(写真:ムベ)
マタイ11:25-30
11:25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
11:26 父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
11:27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/24
2021/05/23
2021年5月23日3分メッセージ
使徒2章1節、2節をお読みします。
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
「五旬節の日」とは聖書の民イスラエル人の祭りの日であり、「ペンテコステ」とも言われます。私たち、志村キリスト教会の所属している「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド」という団体はペンテコステ派の教会であり、ペンテコステは特に重要な祭りの一つです。
キリストの十字架、復活、昇天の出来事の後、キリストの弟子であるクリスチャンたちは、一つの家に集まってひたすら祈り続けていました(使徒1章14節)。彼らの心には様々な思いがあったと思います。同時に、彼らの心にはキリストとの大切な思い出がありました。彼らのうちにはキリストのこのような言葉が響いていたはずです。「あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1章15節)。
ペンテコステの日、キリストの弟子たちが体験したことは、まさにキリストが約束していた出来事でした。それは「聖霊のバプテスマ」という体験です。彼らは喜びに満ち溢れました(使徒2章28節)。そして、キリストの約束通りに力を受けて、一つの所に留まり続けるのではなく、外に出て行ってキリストの福音を宣べ伝え始めました(使徒1章8節)。
そして、約2千年前にエルサレムから始まった福音宣教が今に至り、世界中に教会やクリスチャンが存在するようになりました。今の時代もなお、キリストが約束した力はすべての人のために用意されています。皆様もペンテコステの恵みに与ることができますように、祝福をお祈りいたします。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。キリストは「聖霊のバプテスマを受けることができる」と約束されました。キリストの弟子たちが約束の力に満たされたように、私たちにも聖霊の力を注いでください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/17
2021年5月23日の聖書日課
(写真:フジ)
使徒2:1-11
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
2:11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
使徒2:1-11
2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
2:11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/16
2021年5月16日3分メッセージ
エペソ4章1節をお読みします。
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き…
キリストの使徒パウロは、エペソの町に住むクリスチャンたちに宛てて手紙を書きました(エペソ1章1節)。その当時、パウロはキリスト教の宣教活動の最中に囚われて、牢獄の中でこの手紙を書きました(エペソ3章1節)。
パウロは自ら「主イエス・キリストある囚人」と名乗りましたが、その言葉は「クリスチャンはキリストに繋がれた囚人である」ことを意味しています。そして、キリストの囚人としてふさわしい生き方を勧める言葉として、エペソ4章以下の言葉を書き送りました。その内容は、謙虚、柔和、寛容、愛による生き方です(エペソ4章2節)。
キリストの囚人は、何か法に触れる悪事を行って牢獄に繋がれる者ではありません。むしろ、クリスチャンの生き方にふさわしい「愛」そのものによって囚えられ、愛による生き方しかできなくなってしまった者を意味します。
しかし、そのような生き方は自然にできるものではありません。それは、キリストご自身によって召し出されて、キリストから賜る平和のきずな、聖霊による一致を受け入れることによって、初めてできる生き方です(エペソ4章3節)。私たちもキリストから望み、信仰、恵みを頂いて、キリストと共に歩んでまいりましょう(エペソ5章2節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。聖書は私たちに愛に生きることを教え、私たちに勧めています。しかし、私たちは愛に生きるために助けを必要としています。どうぞ、イエス・キリストのうちに愛の生き方を学ばせてください。そして、キリストが歩まれたように、私たちも愛のうちに歩むことができますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/10
2021年5月16日の聖書日課
(写真:ハナミズキ)
エペソ4:1-8
4:1 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
