(写真:ビワ)
エペソ2:1-10
2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
2:7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
2:10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/01/06
2020年1月5日3分メッセージ
イザヤ40章26節をお読みします。
目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。
今回は聖書に記された神の言葉から、新しい一年に向かっての新しい展望を見てみたいと思います。
まず第一に、聖書は「目を高くあげて、見よ」と語っています。物事をできるだけ広い立場から、遠くに至るまで見てみましょう。それは大自然であっても、世界のあらゆる人間社会であっても、注意深く見てみるなら、最初に見えていたものとは別のものが見えてくるかもしれません。
第二に聖書は、「これらのものを創造した者を見よ」と語っています。一つの物事だけに集中するのではなく、物事の原因となるものやその他の物事との関係などを見定めるなら、さらに深く物事の本質が見えてくるはずです。
第三に聖書は、「神はおのおのをその名で呼ばれる」と語っています。聖書の神は創造の神であると、聖書は一貫して語っています(創世記1章1節、ローマ1章25節)。しかし、神は創造するだけではなく、物事の本質を正しい言い表すように「名前」を呼んで、神からの働きかけも行われます。同じように、私たち個々人をも知っていて、私たちが祈りの声を上げるなら、その祈りを聞かれるお方です。
物事の本質を知る時、良い面だけでなく悪い面も見ることになるでしょう。また全く知らない、新しい物事に対して躊躇する気持ちも生まれてくるかもしれません。その時、「おのおのをその名で呼ばれる」神に信頼し、神の力に身を任せられることは幸いな事です。
神の手に握られる幸いを求めて、ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。新年を迎えて、新しい事に対する期待と不安が混じるこの頃です。すべてのことを知っておられる神様に信頼しつつ、新しい歩みを踏み出させてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/01/01
2020年1月5日の聖書日課
(写真:マンリョウ)
イザヤ40:21-26
40:21 あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。
40:22 主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、
40:23 また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。
40:24 彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。
40:25 聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。
40:26 目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。
主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
イザヤ40:21-26
40:21 あなたがたは知らなかったか。
あなたがたは聞かなかったか。
初めから、あなたがたに伝えられなかったか。
地の基をおいた時から、
あなたがたは悟らなかったか。
40:22 主は地球のはるか上に座して、
地に住む者をいなごのように見られる。
主は天を幕のようにひろげ、
これを住むべき天幕のように張り、
40:23 また、もろもろの君を無きものとせられ、
地のつかさたちを、むなしくされる。
40:24 彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、
その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、
神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、
わらのように、つむじ風にまき去られる。
40:25 聖者は言われる、
「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、
わたしは、だれにひとしいというのか」。
40:26 目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。
主は数をしらべて万軍をひきいだし、
おのおのをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなるにより、
またその力の強きがゆえに、
一つも欠けることはない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/12/29
2019年12月29日3分メッセージ
詩篇145篇16節をお読みします。
あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます。一年の終わりにあたり、神への感謝の賛美歌をお読みしました。
一年を振り返ると、良かった事も悪かった事も思い出します。決して、良い事だけであった、あるいは悪い事だけであったと言うことはできないはずです。なるべく広い見方で一年間を振り返ってみましょう。
そして、一つの出来事はそれだけで独立しているのではなく、その出来事につながる多くの小さな出来事、それも嬉しく思えるような小さな幸せに必ずつながっているものです。そのような発見は、しばしば自然の中で見ることができるでしょう。それらのものは、それぞれ独特な方法で喜びを表しています。それが、私たち人間を含む全世界の創造主である神に対する感謝の表れなのです。
聖書の神は、自らが造り出したものたちの喜びと感謝を、喜んで聞かれるお方です。そして、すべてのものに恵みとあわれみを豊かに注がれます。聖書も、「すべての事について、感謝しなさい。」(第一テサロニケ5章18節)と教えています。神は御手を大きく開いて、私たちを良いもので一杯にしてくださいます。
一年の感謝をもって、ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。今年も良いもので私たちを満たしてくださったことを感謝いたします。あなた様の御手のうちは良いもので満ちています。来る新年も私たちを新しい恵みによって満たしてくださり、日々感謝をもって生きるものとしてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/12/23
2019年12月29日の聖書日課
(写真:シクラメン)
詩篇145:10-21
145:10 主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、
あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう。
