(写真:ローズマリー)
ヨブ23:1-10
23:1 そこでヨブは答えて言った、
23:2 「きょうもまた、わたしのつぶやきは激しく、
彼の手はわたしの嘆きにかかわらず、重い。
23:3 どうか、彼を尋ねてどこで会えるかを知り、
そのみ座に至ることができるように。
23:4 わたしは彼の前にわたしの訴えをならべ、
口をきわめて論議するであろう。
23:5 わたしは、わたしに答えられるみ言葉を知り、
わたしに言われる所を悟ろう。
23:6 彼は大いなる力をもって、
わたしと争われるであろうか、
いな、かえってわたしを顧みられるであろう。
23:7 かしこでは正しい人は彼と言い争うことができる。
そうすれば、わたしはわたしをさばく者から
永久に救われるであろう。
23:8 見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。
退いても、彼を認めることができない。
23:9 左の方に尋ねても、会うことができない。
右の方に向かっても、見ることができない。
23:10 しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。
彼がわたしを試みられるとき、
わたしは金のように出て来るであろう。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/02/09
2020年2月10日3分メッセージ
平安を与えて下さる神様 志村キリスト教会 日高基善
約1年間日曜礼拝に通った私は、6年前喜寿の年に洗礼を受けました。妻が熱心に勧めたこと(そんなことは覚えていないと言いますが)、8年余り引き籠りだった娘がキリスト信仰を持つことによって社会復帰ができ、結婚もできたこと、自分がまさかの前立腺癌の手術を受けたこと等により、今後の日々を平安に過すためには教会での学びを続けるのが良いのではないかと思ったわけです。
毎日曜礼拝の説教では聖書の短い一区切りを丁寧に説き明かしていただくのですが、深く頷いたり、首を傾げたり、考え込んだりしている次第です。家でも時々解説書を片手に聖書を読むのですが、「こんな日本語があるか?」と翻訳に文句を言いたくなる箇所も多くあり、教会で説教を聴くことの大切さを実感します。
又、賛美も皆と一緒なら自然に歌えて「いい曲一杯あるなあ」という思いです。
日曜礼拝に出席しているだけで、自分はあまり変ったとも思えませんが、妻と娘は「お父さん変ったよね」と語り合っているようです。
後期高齢者になる迄、聖書とは無縁の生活をしていましたので、理解も遅く、記憶力も衰えて来ているので、やはりもっと若い時に接していれば良かったのにと思わずにはいられません。
聖書の教えの最も大切なことは“謙虚であれ”ということだと思うと、今の政治の世界のおごり高ぶりが気になって仕方ありません。政治にたずさわる者は皆聖書を学んで“民のしもべ”となる心がけを持ってもらいたい等と思ってしまうのです。勿論、自らがそのように努めなければなりません。
又、聖書の教えで、とてもわかり易く、実行出来そうだけれども難しい第一テサロニケ5章16節から18節、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」という究極のプラス思考のみことばを心に、今現在穏やかに過せていることに感謝しつつ、これからの歩みを続けて行きたいと思っています。
(聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
2020年2月9日3分メッセージ
詩篇125篇4節、5節をお読みします。
主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。しかし転じて自分の曲った道に入る者を主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。
詩篇125篇は、神の選民イスラエルの都、エルサレムで行われる祭りで歌われた賛美歌です。彼らは自らが山々のように動かされず、安泰であることを神に感謝して歌っています(詩篇125篇1節)。
しかし、イスラエルは国家的な動揺を経験していない訳ではありません。彼らは他国に攻め入られることも度々経験し、バビロニア王国に打ち負かされて捕囚の憂き目に遭ったこともあります。
イスラエルはその事実を自らの落ち度によるものとして回想しています。「主は、悪を行う者と共に去らせられる。」(詩篇125篇5節)そして二度と「悪しき者のつえ」(詩篇125篇3節)を握って、不正に手を染めないことを誓ってこの詩篇の言葉を歌っているのです。
イスラエルは、何もせずに平和を得ることはできないことをその身で知っています。彼らは神の奇跡によって帰国することができ(イザヤ35章10節)、再びエルサレムに集まって祭りを行うことができるようになりました。イスラエルの神、聖書の神は平和をつくり出す神であり、神の民は平和を祈り求めているのです(詩篇125篇5節)。
私たちも平和を求めてご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。聖書は私たちに教えています。「主に信頼する者は、動かされることがない。」どうか私たちの心に揺るぐことのない平安を、日本に、また世界にあなたがつくり出される平和を与えて下さい。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/02/02
2020年2月9日の聖書日課
(写真:クリスマスローズ)
