(写真:ガーベラ)
マタイ6:1-8
6:1 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
6:2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
6:4 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
6:5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
6:8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/03
2021/05/02
2021年5月2日3分メッセージ
エペソ5章4節をお読みします。
また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
聖書は私たちに言葉の使い方について多くのことを教えています。また、立派な言葉を語った人々のことも聖書から学ぶことができます。
イスラエルの王ダビデは戦いの勇士であり、巧みな歌を歌う詩人でもありました。ダビデは先代の王サウルとの間に争いがありました。ダビデはサウルの王子ヨナタンの親友であり、サウルの娘と結婚した義理の息子でもありましたが、サウルはダビデを恐れて命を狙うようになりました(サムエル上18章)。
しかし、ダビデはサウルに剣を向けることはありませんでした。時に、サウルに手をかける機会があっても、ダビデはサウルに歯向かうことはせず、王に対する敬意を失うことがありませんでした(サムエル上24章)。最後、サウルはヨナタンとともに敵との戦いで死にますが、ダビデは哀悼の歌を歌ってサウルの死を悲しみました(サムエル下1章)。
ダビデと同じように、私たちはイエス・キリストに人生の模範を見ることができます。「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」(ペテロ第一2章22、23節)聖書の神は、不当な苦しみにあえぐ神の民を見過ごしにされることはありません。神は必ず苦しみのうちから引き上げてくださいます。現状を呪うような悪い言葉ではなく、神の救いを期待する良い言葉を語る者となりましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。キリストは「口から出るものが人を汚す」(マタイ15章11節)と教えられました。どうか私たちも、苦難にあって悪い言葉を語るのではなく、良い言葉を語って神の救いに期待する良い心を持たせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/01
2021年5月2日の聖書日課
(写真:サクラソウ)
第二サムエル1:17-27
1:17 ダビデはこの悲しみの歌をもって、サウルとその子ヨナタンのために哀悼した。――
1:18 これは、ユダの人々に教えるための弓の歌で、ヤシャルの書にしるされている。――彼は言った、
1:19 「イスラエルよ、あなたの栄光は、
あなたの高き所で殺された。
ああ、勇士たちは、ついに倒れた。
1:20 ガテにこの事を告げてはいけない。
アシケロンのちまたに伝えてはならない。
おそらくはペリシテびとの娘たちが喜び、
割礼なき者の娘たちが勝ちほこるであろう。
1:21 ギルボアの山よ、
露はおまえの上におりるな。
死の野よ、
雨もおまえの上に降るな。
その所に勇士たちの盾は捨てられ、
サウルの盾は油を塗らずに捨てられた。
1:22 殺した者の血を飲まずには、
ヨナタンの弓は退かず、
勇士の脂肪を食べないでは、
サウルのつるぎは、むなしくは帰らなかった。
1:23 サウルとヨナタンとは、愛され、かつ喜ばれた。
彼らは生きるにも、死ぬにも離れず、
わしよりも早く、
ししよりも強かった。
1:24 イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。
彼は緋色の着物をもって、
はなやかにあなたがたを装い、
あなたがたの着物に金の飾りをつけた。
1:25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。
ヨナタンは、あなたの高き所で殺された。
1:26 わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。
あなたはわたしにとって、いとも楽しい者であった。
あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、
女の愛にもまさっていた。
1:27 ああ、勇士たちは倒れた。
戦いの器はうせた」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
第二サムエル1:17-27
1:17 ダビデはこの悲しみの歌をもって、サウルとその子ヨナタンのために哀悼した。――
1:18 これは、ユダの人々に教えるための弓の歌で、ヤシャルの書にしるされている。――彼は言った、
1:19 「イスラエルよ、あなたの栄光は、
あなたの高き所で殺された。
ああ、勇士たちは、ついに倒れた。
1:20 ガテにこの事を告げてはいけない。
アシケロンのちまたに伝えてはならない。
おそらくはペリシテびとの娘たちが喜び、
割礼なき者の娘たちが勝ちほこるであろう。
1:21 ギルボアの山よ、
露はおまえの上におりるな。
死の野よ、
雨もおまえの上に降るな。
その所に勇士たちの盾は捨てられ、
サウルの盾は油を塗らずに捨てられた。
1:22 殺した者の血を飲まずには、
ヨナタンの弓は退かず、
勇士の脂肪を食べないでは、
サウルのつるぎは、むなしくは帰らなかった。
1:23 サウルとヨナタンとは、愛され、かつ喜ばれた。
彼らは生きるにも、死ぬにも離れず、
わしよりも早く、
ししよりも強かった。
1:24 イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。
彼は緋色の着物をもって、
はなやかにあなたがたを装い、
あなたがたの着物に金の飾りをつけた。
1:25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。
ヨナタンは、あなたの高き所で殺された。
1:26 わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためわたしは悲しむ。
あなたはわたしにとって、いとも楽しい者であった。
あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、
女の愛にもまさっていた。
1:27 ああ、勇士たちは倒れた。
戦いの器はうせた」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/04/25
