2024/03/17

2024年3月17日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・306「あなたもそこにいたのか」
聖書:コロサイ2:8-15

キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。(コロサイ2章9~10節)

 キリストの使徒パウロ(コロサイ1章1節)は、コロサイ人への手紙において「むなしいだましごとの哲学」(コロサイ2章8節)と言っています。この言葉は哲学一般を指しているのではなく、当時のギリシャ文化圏に存在した特定の哲学学派を指しています。パウロはアテネにおいて「エピクロス派やストア派の哲学者」と議論を戦わせたことがあります(使徒17章18節)。
 パウロが問題とした哲学の具体的な内容は記されていません。しかし、人をとりこにして、キリストの教えに反するような教えに従ってはならない、と命じているのです。キリストの教えは「神の徳」をもたらすものです。「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」(コリント第一8章1節)と言われているように、知識を得た結果、人を見下すようになるならば、その種の知識は人の徳を高めるとは言えません。
 今の時代においても、人々は支配や権威を得るべく、知識においても相争うことがあるかもしれません。神の民であるイスラエル人であっても、イスラエル人の身のしるしである割礼を誇りとし、無割礼の者を差別しました(ガラテヤ6章13節)。それに対し、パウロは「手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼」(コロサイ2章11節)を重視しました。
 そして、キリストこそ「すべての支配と権威とのかしら」(コロサイ2章10節)だと言っています。そして、「無学な、ただの人たち」(使徒4章13節)であろうとも、「罪の中にあり、かつ肉の割礼がない」者であろうとも、「キリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして」(コロサイ2章13節)下さる神を知る知識に勝るものはない。そのことを至高の知識として守りなさい、とパウロは教えています。
 「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。」(コロサイ2章12節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。ありとあらゆる情報にあふれ、さまざまな知識に翻弄されるような時代に私たちは生かされています。その中にあっても、私たちは間違いのない確かな知識により頼んで歩むことができますように。キリストの祈りを私たちもいたします。「真理によって…聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。」(ヨハネ17章17節)
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)