エゼキエル37:15-2237:15 主の言葉がわたしに臨んだ、37:16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。37:17 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。37:18 あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、37:19 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。37:20 あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、37:21 あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、37:22 その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。
エゼキエルは、バビロン(カルデヤ)捕囚期の預言者です(エゼキエル1:1-2)。「彼らは見る目があるが見ず、聞く耳があるが聞かず、彼らは反逆の家である」(エゼキエル12:2)と評されたイスラエル人に対し、エゼキエルは驚くべき幻、不可解な行為によって、なお神の使信を語り続けました。
二本の木(:16)はイスラエルの反逆の歴史と現状を示します。イスラエル(ヤコブ)の十二人の息子のうち、ヨセフがエジプトに売られましたが(創世記37章)、神は一家をエジプトへ送って飢饉から救われました(創世記46章)。出エジプトが国家の原点となりました(エゼキエル20:5-6)。国家はダビデ王が統一しましたが(エゼキエル34:23)、ユダ族の国とエフライム族の国に分裂し(:16)、滅亡、捕囚の憂き目にあいました。
神は彼らのなし得なかったことを、神の手でなすと約束されました。神が人々を「取り出し」、「集めて」、「みちびき」、「一つの民」とします(:21-22)。神は愛のわざにより私たちの心を一つにしてくださいます。「愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」(コロサイ3:14)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)