2024/02/21

讃美歌21・40-6「アーメン」

アーメン アーメン アーメン アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024/02/18

2024年2月18日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・467「われらを導く」
聖書:出エジプト17:3-7

そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。(出エジプト17章7節)

 神の民イスラエルはモーセに従い、約束の地を目指して荒野を旅し続けました。荒野の厳しい旅には、特に飲み水を必要とする子供や家畜も一緒でした(出エジプト17章3節)。ですから、イスラエルの人々にとって飲み水は死活問題であり、彼らが飲み水を求めてモーセに訴え出たことも無理もないことでした(出エジプト17章2節)。
 しかし、民の訴え方は脅迫めいたものであったようです。モーセは「彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と言って神に訴えました(出エジプト17章4節)。その後に与えられたのが「マッサ(試みの意)」の水であり、「メリバ(争いの意)」の水でした。
 後にモーセはこう語りました。「あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。」(申命記6章16節)「主を試みる」とは、具体的には飲み水を求めて、手段を問わずに指導者モーセに食ってかかり、神への不信を口にするような揺さぶりを、神にかけようとすることです。聖書は「目的を達するために悪をもいとわず行動する」ことを戒めています。
 聖書の神は人の願いをかえりみ、私たちの切なる祈りに応えてくださる方です。キリストが悪魔に対し『主なるあなたの神を試みてはならない』(マタイ4章7節)と命じ、その後に「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(マタイ7章7節)と言って私たちを教えています。私たちをかえりみてくださる神に信頼し、祈りをささげましょう(ペテロ第一5章7節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。あなたはすべてのことをご存じです。それにも関わらず、私たちはしばしば神を信じることなく、人に対するように神をも指図するような過ちを犯してしまいます。私たちにも「マッサの水の出来事を思い出せ」と聖書は語りかけます。私たちも悔い改めつつ、信仰をもって祈る者へとしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・467「われらを導く」

1)われらを導く あがないの主よ
力強い手で 旅路を守り
そなえてください 天の糧
命のパンを

2)泉を開いて 渇きをいやし
炎と雲との 柱を立てて
行かせてください 世の旅路
主よ わが盾よ

3)ヨルダンの流れを 渡るわれらの
死の恐れ砕き 導く神よ
ほめうた歌おう 声高く
約束の地で

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年2月18日の聖書日課

(写真:オオバン)

出エジプト17:3-7
 17:3 民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。
 17:4 このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。
 17:5 主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。
 17:6 見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。
 17:7 そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/02/11

2024年2月11日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・7「ほめたたえよ力強き主を」
聖書:申命記8:1-6

あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。(申命記8章2節)

 出エジプトの出来事は、神の民イスラエルの試練を語っています。私たちはそこから、私たち自身の人生で経験する試練について学ぶことができます。
 四十年は、いくつか世代を重ねるほどの非常に長い期間です。その間、イスラエルの民は荒野の旅を続けていました。彼らには約束の地という目標がありましたが、そこに至るまで様々な試練を経験しなければなりませんでした。その彼らの姿に、私たちがそれぞれ歩んでいる長い人生を垣間見ることができるのではないでしょうか。
 彼らの長い旅路で経験した試練には深い意味がありました。申命記に記されたモーセの言葉は、苦しいからと言って無視したり忘れてはならず、「すべての道を覚えなければならない」と語っています。彼らが経験した苦しみとはまさに「試錬」(ヤコブ1章2節)であり、知恵をもって忍耐を働かせるべきものです。また、長い旅路の中で彼らは、神の子としてふさわしく「訓練」(申命記8章5節)されました。
 イエス・キリストは同じように荒野で試練に会われました(マタイ4章)。その際、悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言って試みました。神の子とは、全知全能のスーパーマンであると誤解してはいけません。神の子は試練によって訓練された者であり、それは神の命令を守り行う(申命記8章1節)ことに徹する者です。それゆえ、キリストは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と答えられました(マタイ4章4節)。
 聖書の神は今日も、神の子である私たち(ヨハネ1章12節)に天からのパンを備え、私たちの行くべき道を守り導いてくださいます。信仰をもって試練に立ち向かってまいりましょう。「門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイ7章7節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。神の民であるイスラエルは約束の地を目指して荒野を旅しました。私たちも神の導きに従い、人生の歩みを完成させることができますように。荒野の旅路にあっても、私たちをいこいのみぎわに伴い、正しい道に導いてください(詩篇23篇2~3節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・7「ほめたたえよ力強き主を」

1)ほめたたえよ 力強き主を
わが心よ 今しも目さめて
たて琴 かきならしつつ
み名をほめまつれ

2)ほめたたえよ 王なるみ神を
ゆだねまつる わが身をはげまし
みつばさ 伸べたもう主の
みわざ たぐいなし

3)ほめたたえよ 救いのみ神を
そのみ手には 常に備えあり
なやめる われを導く
恵みかぎりなし

4)ほめたたえよ 恵み深き主を
いのちの雨 上より注がれ
つきせぬ そのいつくしみ
ここに現れぬ

5)ほめたたえよ 光のみ神を
生けるものよ そのみ名たたえよ
恵みを とわに忘れず
共に与え アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年2月11日の聖書日課

(写真:ホシハジロ)

申命記8:1-6
 8:1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
 8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
 8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
 8:4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
 8:5 あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。
 8:6 あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)