2024/02/18

2024年2月18日の聖書日課

(写真:オオバン)

出エジプト17:3-7
 17:3 民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。
 17:4 このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。
 17:5 主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。
 17:6 見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。
 17:7 そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/02/11

2024年2月11日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・7「ほめたたえよ力強き主を」
聖書:申命記8:1-6

あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。(申命記8章2節)

 出エジプトの出来事は、神の民イスラエルの試練を語っています。私たちはそこから、私たち自身の人生で経験する試練について学ぶことができます。
 四十年は、いくつか世代を重ねるほどの非常に長い期間です。その間、イスラエルの民は荒野の旅を続けていました。彼らには約束の地という目標がありましたが、そこに至るまで様々な試練を経験しなければなりませんでした。その彼らの姿に、私たちがそれぞれ歩んでいる長い人生を垣間見ることができるのではないでしょうか。
 彼らの長い旅路で経験した試練には深い意味がありました。申命記に記されたモーセの言葉は、苦しいからと言って無視したり忘れてはならず、「すべての道を覚えなければならない」と語っています。彼らが経験した苦しみとはまさに「試錬」(ヤコブ1章2節)であり、知恵をもって忍耐を働かせるべきものです。また、長い旅路の中で彼らは、神の子としてふさわしく「訓練」(申命記8章5節)されました。
 イエス・キリストは同じように荒野で試練に会われました(マタイ4章)。その際、悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と言って試みました。神の子とは、全知全能のスーパーマンであると誤解してはいけません。神の子は試練によって訓練された者であり、それは神の命令を守り行う(申命記8章1節)ことに徹する者です。それゆえ、キリストは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と答えられました(マタイ4章4節)。
 聖書の神は今日も、神の子である私たち(ヨハネ1章12節)に天からのパンを備え、私たちの行くべき道を守り導いてくださいます。信仰をもって試練に立ち向かってまいりましょう。「門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイ7章7節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。神の民であるイスラエルは約束の地を目指して荒野を旅しました。私たちも神の導きに従い、人生の歩みを完成させることができますように。荒野の旅路にあっても、私たちをいこいのみぎわに伴い、正しい道に導いてください(詩篇23篇2~3節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・7「ほめたたえよ力強き主を」

1)ほめたたえよ 力強き主を
わが心よ 今しも目さめて
たて琴 かきならしつつ
み名をほめまつれ

2)ほめたたえよ 王なるみ神を
ゆだねまつる わが身をはげまし
みつばさ 伸べたもう主の
みわざ たぐいなし

3)ほめたたえよ 救いのみ神を
そのみ手には 常に備えあり
なやめる われを導く
恵みかぎりなし

4)ほめたたえよ 恵み深き主を
いのちの雨 上より注がれ
つきせぬ そのいつくしみ
ここに現れぬ

5)ほめたたえよ 光のみ神を
生けるものよ そのみ名たたえよ
恵みを とわに忘れず
共に与え アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年2月11日の聖書日課

(写真:ホシハジロ)

申命記8:1-6
 8:1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
 8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
 8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
 8:4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
 8:5 あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。
 8:6 あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/02/04

2024年2月4日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・355「主をほめよわが心」
聖書:ヤコブ1:2-5

なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。(ヤコブ1章4節)

 聖書は、私たちが当たり前に思っている事柄に、新しい見方と知識を与えます。例えば、愛は「不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(コリント第一13章6~7節)と言われています。そのように、本物の愛は感情のうちに留まるものではなく、正義に立ちながらすべてを肯定するものであると教えています。
 同じく、ヤコブの手紙は「忍耐」について教えています。私たちの日常でも忍耐を強いられる場面は多くあります。キリスト教の長い歴史においても、多くの信仰者が忍耐を強いられてきました。特に日本ではキリシタン時代の信仰の弾圧が思い出されますし、ヤコブ書では旧約聖書のヨブの忍耐(ヤコブ5章11節)に触れています。
 私たちは、いろいろな試錬に会った時に忍耐を強いられます。試錬は決して喜ばしいことではありません。しかし、聖書は「むしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコブ1章2節)と言っています。それは、試錬によって「忍耐が生み出される」(ヤコブ1章3節)からだと教えます。つまり、忍耐を得られるのだから試錬を喜ばしく思え、という訳です。
 そして、忍耐は「なんら欠点のない、完全な、でき上がった人」を生み出します。私たちが完成した人となるために、忍耐は十分に働かせることができるものなのだ、というのが聖書の教えです。私たちも聖書の教える広い見方を身につけることができますように。「とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求め」(ヤコブ1章5節)ましょう。
 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは、人生の試錬に会う時に、困り果ててしまうことがあります。しかし、聖書は「むしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」と教えています。どうぞ私たちに、試錬に打ち勝つ忍耐を、また忍耐によって得られる成長を与えてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・355「主をほめよわが心」

1)主をほめよ わが心
主をほめよ 世の人よ
そのみわざに 秘められた
強い力 深い知恵

2)世のすべて とどまらず
はてしなく 変わり行く
主のことばに したがって
海のなかに 山うつる

3)造られた ものすべて
世の人も 賛美せよ
こずえ高く 鳴く鳥の
歌よひびけ 山こえて

4)主をほめよ わが心
そのみ名に ほまれあれ
主のみわざの 偉大さを
声のかぎり ほめうたえ

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2024年2月4日の聖書日課

(写真:マガモ)

ヤコブ1:2-5
 1:2 わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。
 1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
 1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
 1:5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)