145:11 彼らはみ国の栄光を語り、あなたのみ力を宣べ、
145:12 あなたの大能のはたらきと、
み国の光栄ある輝きとを人の子に知らせるでしょう。
145:13 あなたの国はとこしえの国です。
あなたのまつりごとはよろずよに
絶えることはありません。
145:14 主はすべて倒れんとする者をささえ、
すべてかがむ者を立たせられます。
145:15 よろずのものの目はあなたを待ち望んでいます。
あなたは時にしたがって彼らに食物を与えられます。
145:16 あなたはみ手を開いて、
すべての生けるものの願いを飽かせられます。
145:17 主はそのすべての道に正しく、
そのすべてのみわざに恵みふかく、
145:18 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に
主は近いのです。
145:19 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、
またその叫びを聞いてこれを救われます。
145:20 主はおのれを愛する者をすべて守られるが、
悪しき者をことごとく滅ぼされます。
145:21 わが口は主の誉を語り、
すべての肉なる者は世々かぎりなく
その聖なるみ名をほめまつるでしょう。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
詩篇145:10-21
145:10 主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、
あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう。
145:11 彼らはみ国の栄光を語り、あなたのみ力を宣べ、
145:12 あなたの大能のはたらきと、
み国の光栄ある輝きとを人の子に知らせるでしょう。
145:13 あなたの国はとこしえの国です。
あなたのまつりごとはよろずよに
絶えることはありません。
145:14 主はすべて倒れんとする者をささえ、
すべてかがむ者を立たせられます。
145:15 よろずのものの目はあなたを待ち望んでいます。
あなたは時にしたがって彼らに食物を与えられます。
145:16 あなたはみ手を開いて、
すべての生けるものの願いを飽かせられます。
145:17 主はそのすべての道に正しく、
そのすべてのみわざに恵みふかく、
145:18 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に
主は近いのです。
145:19 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、
またその叫びを聞いてこれを救われます。
145:20 主はおのれを愛する者をすべて守られるが、
悪しき者をことごとく滅ぼされます。
145:21 わが口は主の誉を語り、
すべての肉なる者は世々かぎりなく
その聖なるみ名をほめまつるでしょう。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019年12月22日3分メッセージ
ヘブル1章5節をお読みします。
いったい、神は御使たちのだれに対して、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と(中略)言われたことがあるか。この聖書の言葉は、イエス・キリストを説明する他の聖書の言葉(詩篇2篇7節)を引用しています。要するに、キリストは神に仕える御使、すなわち天使以上の存在であると言っているのです。
キリストは宣教活動を始める前に、バプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。その後、天からキリストにこのような言葉がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ3章17節)。
この言葉の通り、キリストの生涯は、クリスマスの誕生から十字架の死に至るまで、神の御旨に従い切った生涯でした。キリストは良き教えを語り、人々を心身ともに健やかに生かすため様々な事を行いました。そのようにしてキリストは神の御心を地上に現す働きをしました。
クリスマスは、このキリストが神の業を地上にもたらすため、この地に生を受けられたことを感謝しつつ、キリストを礼拝するお祭りです(ヘブル1章6節)。クリスマスを楽しみつつ、イエス・キリストを主役としてお迎えするクリスマスでありますように。
今年も幸いなクリスマスを迎えることができるように、ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。今年のクリスマスにあたり、イエス・キリストが神の御子であると語る聖書の言葉を思いみます。クリスマスの後、来る新年にもキリストの恵みによって健やかに生きることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/12/15
2019年12月22日の聖書日課
(写真:クロガネモチ)
ヘブル1:1-6
1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
1:4 御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。
1:5 いったい、神は御使たちのだれに対して、
「あなたこそは、わたしの子。
きょう、わたしはあなたを生んだ」
と言い、さらにまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となるであろう」
と言われたことがあるか。
1:6 さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、
「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」
と言われた。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
ヘブル1:1-6
1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
1:4 御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。
1:5 いったい、神は御使たちのだれに対して、
「あなたこそは、わたしの子。
きょう、わたしはあなたを生んだ」
と言い、さらにまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となるであろう」
と言われたことがあるか。
1:6 さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、
「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」
と言われた。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
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