詩篇125篇 都もうでの歌
125:1 主に信頼する者は、動かされることなくて、
とこしえにあるシオンの山のようである。
125:2 山々がエルサレムを囲んでいるように、
主は今からとこしえにその民を囲まれる。
125:3 これは悪しき者のつえが
正しい者の所領にとどまることなく、
正しい者がその手を
不義に伸べることのないためである。
125:4 主よ、善良な人と、
心の正しい人とに、さいわいを施してください。
125:5 しかし転じて自分の曲った道に入る者を
主は、悪を行う者と共に去らせられる。
イスラエルの上に平安があるように。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
詩篇125篇 都もうでの歌
125:1 主に信頼する者は、動かされることなくて、
とこしえにあるシオンの山のようである。
125:2 山々がエルサレムを囲んでいるように、
主は今からとこしえにその民を囲まれる。
125:3 これは悪しき者のつえが
正しい者の所領にとどまることなく、
正しい者がその手を
不義に伸べることのないためである。
125:4 主よ、善良な人と、
心の正しい人とに、さいわいを施してください。
125:5 しかし転じて自分の曲った道に入る者を
主は、悪を行う者と共に去らせられる。
イスラエルの上に平安があるように。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020年2月2日3分メッセージ
ヨハネ2章13節から17節までをお読みします。
さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
イエス・キリストは礼拝のために神の宮に上りました。そこでキリストは、礼拝の雰囲気にそぐわない商売の騒がしさを見て、怒って商売人たちを宮から追い出しました。
このようなキリストの激しい姿を意外に思われるかも知れません。しかし、聖書は神が愛であることを語っている(第一ヨハネ4章8節)と同じく、神は怒って悪を裁く方であることも語っています(詩篇7篇11節)。
神は愛であることと、神は正義であることは、決して矛盾することではありません。神はえこひいきすることなく、正しい道筋を通して人を愛されます(ローマ2章11節)。また神は愛するがために、人に試練を与えて正しい生き方に立ち戻らせようと仕向けられます(ヘブル12章6節)。
神の宮の風紀を正したキリストを見て、弟子たちは聖書の言葉、「神(あなた)の宮を思う熱心」をキリストの姿に見ました。キリストの熱心は神を愛する熱い思いに裏打ちされたものでした。私たちもキリストの姿から、愛に満ちた熱い心と、聖書に基づいた正しい知識を身に着けていきたいと思います。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。イエス・キリストの言葉と行動、そして心の熱い思いにならうことができますように。神の愛と神の正しさ、その両方に学んでいくことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020年2月2日の聖書日課
(写真:ウメ)
ヨハネ2:13-22
2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。
2:14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、
2:15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、
2:16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
2:18 そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。
2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
ヨハネ2:13-22
2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。
2:14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、
2:15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、
2:16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
2:18 そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。
2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2020/02/01
【集会中止】2020年4月12日(日) イースター礼拝
4月12日(日)は、イエス・キリストの
死からの復活を祝うイースターです。
今回は政府の緊急事態宣言を受けて、
教会での集会は中止いたします。
ご自宅にてイースターをお祝いされますよう
ご案内させていただきます。
死からの復活を祝うイースターです。
今回は政府の緊急事態宣言を受けて、
教会での集会は中止いたします。
ご自宅にてイースターをお祝いされますよう
ご案内させていただきます。
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