2021年4月25日3分メッセージ
詩篇136篇1節をお読みします。
主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
詩篇は、聖書の神に対する賛美歌を集めたものです。私たちは詩篇の言葉から、聖書の神を主と呼んで信じ、従う人々の心に触れることができます。
詩篇136篇は、神に対する感謝の言葉が歌われています。感謝する根拠を並べて挙げて、それらの事柄すべてに神の恵みといつくしみを見出して、そして心からの感謝をもって神を賛美しています。
この詩篇の歌い手は、「もろもろの神の神」(詩篇136篇2節)というような、神の性格を説明する名前を挙げています。また、その名前の通りに、神は世界の歴史の中に生きて働いたことを挙げて(詩篇136篇10節)、さらに自ら体験した神の救いの業をも含めて(詩篇136篇23節)、それらすべてに「恵みといつくしみ」が一貫して働いていることを告白しています。
聖書は私たちに、「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ第一5章18節)と命じています。私たちは詩篇136篇から、感謝することの秘訣を学ぶことができます。それは、私たちの全生涯の中から感謝すべきことを見出すことができること、また全生涯に一貫して流れている「神の恵み」を見出すことができることです。
私たちは様々な問題に直面したり、また感謝できないような苦しい体験をすることがありますが、後になってそのような苦しい体験にも感謝すべきことがあったことを知ることがあります。また信仰というものは将来を見通す力でもあります。今は「神の恵み」を見出すことができなくても、いつくしみ深い神は必ず私に恵みを注いでくださる、と信じて将来に臨むことができます。ですから、聖書は「すべての事について、感謝しなさい。」と語っているのです。
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」決して尽きることのない神の恵みがあります。神の恵みに支えられて、今日という日を過ごすことができますように。
神の恵みを求めて、ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。聖書の神に向けられた賛美歌は古来より現在に至るまで尽きることがありません。その賛美の流れに私たちも加わることができますように。主の恵み深さを味わいつつ、神に賛美をささげることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/04/19
2021年4月25日の聖書日課
(写真:ハナニラ)
詩篇136:1-9
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを
なされる者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、
もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
詩篇136:1-9
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを
なされる者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、
もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/04/18
2021年4月18日3分メッセージ
マタイ12章39節をお読みします。
邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
イエス・キリストは人々に神の国について教え、悩み苦しむ人々のために奇跡を行いました。人々はこれを見て驚いてキリストをほめましたが、ある人々は逆にキリストを非難しました(マタイ12章22~24節)。
その後、キリストを非難した人々はキリストに「しるし」を見せるように願いました。「しるし」とは、キリストが「ダビデの子」と呼ばれる救世主であることを示す証拠のことです(マタイ12章38節)。
しかし、彼らの心はキリストに対する悪意に満ちていました(マタイ12章25節)。彼らは既にキリストの語った言葉とキリストが行ったわざとを見ていました。彼らの目的はキリストに落ち度を見出だして非難することであり、その落ち度を示す「しるし」を求めていたのです(ルカ20章20節)。
キリストは自らに反発する人々を押さえつけようとはしませんでした(マルコ14章61節)。それは、聞く耳を持たない人々に語っても、彼らが学び取ることはないことをわきまえておられたからです。しかし、キリストは聞く耳を持つ人々を教えて、信仰のある人々のために奇跡を行われました(ヨハネ5章6節)。
キリストはこのように語られました。「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」(マタイ13章12節)私たちは聖書から良いものを得ることができると信じて、聖書に学びたいと思います。聖書が約束している通り、すべて求める者には良いものが与えられます(マタイ7章7~12節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」(マタイ7章7節)という聖書の言葉を信じます。私たちが聖書に学ぶとき、私たちに天からの恵みを注いでください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/04/12
2021年4月18日の聖書日課
(写真:レンギョウ)
マタイ12:38-42
12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。
12:39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
12:41 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
12:42 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
マタイ12:38-42
12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。
12:39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
12:41 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
12:42 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
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