2024/06/20

聖書の教理~(11)人間の要素

 人間の要素にはいくつかの見方があります。それぞれの要素に分類することができるかもしれませんが、人間として生きるためにはすべての要素が不可欠であり、不要な要素であるとして切り捨てることはできません。

 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)人間が死を迎えると、人間の要素はそれぞれの出所に帰っていきます。「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(伝道12:7)

 聖書の神は、人間のすべての要素を含んだ、全人格的な祝福を賜ります。「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って…下さるように。」(テサロニケ第一5:23)それとともに、それぞれの要素を大事に取り扱うように教えています。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言4:23)

 私たちの体は死を経て必ず滅びます。神は人間に体が必要であることをご存じであり、新しい体を用意しておられます(コリント第一15:35-58)。「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。」(コロサイ3:9-10)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/13

聖書の教理~(10)人間の性質

 聖書は人間の起源が神によることを語っています。神は、天地創造にあたって人間を「神のかたち」にかたどって創造し、地を治めさせました(創世記1:26-28)。人間には神の特別な愛顧と祝福がありました。

 しかし、人間は神の定めに背いて罪を犯し、神の園エデンから追放されてしまいました(創世記3章)。その時から、人間の本質的な性質である「神のかたち」がゆがめられてしまいました。

 良心(テモテ第一1:5)が汚れた良心(テトス1:15)に、知恵(ダニエル2:21)が腐った知恵(詩篇14:1)に、永遠の生命(ダニエル12:2)が束の間の生命(ハバクク2:10)に、獣を支配する者(創世記1:28)が獣にひとしく(詩篇49:20)なってしまいました。人間は自らの罪により、神の性質である「神のかたち」を損ない、失ってしまいました。

 イエス・キリストによる救いのわざの一つが、私たちの「神のかたち」を回復させることです。「彼(キリスト)は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ3:21)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/06

聖書の教理~(9)悪魔

 悪魔について、聖書は明確に示している個所もありますが、悪魔を示唆していると思われるような個所もあります。しかし、不明確な聖書の言葉については慎重に取り扱うべきです。例えば、「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。」(イザヤ14:12)という言葉は、悪魔を示しているとは断言できません。

 悪魔についても、聖書は様々な呼び名によってその性質を示しています。例)サタン(敵対者、ヨブ1~2章)、アバドン、アポルオン(破壊者、黙示録9:11)、試みる者(マタイ4:1-11)、この世の神(コリント第二4:4)。

 悪魔はその呼び名、その活動に示されている通り、神と神に従う者たちに反抗することが本分です(テサロニケ第一2:18)。神への反抗のためなら、正義に擬装することも行います(コリント第二11:13-15)。しかし、悪魔の最後は滅亡であることが定められています(黙示録20章)。

 悪魔は決して恐れるに足りません。なぜなら、神がわたしたちの味方となってくださるからです(ローマ8:31)。キリストはこのように宣言しています。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)。

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/05/30

聖書の教理~(8)天使

 聖書は、神や人とは異なる存在として天使に言及しています。天使について詳しく説明している聖書の言葉は多くありません。天使を神格化して礼拝することは禁じられています(コロサイ2:18)。「わたしは彼(天使)の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、『そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。…」(黙示録19:10)

 聖書に示されている天使の性質は、明らかに人間と異なり、人間よりはるかに優れています(ルカ20:36)。しかし、キリストに従う存在であることは、この世のクリスチャンと共通しています(ペテロ第一3:22)。神のしもべとして、天使は従順であり(詩篇103:20)、敬虔であり(ネヘミヤ9:6)、賢明であり(サムエル下14:17)、聖なる存在です(黙示録14:10)。

 天使はクリスチャンに仕えるために、神の命で天よりつかわされました(ヘブル1:14)。私たちは天使の奉仕への姿勢から学べることがあるはずです。「感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。」(ヘブル12:28)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/05/23

聖書の教理~(7)三位一体

 聖書の神の「三位一体」とは、聖書において直接的に説明されている言葉・概念ではありません。しかし、聖書を読んで神を知るにつれて、聖書の神の最も妥当な説明を与えるものです。一例として「アタナシオ信経」では次の通り三位一体を説明しています。「父は一つの位格、子も他の位格、聖霊も他の位格である…。しかし、父、子、聖霊の神性はまったく一つであり、栄光は等しく、尊厳は共に永遠である。」

 聖書では三位一体の教理のそれぞれの一面を垣間見ることができます。「父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」(ヨハネ5:19)「父がわたし(子)の名によってつかわされる聖霊」(ヨハネ14:26)三位一体とは、聖書の神が永遠の交わりを持たれる方であることを示します。

 聖書は神が唯一であり(申命記6:4)、その神が神の働きにおいて様々な現れを伴うことを示しています(創世記1:1-2)。イエス・キリストの地上の生涯においても三位一体の神の現われが伴っていました(マタイ3:16)。教会は三位一体の神への信仰に立ち、このように言って祝福の祈りをささげます。「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。」(コリント第二13:13)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)
『アタナシオ信経』(日本聖公会「祈祷書」(2004年)より)

2024/05/16

聖書の教理~(6)神の属性

 前回、神の呼び名が神の性質を表すことを学びました。神の性質は神の全面的な特徴を説明していますが、今回学ぶ「神の属性」は神の特徴の各一面を説明するものです。神の属性は大きく三つに分類されます。

 a)「絶対的属性」は、神とその他の被造物とを区別する属性です。例)「神は霊」(ヨハネ4:24)、「神は無限」(列王記上8:27)、「神は唯一」(申命記6:4)。

 b)「能動的属性」は、神と世界との関係を示す属性です。例)「神は全能」(ヨブ40:2)、「神は遍在」(詩篇139:8)、「神は全知」(マタイ6:8)、「神は知恵(摂理)」(箴言3:19)、「神は主権者」(ダニエル4:34)。

 c)「道徳的属性」は、神と人との関係を示す属性です。例)「神は聖」(レビ11:45)、「神は義」(創世記18:25)、「神は真実」(ローマ3:4)、「神は憐み深い」(テトス3:5)、「神は愛」(ヨハネ第一4:8)、「神は善」(使徒14:17)。

 皆様の聖書の学びがますます豊かにされますように。「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」(マタイ5:8)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)