4:7 しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。
4:8 そこで、こう言われている、
「彼は高いところに上った時、
とりこを捕えて引き行き、
人々に賜物を分け与えた」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
エペソ4:1-8
4:1 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
4:7 しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。
4:8 そこで、こう言われている、
「彼は高いところに上った時、
とりこを捕えて引き行き、
人々に賜物を分け与えた」。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/09
2021年5月9日3分メッセージ
マタイ6章1節をお読みします。
自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
「義」とは、正しい行い、または良い行いのことです。別の聖書の翻訳では、「善行」と言われています。
ある人は、ほかの人からほめられることを目的として、良い行いを人に見せつけたり、自慢話をしたりします。しかし、不純な動機による良い行いであったとしても、良い行いそのものが無効となる訳ではありません。むしろ聖書は、良い行いは当然に行われるべきものであると教えて、こう語っています。「強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。 」(ローマ15章1節)
キリストは良い行いについて、人々からほめられること以外の報いがあることを教えています。それは天の父なる神からの報いです。神は人々の目の届かない、隠れたところで悩み苦しむ者を見ておられます。そして、人々の目から隠れた良い行いをする者をも見ておられます(マタイ6章4節)。
私たちが他人のために良い行いをする時、その人から感謝されなかったり、何か特別な報いを得られない場合があります。しかし、聖書の神はそのことを決して見過ごしにされることはありません。隠れたところで助けてくださる神にならって、私たちも隠れたところで良い行いをする「神の子ども」となりましょう(マタイ5章9節)。
ご一緒にお祈りいたしましょう。
天の父なる神様。神の目には、良いことも悪いこともすべてがお見通しです。しかし私たちは、救いを必要とする者の隠れた祈りに応えられる神を信じます。どうぞ私たちも神の子どもとして、正しい、良い事そのものを実行する者とならせてください。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)
2021/05/03
2021年5月3日3分メッセージ
十字架で新しく 中央聖書神学校2年生 八木原海
私の高校時代は、体は丈夫なほうでしたが、心があまり健全ではありませんでした。インターネット上で悪口を書くのにはまっていたのです。学校と部活から家に帰るなり、親を軽蔑し、学校の同級生や気に入らないテレビタレントを思い出し、一言言ってやりたいと思い投稿しました。「彼らが悪い。私は普通だ」と言い聞かせていましたが、悪いのは私です。そう思いつつもやめられませんでした。そんな自分が恥ずかしかったし、人と会うのも苦痛でした。両親がクリスチャンだったので、子どもの頃から教会は引き続き通っていましたが、「私はこの場所にふさわしくない」と思っていました。実際礼拝堂の端の席に座っていました。しかし、ある時の牧師先生のお話は私に驚きを与えました。
悲惨なイエスキリストの話です。潔白のはずのイエスに罵声が浴びせられ、十字架刑に処せられるのです。「この罵声を浴びせる人たちはなんとひどいことをするのだ」と思いましたが、瞬間的に、いつも周囲を非難する自分に重なりました。イエスはさらに、耐えるどころか、「父よ彼らをお赦しください」と言いました。人の持つ罪を、十字架で背負って死ぬことで赦すという意味だそうです。私の中に拭われない「罪」の気持ちがあることが見透かされているようでした。説教の後の祈りの時間、私は神という存在に祈りました。「神様、私はコソコソ悪口をしています。すっきりすることはなく、ただ苦しいだけのこの生活、あなたに頼るしかありません、救ってください。」
祈り終わったあと、驚きました。自分の肩の荷がふっと下りたようでした。それだけではありません。翌日の朝ご飯で、レタスをシャキシャキっとかじるのが、おいしいのです。自転車で一歩一歩ペダルを踏んで、風を感じるのが心地良いのです。ささいなことでしょうか、しかし「今生きている」と心から思えたのは18年間生きてきて初めてでした。「罪が十字架につけられ、新しくイエスキリストの復活した命で生きられるのだ。」聖書に書いてある通りと思いました。当時の私を知る友人も私の変化に気づいたと言います。現に書き込む悪口は少しずつ減っていきました。そしてニュースでそのような被害を見聞きするたび、申し訳ない気持ちになり、助けを祈るようになっていきました。十字架にかかったイエスキリストは私の罪を除き、全く新しくしました。感謝します。
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