2022/01/01

2022年1月1日3分メッセージ



 ピリピ1章12節をお読みします。
さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。

 使徒パウロは、兄弟と呼びかけるピリピの町のクリスチャンたちに、非常に親しい間柄であるからこそ知ってもらいたいこととして、このピリピ人への手紙を書き送りました。
 パウロの身に起ったこと、それはキリスト教宣教のために牢獄に繋がれてしまったということでした(ピリピ1章13節)。それはパウロの行動を取り調べていた者たちの目にも、明らかにパウロ自身の悪事によることではないと見えることでした。入獄そのものは決して良いことではありませんが、かえってこの機会を通してパウロ自身が願っていた福音宣教の前進に繋がったことを彼は見て取ったのです。
 パウロを他人の目から見るならば、見えてくるのは惨めな有様でしかありません。しかし、パウロは信仰の目によって希望を見出しました。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること」(ヘブル11章1節)です。また信仰は、祈りが確かに神に聞かれることを信じることであり、イエス・キリストの霊の助けと救いの業とを確信させるものです(ピリピ1章19節)。パウロが知らせたかったこと、それは信仰によって見出したキリストの現実です(ピリピ1章21節)。

 新しい年も信仰の目によって希望を見出すことができますように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。昨年も世界中の人々が同じ苦しみを味わいました。そして、世界中の多くの人々が救いを求めて祈り続けてきました。私たちは、私たちの祈りが確かに聞かれていることを信じ、主が新しい救いの業を働かせてくださることを求め続けます。どうぞ新しい年に希望を見させてください。見出した希望を他の人にも伝えることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)