:21 モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。
 14:22 イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2022/01/02

聖書の植物~スイセン

 「荒れ地は喜び、花を咲かせる。
水仙のように花を咲かせ…」
(イザヤ35章1~2節)

 スイセンは、地中海沿岸原産の球根植物です。球根は極度の寒さや乾燥に耐えることができ、生育条件の整った時期に芽を出し、花を咲かせます。イスラエルにもクロッカス、アネモネ、シクラメンなどの多様な球根植物が自生しており、春に一斉に花を咲かせます。
 荒れ地にスイセンが花を咲かせ、香りを一面に漂わせる様子は、神による再生の力を力強く物語っています。

(フランシスコ会聖書研究所『聖書 原文校訂による口語訳』2013年版)

2022/01/01

2022年1月1日3分メッセージ



 ピリピ1章12節をお読みします。
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。

 使徒パウロは、兄弟と呼びかけるピリピの町のクリスチャンたちに、非常に親しい間柄であるからこそ知ってもらいたいこととして、このピリピ人への手紙を書き送りました。
 パウロの身に起ったこと、それはキリスト教宣教のために牢獄に繋がれてしまったということでした(ピリピ1章13節)。それはパウロの行動を取り調べていた者たちの目にも、明らかにパウロ自身の悪事によることではないと見えることでした。入獄そのものは決して良いことではありませんが、かえってこの機会を通してパウロ自身が願っていた福音宣教の前進に繋がったことを彼は見て取ったのです。
 パウロを他人の目から見るならば、見えてくるのは惨めな有様でしかありません。しかし、パウロは信仰の目によって希望を見出しました。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること」(ヘブル11章1節)です。また信仰は、祈りが確かに神に聞かれることを信じることであり、イエス・キリストの霊の助けと救いの業とを確信させるものです(ピリピ1章19節)。パウロが知らせたかったこと、それは信仰によって見出したキリストの現実です(ピリピ1章21節)。

 新しい年も信仰の目によって希望を見出すことができますように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。昨年も世界中の人々が同じ苦しみを味わいました。そして、世界中の多くの人々が救いを求めて祈り続けてきました。私たちは、私たちの祈りが確かに聞かれていることを信じ、主が新しい救いの業を働かせてくださることを求め続けます。どうぞ新しい年に希望を見させてください。見出した希望を他の人にも伝えることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2022年1月2日の聖書日課

(写真:パンジー)
ルカ2:41-51
 2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。
 2:42 イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。
 2:43 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
 2:44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
 2:45 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。
 2:46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
 2:47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
 2:48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
 2:49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
 2:50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
 2:51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2021/12/26

聖書の植物~アロエ

(写真:アロエ・ベラ)

「前に、夜イエスのもとに来たニコデモも、
没薬とアロエを混ぜた物を百リトラ
ばかり持って来た。」(ヨハネ19章39節)

 古代中東で交易されたアロエは、「アロエ・ベラ」という種類です。アロエ・ベラはアラビア半島原産で、アロエはアラビア語で「苦味」を意味し、食用、薬用、美容用に用いられました。乾燥に強く育てやすい植物ですが、イスラエルには加工された状態で入ってきました。
 前にキリストに教えを求めたニコデモ(ヨハネ3章)は、キリストの埋葬のため高価なアロエを大量に持参しました。ニコデモは言葉ではなく行いによってキリストへの敬意を表しました(第一ヨハネ3章18節)。

(日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』2018年版)

2021/12/25

2022年1月1日(土) 元旦礼拝

 
 志村キリスト教会の新年最初の集会は、1月1日(土)の元旦礼拝です。時間は定例の主日礼拝と同じ、10:30~11:30です。翌日の1月2日(日)は第一主日礼拝を行います。
 皆様の新年が、主イエス・キリストからの恵みと平安に満たされた一年でありますように。

 "Rejoice evermore"(いつも喜んでいなさい。第一テサロニケ5章16節)