2023/01/29
讃美歌21・474「わが身の望みは」
主イエスのほかには よるべきものなし
(おりかえし)
われらのイエスこそ 救いの岩なれ
救いの岩なれ
2)風いとはげしく 波たつ闇夜も
みもとに錨(いかり)を おろして安らわん
(おりかえし)
3)この世の望みの 消えゆく時にも
心は動かじ み誓い頼めば
(おりかえし)
4)終わりの知らせの ラッパの音(ね)聞く時
主の義をまといて み前にわれ立たん
(おりかえし)
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
2023/01/23
2023年1月29日の聖書日課
(写真:ビオラ) |
ルカ21:1-6
21:1 イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、
21:2 また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て
21:3 言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。
21:4 これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。
21:5 ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、
21:6 「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2023/01/22
2023年1月22日3分メッセージ
詩篇111篇1節をお読みします。
主をほめたたえよ。わたしは正しい者のつどい、および公会で、心をつくして主に感謝する。
「主をほめたたえよ」という言葉は、聖書の元々の言葉であるヘブル語では「ハレルヤ」と言います。聖書の中では、ハレルヤは神を賛美する言葉として用いられています(黙示録19章1節)。
ハレルヤという言葉は、時々一般の歌謡曲でも使われることがありますが、ほとんどの場合、喜びの叫び声として歌われているようです。本来の出所である聖書でも、ハレルヤは神の救いのわざに対する感謝の言葉として用いられ、数多くの賛美歌の中で歌われています(詩篇111篇1~2節)。
聖書の中でハレルヤと賛美する人々は、神の救いのわざを自分自身で体験しています。救いの神が確かにおられること、神の救いは失せることなく、今も、これからも体験することができるのだ、ということを喜びをもって歌っているのです(詩篇111篇3節)。それに留まらず、自らが体験した救いを他の人々にも伝えたいと願い、「主をほめたたえよ」と歌って人々に神の救いのわざを訴えかけているのです。
この救われたことの喜びが多くの人々に、ハレルヤの輪と共に広まりますように。ハレルヤの賛美は、広がりつつある喜びの輪です。皆様のもとにもこの喜びが伝わりますようにと願います。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。時々街中でも聞こえてくる賛美歌は、神の救いに与ったことの喜びを伝えています。「ハレルヤ」の賛美と共に、天から降り注ぐ喜びがこの地に満ちますように。私たちも、ハレルヤの大きな喜びの輪の中に加わることができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
讃美歌21・156「目を上げわたしは見る」
助けはどこから来る わたしに
天と地を造られた
み神のもとから来る
2)見よ 主はゆくべき道 示して
よろめく弱い足を 支える
主はつねに まどろまず
眠らず 民を守る
3)あなたを見守る方 み神は
あなたをつねに覆う 右の手
昼は太陽 夜は月
あなたを苦しめない
4)み神は 災いみな遠ざけ
あなたの魂をも 見守る
旅立つ日 帰る日も
今より とこしえまで
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)
2023/01/16
2023年1月22日の聖書日課
(写真:キダチアロエ) |
詩篇111篇
111:1 主をほめたたえよ。
わたしは正しい者のつどい、および公会で、
心をつくして主に感謝する。
111:2 主のみわざは偉大である。
すべてそのみわざを喜ぶ者によって尋ね窮められる。
111:3 そのみわざは栄光と威厳とに満ち、
その義はとこしえに、うせることがない。
111:4 主はそのくすしきみわざを記念させられた。
主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。
111:5 主はおのれを恐れる者に食物を与え、
その契約をとこしえに心にとめられる。
111:6 主はもろもろの国民の所領をその民に与えて、
みわざの力をこれにあらわされた。
111:7 そのみ手のわざは真実かつ公正であり、
すべてのさとしは確かである。
111:8 これらは世々かぎりなく堅く立ち、
真実と正直とをもってなされた。
111:9 主はその民にあがないを施し、
その契約をとこしえに立てられた。
そのみ名は聖にして、おそれおおい。
111:10 主を恐れることは知恵のはじめである。
これを行う者はみな良き悟りを得る。
主の誉は、とこしえに、うせることはない。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2023/01/15
2023年1月15日3分メッセージ
出エジプト18章19節をお読みします。
今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。
モーセは神の命令に従い、エジプトで奴隷とされていたイスラエル人を導き出しました(出エジプト13章3節)。しかし、神が与えると約束した地(出エジプト6章8節)に至るまでは、イスラエル人は長く苦しい旅を続けなければなりませんでした。モーセは、人々の間に起きた争い事を収めるため、人々からの訴えを一人で受けて、裁いていました(出エジプト18章13~16節)。
モーセたちがエジプトを出た後、旅路の途中でモーセの舅(しゅうと)であるエテロが出迎えにやって来ました(出エジプト18章1~12節)。そして、モーセがイスラエルの人々を朝から晩まで一人で仲裁し続けているのを見て、その問題点を指摘して役割分担すべきことを助言しました(出エジプト18章13~23節)。モーセはエテロの指摘を素直に受け入れ、助言に従って役割分担を実行しました(出エジプト18章24~26節)。
モーセは人々を導く実力を持ち合わせた人物でしたが、何よりも優れていたのは、他人からの言葉に耳を傾け、良い助言は素直に従う心を持っていたことでした。「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記12章3節)と言われています。この柔和で謙遜な心は、今日の私たちも聖書から学ぶべき第一のものです。
モーセ自身、若いころは自分自身の力に頼って人々を救おうと実行しましたが、良い結果を得られず、人々からも憎まれる結果となって失敗したことがあります(出エジプト2章11~15節)。聖書の神は殊更に力のある者を選んで祝福される訳ではありません(申命記7章7節)。神の祝福は、むしろ神の教えを聞き入れ、素直に従う者に与えられます(申命記11章27節)。
しかし、柔和で謙遜な心は簡単に身につくものではありません。イエス・キリストは私たちにこのように言って招いています。「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが得られるであろう。」(マタイ11章29節)
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。私たちはあまりに多くの仕事に没頭させられ、特に人間関係に悩むことが多くあります。そのような中でも、人々の声に耳を傾け、正しい事に従う心を与えてください。格別に天からの知恵を教えてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
讃美歌21・449「千歳の岩よ」
裂かれし脇の 血潮と水に
罪もけがれも 洗いきよめよ
2)かよわき我は おきてに耐えず
燃ゆる心も たぎつ涙も
罪をあがなう 力はあらず
3)十字架のほかに 頼むかげなき
わびしき我を 憐れみたまえ
み救い無くば 生くるすべなし
4)世にあるうちも 世を去る時も
知らぬ陰府(よみ)にも さばきの日にも
千歳の岩よ わが身を囲め
アーメン
出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について)