2020/02/02

2020年2月2日3分メッセージ


 ヨハネ2章13節から17節までをお読みします。
さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。

 イエス・キリストは礼拝のために神の宮に上りました。そこでキリストは、礼拝の雰囲気にそぐわない商売の騒がしさを見て、怒って商売人たちを宮から追い出しました。
 このようなキリストの激しい姿を意外に思われるかも知れません。しかし、聖書は神が愛であることを語っている(第一ヨハネ4章8節)と同じく、神は怒って悪を裁く方であることも語っています(詩篇7篇11節)。
 神は愛であることと、神は正義であることは、決して矛盾することではありません。神はえこひいきすることなく、正しい道筋を通して人を愛されます(ローマ2章11節)。また神は愛するがために、人に試練を与えて正しい生き方に立ち戻らせようと仕向けられます(ヘブル12章6節)。
 神の宮の風紀を正したキリストを見て、弟子たちは聖書の言葉、「神(あなた)の宮を思う熱心」をキリストの姿に見ました。キリストの熱心は神を愛する熱い思いに裏打ちされたものでした。私たちもキリストの姿から、愛に満ちた熱い心と、聖書に基づいた正しい知識を身に着けていきたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストの言葉と行動、そして心の熱い思いにならうことができますように。神の愛と神の正しさ、その両方に学んでいくことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年2月2日の聖書日課

(写真:ウメ)

ヨハネ2:13-22
 2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。
 2:14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、
 2:15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、
 2:16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
 2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
 2:18 そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。
 2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
 2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
 2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
 2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/02/01

【集会中止】2020年4月12日(日) イースター礼拝


4月12日(日)は、イエス・キリストの
死からの復活を祝うイースターです。
今回は政府の緊急事態宣言を受けて、
教会での集会は中止いたします。
ご自宅にてイースターをお祝いされますよう
ご案内させていただきます。

2020/01/27

2020年1月26日3分メッセージ


 出エジプト記33章11節をお読みします。
人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。

 聖書の神は、人が顔を合わせるように直接見ることはできません(出エジプト33章20節)。そのため、モーセの十戒も神の像を造ることを禁じています(出エジプト20章4節)。しかし、イスラエルの救世主として選ばれ、神の特別な恵みを得ていたモーセは(出エジプト33章12節)、神と顔を合わせて語ったと言われています。
 この「神と顔を合わせて語った」という意味は、モーセが友達と語らうように、神の話を聞き、神に話を聞いてもらった、ということです。その結果、モーセが願い求めたことを神は聞かれ、モーセを通して偉大な奇跡が行われました。
 モーセは必ずしも欠点のない人物ではありませんでした。イスラエルを救いたいと願うあまり人殺しまで犯し、エジプトの王に命を狙われる身となった者でした(出エジプト2章)。ただし、モーセは自分の欠点を認め、神の救いにすがる者でした。それだからこそ、モーセは自分を犠牲にしてでも、同じ弱さを抱えるイスラエルをかばう祈りをしました(出エジプト32章32節)。
 私たちもモーセにならって、神に聞き届けられる祈りをしたいものです。そのためには、自分の願いだけではなく、神が何を願われるのか、神の御心にかなう良い願いを持つことが必要です。聖書に学び、神の御心について知る者となりたいと思います。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたはモーセの祈りを聞かれ、神の御力による大きな奇跡を行われました。私たちもモーセの謙遜にならいつつ、神の御心にかなった願いを持つ者となることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020/01/19

2020年1月26日の聖書日課

(写真:ロウバイ)

出エジプト33:12-17
 33:12 モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
 33:13 それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。
 33:14 主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
 33:15 モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。
 33:16 わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。
 33:17 主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2020年1月20日3分メッセージ



姉夫婦の救い  志村キリスト教会 小嶋隆

 先日、地元の老人会の友人より、「小嶋さん、教会に行っていると聞いたけど…」と声を掛けられました。その方はこのように言われました。「実はうちの親戚で葬儀があって、教会でしたのよ。賛美歌を歌って、お祈りをして、聖書のお話しもよく理解できて、皆さんと一緒にアーメン、アーメンと言って、お別れしたのよ。」
 その話を聞いて、私は天に召された姉夫婦のことを思い出しました。私の姉もクリスチャンの方の葬儀に行った先で、イエス様に出会いました。姉は私の手をしっかり握りしめ、「私の心の中に神様がストンと入り込んで来たのよ」と言ってくれました。以前の姉は、私の言葉にも頑なに心閉ざしていたのですが、神様は姉の心をいともたやすく打ち砕いて下さいました。姉は私にこう言ってくれました。「隆ちゃん。あんたの信じている神様は本当の神様だ。」あの時の姉の喜びに満たされた顔を忘れることができません。
 その後、姉夫婦は病に倒れてしまいました。私の家から姉夫婦の家まで片道二時間以上もかかります。しかし、姉夫婦の地元にある橋本キリスト教会の牧師先生始め信徒の方々が姉夫婦を支えて下さり、また志村教会の兄弟姉妹も私を励まし、送り出して下さいました。そして、姉夫婦が入居する福祉施設、病院も、その他の必要な事柄をも備えられました。
 そして、共に八十歳を過ぎてからの信仰でしたが、神様の深いあわれみに依り、姉夫婦共々信仰告白をして、滴礼の恵みに与る事が出来ました。それから召天までの四年間の出来事においても、橋本教会の兄弟姉妹が幾度も足を運んで下さり、祈り、慰め、支えて頂きました事を感謝いたします。
 人はいつ、どの様な形で主イエス様に出会い、また信仰の恵みに依る事が出来るか、それぞれ違いがあります。しかし、「イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません」と、「難しい事は何一つなく、『ただ信ぜよ』と言って下さる神様に『はい、信じます』と答えるだけでいいのよ」と、伝えて行かなければなりません。

2020年1月19日3分メッセージ


 ヨハネ1章45節、46節をお読みします。
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。

 この聖書の言葉に登場した人、ピリポは興奮した様子で知人のナタナエルに語りかけています。「私たちは聖書に記されている救世主に出会った!その人はナザレの町出身のイエスと言うんだ。」
 イエスに出会ったのはピリポ一人だけではありませんでした。ほかの人はイエスについて、「私たちはキリストに出会った」と言っています(ヨハネ1章41節)。
 ナタナエルはその話を疑うようにして言います。「ナザレの町から、キリストなんて大人物が出るはずがない。」その言葉にピリポは反論します。「実際にイエスの所に来て、キリストであるかどうか、見て確かめてみなさい!」
 ナタナエルは疑いつつも、救世主であるキリストについては関心がありました。そのため、彼はピリポの勧めに従って、イエスに会いに行きました。その後、ナタナエルはイエスがキリストであることを認め、キリストの弟子となりました(ヨハネ1章49節)。
 イエス・キリストは救いを期待する者に確かに応えて下さいます。キリストはさらに、「これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」と語っています(ヨハネ1章50節)。皆様もぜひ、ご自分の手で聖書を開き、イエスがキリストであるかどうかをご自分の目で見て確かめて下さい。

 お祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。イエス・キリストは「大きなことを、あなたは見る」と語られました。その言葉の通り、私たちの願いに応えて下さり、私たちがはっきりとキリストの救いの御業を見ることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)