マタイ13:44-5213:44 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。13:45 また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。13:46 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。13:47 また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。13:48 それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。13:49 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、13:50 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。13:51 あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。13:52 そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
キリストは多くのたとえ話を語りました。マタイ13章にはその多くがまとめられています。その共通する主題は「天国」です。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)
元より「天国の奥義」(マタイ13:11)は言葉で伝えられるものではありません。しかし、キリストは天国の奥義をたとえにより、イメージを通して伝えました。私たちはそのイメージを開封するように、中身の宝である奥義を見つけなければなりません。
天国の特徴について、多くのたとえ話を通していくつかの点にまとめることができます。1)天国は計り知れない価値のあるものである。2)天国は捜し求められた末に発見されるものである。3)天国は選び抜かれた最良のものである。キリストが「捜せ、そうすれば、見いだすであろう」(マタイ7:7)と言われたのは、まさにこの天国を見いだすことの約束です。
私たちは「御国の言を聞いて悟らない」(マタイ13:19)者ではなく、「御言を聞いて悟る人…そういう人が実を結び」(マタイ13:23)と言われる者でありたいと思います。
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)