2020/11/01

2020年11月1日の聖書日課

 

(写真:ダリア)

イザヤ44:6-17

 44:6 主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、
万軍の主はこう言われる、
「わたしは初めであり、わたしは終りである。
わたしのほかに神はない。
 44:7 だれかわたしに等しい者があるか。
その者はそれを示し、またそれを告げ、
わが前に言いつらねよ。
だれが、昔から、きたるべき事を聞かせたか。
その者はやがて成るべき事をわれわれに告げよ。
 44:8 恐れてはならない、またおののいてはならない。
わたしはこの事を昔から、
あなたがたに聞かせなかったか、
また告げなかったか。
あなたがたはわが証人である。
わたしのほかに神があるか。
わたしのほかに岩はない。
わたしはそのあることを知らない」。
 44:9 偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
 44:10 だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
 44:11 見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
 44:12 鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
 44:13 木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
 44:14 彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
 44:15 こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
 44:16 その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
 44:17 そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/25

2020年10月25日3分メッセージ



 黙示録21章3節、4節をお読みします。
神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

 新約聖書の最後の書、黙示録は私たちに希望を示す書です。神の救いがいつ行われるかは明らかにされていませんが、救いがどのようにして行われるかを明らかにしています。
 「神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる」という言葉に、私たちは深く慰められます。このことが実現するために、聖書の神は二つのことを行われます。一つ目は、新しいものがやって来ることであり、二つ目は、古いものが過ぎ去ることです(黙示録21章1節)。
 新しいものは「着飾った花嫁のように…天から下って来る」と言われてます(黙示録21章2節)。このことは、以前の3分メッセージで引用した聖句、「永遠の家を上に着る」(コリント第二5章1,2節)という言葉と一緒です。神は私たちの涙の元となる古い人生を、上から喜ばしい、新しい人生で覆われるのです。
 神は私たちの古い傷を包んで、癒してくださいます。そのために私たちに聖書によって温かいメッセージを届けられ、私たちの近くに来られています。ぜひ聖書の神をあなたの心に迎え入れてください(黙示録3章20節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは過去の痛ましい出来事を思い返し、涙に暮れることがあります。その時、神様は私たちの涙をぬぐいとって下さると、御言葉によって約束されました。私たちも過去の自分に留まり続けるのではなく、新しい人生に向かって歩き出すことができますように。私たちの心の傷を癒してください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/19

2020年10月25日の聖書日課

(写真:シュウカイドウ)

黙示録21:1-4
 21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
 21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
 21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
 21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
 

2020/10/18

2020年10月18日3分メッセージ



 詩篇34篇18節、19節をお読みします。
主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。

 聖書の神は、私たち人間に正しい生き方を教える「主」として私たちを導かれます。しかし、正しい生き方をすれば悩み事が消えてなくなる訳ではありません。むしろ、正しい生き方をしたことが原因となって、災いが降ってくるような体験をすることがあります。
 聖書は、まさにそのような悩みを抱えている人にこう言って励ましています。「正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。」(詩篇34篇19節)
 私たちは、周りの人々との間に角が立つことを恐れて、あえてなすべき正しい事を行わないことがあるかもしれません。あるいは、そのことで自分の心が傷ついてしまうことを恐れているのかもしれません。
 確かに、聖書の教える正しい生き方に従って生きる時、私たちの心が砕かれてしまうこともあるでしょう。しかし、それでも聖書は、「悪を離れて善を行いなさい」と私たちに勧めています(詩篇34篇14節)。なぜなら、「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」のだからです(詩篇34篇18節)。
 聖書の神は、私たちの傷ついた心を癒し、私たちの最も大事なところを守ってくださるお方です(詩篇34篇20節)。私たちの命を守り、幸いで満たしてくださる神に従ってまいりましょう(詩篇34篇22節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの心は深く傷ついています。しかし、心の砕けた者の近くに来てくださって、癒してくださる神様に身も心もお任せします。どうぞ私たちをあらゆる災いから助け出してくださり、神様が示される正しい道を歩むことができますよう、私たちをお導きください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/12

2020年10月18日の聖書日課

(写真:キンモクセイ)

詩篇34:15-22
 34:15 主の目は正しい人をかえりみ、
その耳は彼らの叫びに傾く。
 34:16 主のみ顔は悪を行う者にむかい、
その記憶を地から断ち滅ぼされる。
 34:17 正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、
彼らをそのすべての悩みから助け出される。
 34:18 主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。
 34:19 正しい者には災が多い。
しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
 34:20 主は彼の骨をことごとく守られる。
その一つだに折られることはない。
 34:21 悪は悪しき者を殺す。
正しい者を憎む者は罪に定められる。
 34:22 主はそのしもべらの命をあがなわれる。
主に寄り頼む者はひとりだに
罪に定められることはない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/11

2020年10月11日3分メッセージ



 コリント第二5章4節をお読みします。
この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。

 この聖句で言われている「幕屋」とは、移動式の住居であるテントを意味します。パウロはこの言葉で、人間の体のことを簡単に壊れてしまうテントにたとえています。
 テントも人間の体も、不具合が起きたら直すことができますが、それでも永遠に使い続けることはできません。しかし、人間として生きていくためには、不具合の起きた体を捨てるわけにはいかず、だましだまし使い続けていかなければなりません。そのことは、私たちにとって重荷であり、苦しみであるかもしれません。
 キリスト教の約束する救いは、まさにこの人間の体の苦しみの声に応えるものです。聖書の神は、人間のために壊れることのない堅固な建物、永遠の家を備えておられます(コリント第二5章1節)。それは、イエス・キリストを信じる者のために備えられている、天のすまいです(ヨハネ14章1~3節)。
 キリストを信じる時、私たちは自分を失ってしまうのではありません。そうではなく、私たちの人間としての弱さが、天から下ってくる神の力によって覆われて、神から頂く新しい命に満ちあふれることになるのです。私たちも神を見上げて、命にあふれた神の力を身にまといたいと思います。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの毎日の生活には疲れることも、くたびれてしまうこともあります。その時、私たちの弱さに目を留めるのではなく、私たちの弱さを覆う、神の力に目を留め続けることができますように。天からの命によって私たちを満たしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/10/05

2020年10月11日の聖書日課


(写真:イネ)

コリント第二5:1-10
 5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
 5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
 5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。
 5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
 5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。
 5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。
 5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
 5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。
 5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。
 5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)