(写真:デンドロビウム)
マタイ4:18-25
4:18 さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
4:20 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
4:21 そこから進んで行かれると、ほかのふたりの兄弟、すなわち、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると、
4:22 すぐ舟と父とをおいて、イエスに従って行った。
4:23 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
4:24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
4:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの向こうから、おびただしい群衆がきてイエスに従った。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/01/11
2021/01/10
2021年1月10日3分メッセージ
ローマ6章11節をお読みします。
あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
この聖句はクリスチャンに対して、死と命について教えています。その後に、死をもたらすものは罪であり、命をもたらすものはキリストであると告げています(ローマ6章23節)。
死と命は、クリスチャンだけではなく、すべての人に関係があるものです。私たちは毎日、命を保って生きていますが、いずれ私たちのすべてが死に至ります。そのような意味で、すべての人間は死の力から逃れることができません。
同じように、死をもたらす罪も、すべての人間を支配しています。罪の力は私たちを命から引き離し、死の中へ引きずり込もうとします。そのように、私たちが他人だけでなく、自分であっても命から遠ざけようとするとき、私たちの心も行動も罪に支配されていて、そのようなことを行う者は罪人とみなされます。
しかし、人間を支配する罪も死も、その本人が死んでしまえば、最早その力を失ってしまいます。そこで、イエス・キリストは私たち全人類を罪と死の力から解放するため、ご自身の十字架の死によって罪と死を無力化されました。そのことが、クリスチャンの罪が赦されることの原理です(ローマ6章6節)。
ですから、クリスチャンはキリストの十字架によって既に罪に対して死んでいて、罪の力は私たちに何の影響も及ぼしません。それだけではなく、私たちは新しい命が与えられています。それはキリストによって与えられた神の命です。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの身近なところに様々な恐怖があります。それは病や死であり、そして死をもたらす罪の恐怖があります。しかし、聖書が教えているとおり、キリストの十字架がすべての罪と死を取り除き、私たちには神の命が与えられています。キリストによる命に満たされて、日々を平安に過ごさせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/01/04
2021年1月10日の聖書日課
(写真:ダイダイ)
ローマ6:12-23
6:12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、
6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。
6:14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。
6:15 それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。
6:16 あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。
6:17 しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、
6:18 罪から解放され、義の僕となった。
6:19 わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。
6:20 あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。
6:21 その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。
6:22 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。
6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
ローマ6:12-23
6:12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、
6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。
6:14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。
6:15 それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。
6:16 あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。
6:17 しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、
6:18 罪から解放され、義の僕となった。
6:19 わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。
6:20 あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。
6:21 その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。
6:22 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。
6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/01/03
2021年1月3日3分メッセージ
エレミヤ31章15節をお読みします。
主はこう仰せられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
預言者エレミヤが、イスラエル人のバビロン捕囚に関連して、この言葉を語りました。
イスラエル王国はバビロン王国に戦いで負け、多くの人々が殺され、またイスラエルのラマの町から、はるか東のバビロンへと連れ去られました(エレミヤ40章1節)。その状況を、イスラエル人の先祖であるラケル(創世記46章19節)が見るならば、彼女の嘆きはどれほどの深さであるでしょうか。
このエレミヤの言葉は、最初のクリスマスの後に起きた出来事を説明するため、マタイの福音書でも引用されています。その時、イスラエルの王ヘロデはキリストを殺そうとして、多くの男の子を虐殺しました(マタイ2章16~18節)。
このような災いに遭った人々の嘆きは、どれほどのものであったでしょうか。エレミヤの言葉は、災いに遭った人々が「慰められるのを願わない」と言っています。私たちが経験する嘆きは、何一つとして他人と比べられるものはありません。しかし、聖書の神は「慰められるのを願わない」人々に、「あなたは泣く声をとどめ」よと語りかけています(エレミヤ31章16節)。
私たちは今日も、様々な痛みや嘆きを心に抱えて生きています。しかし、私たちは一人ぼっちではありません。私たちの心の嘆きを聞き、私たちに将来と希望を与えてくださる神様がおられます(エレミヤ29章11節)。新しい年に新しい天からの恵みを頂いて歩みだしてまいりましょう。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。新しい一年が始まりましたが、私たちの世界は深い悩みや悲しみを抱えたままで今日という日を過ごしています。私たちは明確な将来を見いだせていませんが、私たちの思いにまさる、天からの知恵をもって私たちを導いてください。私たちに災いではなく平安を与えてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/01/01
2021年1月3日の聖書日課
(写真:ツバキ)
エレミヤ31:15-17
31:15 主はこう仰せられる、
「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。
ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、
彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
31:16 主はこう仰せられる、
「あなたは泣く声をとどめ、
目から涙をながすことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。
彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
31:17 あなたの将来には希望があり、
あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると
主は言われる。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
エレミヤ31:15-17
31:15 主はこう仰せられる、
「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。
ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、
彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
31:16 主はこう仰せられる、
「あなたは泣く声をとどめ、
目から涙をながすことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。
彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
31:17 あなたの将来には希望があり、
あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると
主は言われる。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/12/27
2020年12月27日3分メッセージ
エペソ3章6節をお読みします。
それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
冒頭の「それ」とは、「キリストの奥義」(エペソ3章4節)を示しています。キリストより前の時代には、神の民イスラエルとその他の国民、つまり異邦人には区別があり、神の約束を得られる資格に制限がありました(エペソ3章5節)。
しかし、イエス・キリストがこの地上に現われ、神の約束の制限を取り除き、すべての人が神の約束にあずかることができるようにされました。そのことを可能としたのが、キリストの十字架です。
福音は、キリストが十字架にかかられたことによって、人々の間にあった敵意を打ち壊し、人々を一つにすることを語ります(エペソ2章13~16節)。そのように、神の祝福は人々が互いに信頼し合い、平和を保つ中にもたらされます。キリストはこの世界に平和をもたらすため、すべての人の罪と敵意を一身に負わなければならなかったのです(第一ペテロ2章24節)。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)私たちもキリストの奥義を覚えつつ、平和を作り出すものとなりたいと思います(マタイ5章9節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちの生きるこの世界に平和をもたらすため、イエス・キリストをお送りくださったことを感謝いたします。私たちも神の祝福にあずかって、平和の子として日々を歩むことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/12/21
2020年12月27日の聖書日課
(写真:フユサンゴ)
エペソ3:2-12
3:2 わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。
3:3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
3:4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
3:7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。
3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
3:10 それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
3:11 わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。
3:12 この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
エペソ3:2-12
3:2 わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。
3:3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
3:4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
3:7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。
3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
3:10 それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
3:11 わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。
3:12 この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
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