(写真:イロハモミジ)
ヨハネ1:19-27
1:19さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
1:20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
1:21 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
1:22 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。
1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
1:24 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。
1:25 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。
1:26 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。
1:27 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/12/08
2019年12月8日3分メッセージ
第二ペテロ1章16節をお読みします。
わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。この言葉を語ったペテロは、イエス・キリストの十二人の使徒の一人でした。ペテロはキリストに従ってイスラエルの国中を旅し、キリストから教えを受け、様々な奇跡を目の当たりにしました。
ペテロが目撃した奇跡の中でも手紙にしたためて伝えたかったのは、聖なる山で見聞きしたキリストの姿のことでした。そこでキリストは突然に光り輝く姿となり、天から声が聞こえてきました(マルコ9章2~8節)。
ペテロにとって、イエス・キリストは偉大な先生であるに留まらず、神から遣わされた救い主であり、そのことを自らの体験を語ることで伝えようとしたのです。
キリストを信じるクリスチャンたちは、皆ペテロが感じたように、キリストがほかのものと比べられないような特別な存在であることを感じています。皆がペテロと同じ体験をしている訳ではありませんが、自分自身ではっきりとわかるような個人的な体験を持っています。
イエス・キリストはこのように個人的にはっきりと現れてくださるお方です。今年もキリストの来臨を祝うクリスマスをご一緒にお祝いしたいと思います。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。ペテロがキリストの救いの力をはっきりと知ることができたように、私たちにもキリストのご威光をはっきりと示してください。今年も喜ばしいクリスマスを迎えることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/12/01
2019年12月8日の聖書日課
(写真:ヤツデ)
第二ペテロ1:16-21
1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
1:17 イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
1:18 わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
1:19 こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
1:20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
第二ペテロ1:16-21
1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
1:17 イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
1:18 わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
1:19 こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
1:20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019年12月1日3分メッセージ
イザヤ52章7節をお読みします。
よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。聖書の中心的なメッセージのことを「福音」と言います。福音という言葉は、要するに「よきおとずれ」を意味していて、キリスト教的にはイエス・キリストの救いについての知らせを意味します。
キリスト教はこの福音を広めることを使命として、約二千年の間、全世界で様々な形で活動してきました。イザヤ書の言葉の通り、宣教師は海を越えて山を越えてよきおとずれを伝え、様々な社会事業を行って平和的な活動を行ってきました。
そのような活動の原動力は聖書の神の恵みの力であり、その力は王様のように強く、権威のあるものです。聖書の神は良い目的のために、また平和のために力を奮われるお方です。
福音は平和を必要としている人のため、争いに巻き込まれて傷ついている人に伝えられます。キリストの降誕を祝うクリスマスの時期に、聖書が告げる福音に耳を傾けてください。キリストは「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」です。(イザヤ9章6節)
お祈りいたしましょう。
天の父なる神さま。今年もクリスマスの時期がやってきました。私たちの身の回りでも、様々な形でイエス・キリストの福音のメッセージが伝えられています。その「よきおとずれ」に耳を傾けることができますように。伝えられた平和と救いをしっかりと受け取ることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019年12月1日の聖書日課
(写真:サザンカ)
イザヤ52:7-10
52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、
よきおとずれを伝え、救を告げ、
シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と
言う者の足は山の上にあって、
なんと麗しいことだろう。
52:8 聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、
共に喜び歌っている。
彼らは目と目と相合わせて、
主がシオンに帰られるのを見るからだ。
52:9 エルサレムの荒れすたれた所よ、
声を放って共に歌え。
主はその民を慰め、
エルサレムをあがなわれたからだ。
52:10 主はその聖なるかいなを、
もろもろの国びとの前にあらわされた。
地のすべての果は、われわれの神の救を見る。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
イザヤ52:7-10
52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、
よきおとずれを伝え、救を告げ、
シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と
言う者の足は山の上にあって、
なんと麗しいことだろう。
52:8 聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、
共に喜び歌っている。
彼らは目と目と相合わせて、
主がシオンに帰られるのを見るからだ。
52:9 エルサレムの荒れすたれた所よ、
声を放って共に歌え。
主はその民を慰め、
エルサレムをあがなわれたからだ。
52:10 主はその聖なるかいなを、
もろもろの国びとの前にあらわされた。
地のすべての果は、われわれの神の救を見る。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2019/11/24
2019年11月24日3分メッセージ
愛を補うもの 中央聖書神学校1年生 平松公平
私が彼女と付き合い始め、数か月たった時の事でした。楽しかったはずの会話の中に、しばしば、ある言葉が出るようになりました。それは、
「どうしてわからないのだろう?」
「どうしてわかってくれないの?」
というシンプルな言葉でした。今となっては、何を揉めていたのかも思い出せないような些細な出来事だったと思います。しかし、やがて、その言葉は、二人の関係に、理解し合えないという、大きな言葉となり、深い溝となっていきました。
幼い頃より教会に行っていた私は、「愛」とは何かを牧師から、そして、聖書から教えられていました。当然、分かり合えるための、「相手を許す事の大切さ」も知っていました。しかし、現実に彼女と向き合う中において、その愛が必要となった時、自分の中に愛が足りない事に気づいたのです。一生懸命、相手を愛そう、許そうと思っても、目につくのは相手への至らなさ、湧き上がってくるのは、相手への怒りでした。
「あれ?私はこんなにも酷い人間だったのだろうか?何もできない人間だったのだろうか?」
できると思っていた私にとって、また、できていたと思っていた私にとって、突きつけられた弱い私の姿でした。そして、自分の弱さに限界がきた時、私は、この足りなさだらけの自分の姿を神に見せ、祈りました。
「神様、何とかしてください」
本当につぶやくような祈りでした。しかし、その祈りに神はこたえてくださいました。神からの言葉は、
「そんな弱いあなたを私は心から愛している」
神が自分を受け入れて下さる。なんとも言えない安心感が私の内に沸き上がり、今まで何度となく聞いてきた、神の愛を肌身に感じた瞬間でした。
私の愛の足りなさは変わりません。しかし、弱い私を全て受け止めてくださる方の存在が分かった時、彼女への思いも少しずつ変わっていきました。許せない思いが、少しずつ、緩んでいき、愛せるものへと変えられていったのです。そして、そんな彼女と結婚に至った今も、私の愛の足りなさを感じる事は度々ありますが、それを神により補われ、私の愛は今も変えられつつあります。この神の愛の中を歩む平安をこれからも感じるものでありたいと思います。
2019/11/17
2019年11月24日の聖書日課
(写真:ツワブキ)
黙示録1:4-8
1:4 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、
1:5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、
1:6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。
1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
黙示録1:4-8
1:4 ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、
1:5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、
1:6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。
1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
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