2023/12/17

2023年12月17日の聖書日課

(写真:ベゴニヤ)

詩篇19:7-14
 19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、
主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、
主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
 19:9 主を恐れる道は清らかで、
とこしえに絶えることがなく、
主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
 19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、
また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
 19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。
これらを守れば、大いなる報いがある。
 19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。
どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
 19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、
故意の罪を犯させず、
これに支配されることのないようにしてください。
そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、
大いなるとがを免れることができるでしょう。
 19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、
どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが
あなたの前に喜ばれますように。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/10

2023年12月10日3分メッセージ

2023年12月10日3分メッセージ 賛美歌:讃美歌21・241「きたりたまえわれらの主よ」
聖書:ヨハネ5:33-39

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネ5章39節)

 クリスマスは、イエス・キリストがこの世の救い主として来られたことを祝うお祭りです(ヨハネ1章29節)。キリストが公に姿を現す前に、バプテスマのヨハネがキリストの先駆者として現れました(ヨハネ1章15節)。そして、ヨハネはキリストについて「このかたこそ神の子である」と証言しました(ヨハネ1章34節)。
 キリストはヨハネについて「彼は真理についてあかしをした」と言い、自らに対するヨハネの証言を受け入れました(ヨハネ5章33節)。それに続いて「あなたがたが救われるためである」とも言われました(ヨハネ5章34節)。つまり、キリストが来られた目的は私たち、世界の人々を救うためであるということです。
 キリスト教は聖書を神の御言葉として受け止め、礼拝の中で説教が行われ、すなわち聖書の言葉が語られます。それらの言葉が、神の救いを明らかにしているのです。ヨハネの語った証言も同じく、神の救いについて証言した言葉でした。
 それだけでなく、キリストは様々な救いについての証言が人類に与えられていることを示しています。それは、キリストを通してなされた救いのわざです(ヨハネ5章36節)。また、神ご自身が証言をされるとも語られました(ヨハネ5章37節)。そして、これらの言葉や出来事は共通してキリストについて証言しているとも語られました(ヨハネ5章39節)。
 クリスマスの出来事についても、このキリストの教えによって味わってください。つまり、クリスマスの飾りや音楽、様々な形で表されているのは、キリストという救い主がお生まれになったということを伝えるためにあります。「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカ2章11節)今年も幸いなクリスマスが訪れますように。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。暗闇の最も深い季節に、喜びのおとずれが近づいてきました。今年もクリスマスを楽しみつつ、その伝えるメッセージを確かに受け止めることができますように。どうぞ私たちの世界にキリストの平和が訪れますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/09

2023年12月10日の聖書日課

(写真:シンジュノキ)

ヨハネ5:33-39
 5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人をつかわしたが、そのとき彼は真理についてあかしをした。
 5:34 わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
 5:35 ヨハネは燃えて輝くあかりであった。あなたがたは、しばらくの間その光を喜び楽しもうとした。
 5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。
 5:37 また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。
 5:38 また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。
 5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・241「きたりたまえわれらの主よ」

1)きたりたまえ われらの主よ
主を待ち続ける民に
恵みの主よ 今くだり
この世の暗きをやぶり
とわの光 あたえたまえ
来りたまえ われらの主よ
主を待ち続ける民に

2)なげきの地は 主の愛うけ
希望の光はのぼる
われらの救いのために
しもべの姿をとりて
まぶねの中 眠るみ子よ
なげきの地は 主の愛うけ
希望の光はのぼる

3)響けよ天に あまねく地に
喜びあふれる知らせ
天使の賛美にこたえ
歌え つくられし者は
主をたたえる祝いの歌
響けよ天に あまねく地に
喜びあふれる知らせ

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/12/03

2023年12月3日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・230「起きよと呼ぶ声」
聖書:ローマ11:17-24

しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。(ローマ11章23節)

 ローマ書11章では、つぎ木のたとえ話が語られています。
 つぎ木は、古代から現代に至るまで用いられ続けている園芸技術です。その目的は、優秀な花や実を増やすため、あるいは病気に強い性質を持たせるため、それぞれの目的に合った台木と穂木を接ぎ合わせることです。
 聖書の神は、腕の良い園芸家にたとえられています。つぎ木そのものは、教会とそれにつながるクリスチャンを示しています。さらに注意すべきことは、つぎ木の台木は何のたとえかということです。
 台木は教会の全体ではありません。また古くから教会を支えているクリスチャン、あるいは先代の教会の伝統を形作ってきた人々も台木ではありません。彼らは私たちと同じく、つぎ木された枝に当たります。もし私たちも不信仰な歩みをするなら、「不信仰のゆえに切り去られ」ると聖書は警告しています(ローマ11章20節)。
 台木はイエス・キリストご自身を意味します。「あなた(穂木)が根(台木)をささえているのではなく、根があなたをささえているのである」(ローマ11章18節)と教えられています。キリストご自身はぶどうの木にたとえてこう言っています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15章5節)
 クリスマスの良い機会に、キリスト教の教える救いの恵みを改めて味わってまいりましょう。教会が伝えるクリスマスのメッセージは、天地万物を養う神の恵みを伝えています。神の豊かな慈愛は私たちに向けられています(ローマ11章22節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。今年もクリスマスのメッセージは世界中で語り告げられています。その神の慈愛のメッセージを、私たちも真摯に、また素直に受け取ることができますように。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/12/02

2023年12月3日の聖書日課

(写真:キンカチャ)

ローマ11:17-24
 11:17 しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
 11:18 あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。
 11:19 すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。
 11:20 まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。
 11:21 もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。
 11:22 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。
 11:23 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。
 11:24 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・230「起きよと呼ぶ声」

1)起きよと呼ぶ声 目覚めよエルサレム
物見ら叫びて 闇夜をつらぬき
響き渡る声よ そなえよ乙女ら
いざともしび 高くかかげ ハレルヤ
花婿むかえよ 祝いのうたげに

2)目覚めし乙女ら 喜びてそなえぬ
物見らの声に 栄えにかがやく
花婿なる主イエス 今こそ来ましぬ
人となりし 神のみ子よ ホサナ
聖なるうたげに 喜びあずからん

3)グロリアとたたえよ 御使いらと共に
竪琴かなでて 主の御座めぐりて
つどう聖徒たちと 歌声あわせて
いまだ知らぬ この喜び ハレルヤ
われらも歌もて ほめたたえよ アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について