2024/01/31

2024年1月28日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・157「いざ語れ主の民よ」
聖書:ヨブ22:21-28

あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。(ヨブ22章21節)

 ヨブ記は、信仰の先人たちによる知恵の言葉を多く含んでいます。その知恵の言葉は、時代が変わろうとも、変わることのない普遍的な真理を語っています。
 ヨブ記は「神と和らいで、平安を得よ」と語りかけています。聖書の神は「全能者」(ヨブ22章3節)であり、隠されたことを暴いて正しくさばく神であり(ヨブ22章13節)、悪を憎み正義を守る神です(ヨブ22章19節)。
 ヨブ記の中心人物であるヨブは、「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」(ヨブ1章1節)と言われる人でした。しかし、非常な苦難がヨブを襲った時、彼は「神はわたしの潔白を知られる」(ヨブ31章6節)と言い、神よりも自分の正しいことを主張しだしました(ヨブ32章2節)。そこで、彼の友人たちは「全能者に立ち返って、おのれを低く」せよと勧めました(ヨブ22章23節)。
 聖書の神は「高ぶる者を低くされるが、へりくだる者を救われ」ます(ヨブ22章29節)。全能の神に対し、人が自らの権利を主張することは得策ではありません。人の力を超える、神の全能の御力を求めるなら、「自らのこがね(宝)をちりの中に置き、全能者を自らのこがねと」しましょう(ヨブ22章25節)。そうすれば、ヨブがちり灰の中で悔い改めた後、神によって回復されたように(ヨブ42章)、時が来れば神が私たちを高く引き上げ、救ってくださいます(ペテロ第一5章6節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは時に思い上がってしまい、周りも自らをも見えなくなってしまうことがあります。ヨブが最後に神の前にへりくだり、神の全能の御力にすがったように、私たちにもただ神の全能によりすがる謙虚さを与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/01/28

讃美歌21・157「いざ語れ主の民よ」

1)いざ語れ 主の民よ
味方なる 神ともに
いまさずば 敵せまり
そのほのお 燃えさかり
わがたましい 飲みつくさん

2)味方なる 神ともに
いまさずば わざわいは
あふれくる 大水の
恐るべき 波となり
わがいのち 押し流さん

3)ほめ歌え 主のみ名を
からみつく 網を裂き
逃れさる 鳥のごと
わがたましい 逃れたり
主のみ名に 助けあり

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年1月28日の聖書日課

(写真:ヤマガラ)

ヨブ22:21-28
 22:21 あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。
そうすれば幸福があなたに来るでしょう。
 22:22 どうか、彼の口から教を受け、
その言葉をあなたの心におさめるように。
 22:23 あなたがもし全能者に立ち返って、おのれを低くし、
あなたの天幕から不義を除き去り、
 22:24 こがねをちりの中に置き、
オフルのこがねを谷川の石の中に置き、
 22:25 全能者があなたのこがねとなり、
あなたの貴重なしろがねとなるならば、
 22:26 その時、あなたは全能者を喜び、
神に向かって顔をあげることができる。
 22:27 あなたが彼に祈るならば、彼はあなたに聞かれる。
そしてあなたは自分の誓いを果す。
 22:28 あなたが事をなそうと定めるならば、
あなたはその事を成就し、
あなたの道には光が輝く。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/01/21

2024年1月21日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・404「あまつ真清水」
聖書:ヨハネ第一1:1-4

わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。(ヨハネ第一1章3節)

 ヨハネの第一の手紙は、その文章がヨハネによる福音書とよく似ています。両方とも文章の中で自分の名前(ヨハネ)を明らかにしていません。また簡単な言葉(いのち、言、等々)を用いて神の真理を表現しています。このことは、この手紙や福音書を書き送った相手が、手紙の書き手にとってごく親しい関係にあり、わざわざ自己紹介するまでもなかったことが考えられます。
 手紙でも、このように書いており、深い信頼関係があったことが感じさせられます。「これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネ第一1章4節)
 ヨハネの第二の手紙ではこのようにも語っています。「あなたがたに書きおくることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところに行き、直接はなし合って、共に喜びに満ちあふれたいものである。」(ヨハネ第二12節)ヨハネが願うことは直接会って、親しく交わることでした。しかしそのことが叶わないと、ヨハネは親しみを込めて手紙をしたためたのでした。
 このことは、神の言葉といわれる聖書の性格とも共通することです。聖書の神は、聖書を通して読者との深い交わりを求めています。そして、深い交わりを通して「永遠のいのち」(ヨハネ第一1章2節)を与えたいと願われているのです。
 聖書は取っつきにくい書物かもしれません。しかし、聖書に親しむにつれ、そこから単なる知識以上の喜びがあふれてきます。「父ならびに御子イエス・キリストとの交わり」を通して、皆様に豊かな祝福が満ちあふれるようになりますように。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたは私たちとの交わりを求めて、私たちの手に聖書を与えてくださいました。どうぞ、私たちは聖書を読むことを通して、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりに与ることができますように。私たちの心の目を、耳を開いてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・404「あまつ真清水」

1)天(あま)つ真清水 流れきて
あまねく世をぞ うるおせる
ながく渇きし わがたましいも
汲みていのちに かえりけり

2)天つ真清水 飲むままに
渇きを知らぬ 身となりぬ
つきぬ恵みは 心のうちに
泉となりて わきあふる

3)天つ真清水 受けずして
罪に枯れたる 人草の
さかえの花は いかで咲くべき
注げ いのちの 真清水を

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年1月21日の聖書日課

(写真:ツグミ)

ヨハネ第一1:1-4
 1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――
 1:2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――
 1:3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
 1:4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/01/14

2024年1月14日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・189「ちいさいこどもの」
聖書:サムエル上3:1-10

主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。(サムエル上3章10節)

 イスラエル人を指導する偉大な預言者であったサムエルは、祭司エリのもとで神殿奉仕を行うわらべでした(サムエル上3章1節)。サムエルは最初から預言者であった訳ではありませんでした。
 神はサムエルに呼びかけられました。しかし、サムエルは神の声であることに気づかず、祭司エリの声と勘違いしました。同じことが三度繰り返されて、ようやくエリが神の声であることに気づき、サムエルにこう言って諭しました。「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」(サムエル上3章2~9節)
 この出来事は、預言者サムエルがいかにして神の御言葉を正しく聞き受け、預言者の務めを果たすようになったかを示しています。それと同時に、私たちにも神がそれぞれの方法で語りかけておられ、それに私たちが気づくべきであることをも教えています。
 私たちの手元にある聖書も「神の御言葉」として受け止めることが大切です。サムエルも最初は、神の声を聞きながら、それを神の御言葉であると知ることができませんでした。私たちも「しもべは聞きます」という素直な心持ちで聖書に向き合うならば、聖書は神からの御言葉として私たちに響いてきます。
 「あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。」(ペテロ第二1章19節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」(詩篇119篇105節)御言葉を目にし、耳にしていながら悟ることのできない私たちの心を開いてください。この暗闇の時代に進むべき私たちの道を、御言葉によって示してください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)