2021/03/07

2021年3月7日3分メッセージ



 ペテロ第一4章16節をお読みします。
しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。

 「クリスチャン」または「キリスト者」という言葉は、初めはクリスチャンが自ら名乗った言葉ではなく、クリスチャンではない人々から呼ばれるようになった言葉です(使徒11章26節)。
 最初の時代、クリスチャンは多くはなく、クリスチャンであることが世の中で有利に働くことはありませんでした。かえってクリスチャンであることで厳しい迫害に遭うことがありました。日本でも、キリシタンの名のもとに同じことが起こりました。
 クリスチャンや教会が世の中で特別に有利に働くことがあったのは、歴史的にも地域的にもごく限られた中だけのことです。人類の歴史の中で、また世界中における多くの場合では、クリスチャンはその信仰のゆえに苦しみを受けました。今の時代に生きる私たちもクリスチャンであるために苦しみを受けるなら、世界中の圧倒的多数のクリスチャンと同じ体験をしていることになります。
 そして、信仰の苦しみは最初に、イエス・キリストご自身が受けられました(ヨハネ15章18節)。キリストは私たちの苦しみを知っておられます。だから喜びなさい、と聖書は語っています(ペテロ第一4章13節)。
 聖書は、苦しんでいるクリスチャンに神の霊が宿ると約束しています(ペテロ第一4章14節)。神は確かに苦しむ者に聖霊を送って救ってくださいます。救いの神に私たちのすべてを、私たちのたましいをおゆだねしましょう(ペテロ第一4章19節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちがこの世で生きる中で、いわれのない苦しみを味わうことがあります。しかし、この苦しみは誰も経験したことのないものではないと知りました。キリストも同じ苦しみを味わわれました。どうぞ私たちに聖霊をお送りくださり、私たちを苦しみの中から救い出してください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/03/04

2021年3月4日(木) 春の到来

 気温がだいぶ上がり、教会のアーモンドの花が一斉に咲き始めました。教会活動が特別体制になってほぼ一年が過ぎましたが、日曜日の主日礼拝(10:30~11:30)と木曜日の祈祷会(14:00~15:00)を継続して行っています。皆様におかれましても、毎日の生活が支えられ、守られますようにお祈りいたします。

2021/03/01

2021年3月7日の聖書日課

(写真:フキ)

ペテロ第一4:12-19
 4:12 愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
 4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
 4:14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。
 4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。
 4:16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。
 4:17 さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。
 4:18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。
 4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。


(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2021/02/28

2021年2月28日3分メッセージ



 ルカ13章15節をお読みします。
あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。

 聖書の時代は、電気も自動車もまだ走っていない時代です。イスラエルの人々の多くは畑仕事をして生活していました。その際に、人間よりも力があって畑仕事に重宝したのが牛やろばでした。イスラエルの人々は聖書の戒めにより、一週間に一日を安息日として一切の労働を休みました(出エジフト20章10節)。しかし、安息日でも人間は食事をしなければ生きていけないのと同じように、家畜の牛やろばに水を飲ませるような労働を休むことはできませんでした。
 ルカ13章では、キリストが安息日に、18年間も病気で苦しんだ女性をいやされたところ、人々は「病気のいやしは労働である」と言って咎めました(ルカ13章10~15節)。それに対し、キリストは冒頭の言葉の通り語りました。人々が家畜を生かすために労働するなら、人間を生かし、健康にする労働は許される、ということです。
 また、キリストの労働は、聖書の神の労働として行われたものでした。キリストは様々な奇跡を「神の霊」によって行いました(マタイ12章28節)。そのことによって、神は私たち、か弱き人間の近くに来られ、人間にはなしえない大きな力をもって私たちを救うために働いてくださるのです。キリストのいやしの働きは、この女性にとって18年もの間、ほかの人々がなしえなかった大きな働きでした。
 神の救いの働きは、人間の働きをはるかに上回る大きな働きです。私たちは神の働きに身を任せ、神のすばらしいみわざを見て喜びたいと思います(ルカ13章17節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは毎日、自分の力だけで生きているのではなく、多くの人やものの力に助けられて生きています。聖書の神の力は、人間の力をはるかに上回る大きな力です。その神が私たちの救いのために大きな力を働かせてくださることを感謝いたします。神の偉大な御力をほめたたえます。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/02/22

2021年2月28日の聖書日課

(写真:ノースポール)

マタイ12:22-32
 12:22 そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。
 12:23 すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。
 12:24 しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。
 12:25 イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。
 12:26 もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。
 12:27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
 12:28 しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
 12:29 まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。
 12:30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
 12:31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
 12:32 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2021/02/21

2021年2月21日3分メッセージ



 ヤコブ1章17節をお読みします。
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。

 ヤコブの手紙1章は、試錬と誘惑について語っています。これら二つのものは私たちを苦しめるものですが、その結果は全く違うものです。私たちは試錬と誘惑を、はっきり見分けなければなりません。
 試錬は人の忍耐を試すものであり、試錬を耐え忍ぶことができれば人として成長することができます(ヤコブ1章12節)。聖書は、試錬に耐えた者には神がいのちの冠を与えられるのだから、試錬を喜びなさいと励ましています(ヤコブ1章2節)。
 それとは違い、誘惑は耐え忍ぶものではなく、避けるべきものです(第一テサロニケ5章22節)。誘惑とは私たちを悪に引きずり込もうとするものであり、私たちの欲望を焚きつけるものです(ヤコブ1章14節)。私たちが誘惑に陥ってしまえば、その結果としての罪と罰を受けるのは私たち自身です(ヤコブ1章15節)。
 聖書の神は、成長するきっかけとして私たちが試錬に会うことを許されます(ヘブル12章7節)。しかし、私たちを悩ますために誘惑をされるお方ではありません(ヤコブ1章13節)。試錬も誘惑も、私たちの人生において全く出会わないことはありえません。しかし、神はどのような時にも、私たちが物事を正しく判断し、正しい対処をする知恵をお与えになります(第一コリント10章13節)。ですから、私たちはこのように祈りましょう。「試みに会わせず、悪より救い出だしたまえ。」(主の祈り、マタイ6章13節)
 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの人生には様々な悩みごとがあります。それらの物事を正しく見分ける知恵を与えてください。試錬に耐え、誘惑を避ける力を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2021/02/15

2021年2月21日の聖書日課

(写真:カンアオイ)

ヤコブ1:12-18
 1:12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
 1:13 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
 1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。
 1:15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
 1:16 愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。
 1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
 1:18 父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)