2023/10/29

2023年10月29日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・361「この世はみな」
聖書:詩篇104:19-24

主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。
あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。
(詩篇104篇24節)

 日常生活の忙しさの中から、ふと自然に目を移すと、何が見えてくるでしょうか。そこには人間が手を加える以上に整った自然の美しさが見えてくるのではないでしょうか。
 現代日本の日常生活では、なかなか人間の手が加えられていない、ありのままの自然の姿を見ることは難しいかもしれません。しかし、道端の雑草の群れの中にも、人間が意図していなかったような小さな、かつ複雑な自然の調和を見出すこともできます。人間の手によってかき乱されたとしても、そこにもかけがえのない命の営みが息づいています(詩篇104篇14節)。
 目を高く、遠くに移してみると、人間が行きつこうと願ってもなかなか実現できない、天体の輝きが広がっています(詩篇104篇19節)。しかも、それらの星々の輝きが、私たちの住むこの地上の生活にも大きく影響を及ぼしています。このような自然の営みを見上げる時、私たちは多くのことを悟らされるのではないでしょうか。
 それは、この世界は人間によって支配されているのではないこと。人間が支配しようとしても、人間の支配に関わらず営まれる命の世界があること。そして私たち人類の命は、大きな世界の中で支配されており、また育まれていること。この世界は無秩序ではなく、大きな力によって支える秩序が存在すること、などです。
 聖書は、私たちが生きる世界を広く見渡し、そこに神の存在と神の知恵による営みのわざを見出しています。それが私たちにとって、ごく自然な物の見方ではないでしょうか。そのような神の大きな力に支えられて私たちの命が育まれています。聖書の神が計られることは悪ではなく、善です。神が私たちを正しく導いておられることを喜びとし、ともに神をほめたたえましょう(詩篇104篇33~35節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちが住む人間の社会は混乱に満ちています。しかし、私たちの世界は無秩序ではなく、秩序によって支配され、その中で私たちの命が存在しています。どうぞ秩序を乱そうとする私たちの罪をお赦しくださり、神が定めた秩序の中で憩うことができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/28

2023年10月29日の聖書日課

(写真:セイタカアワダチソウ)

詩篇104:19-24
 104:19 あなたは月を造って季節を定められた。
日はその入る時を知っている。
 104:20 あなたは暗やみを造って夜とされた。
その時、林の獣は皆忍び出る。
 104:21 若きししはほえてえさを求め、神に食物を求める。
 104:22 日が出ると退いて、その穴に寝る。
 104:23 人は出てわざにつき、その勤労は夕べに及ぶ。
 104:24 主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。
あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・361「この世はみな」

1)この世はみな 神の世界
天地(あめつち)すべてが 歌い交わす
岩も木々も 空も海も
み神のみわざを ほめたたえる

2)この世はみな 神の世界
鳥の音(ね)花の香(か) 主をたたえる
朝日 夕日 空に映えて
み神のみわざを 語り告げる

3)この世はみな 神の世界
悪魔の力が 世に満ちても
わが心に 迷いはなし
主こそがこの世を 治められる

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/22

2023年10月22日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・463「わが行くみち」
聖書:士師記7:1-8

主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。(士師記7章7節)

 時はイスラエル王国成立前の時代、イスラエル民族をさばきづかさ(士師)と呼ばれる指導者がまとめていた時代です(士師記2章16節)。さばきづかさのギデオンが、東方の異民族であるミデヤン人のイスラエル侵入(士師記6章33節)に対抗して、イスラエル人を戦いのため招集しました。
 ギデオンは、聖書の神から救いの証拠を求めましたが(士師記6章36~40節)、それよりも三万人を超えるイスラエル人の群れを見て安心したかもしれません。しかし、神はギデオンの心とイスラエルの人々をふるいにかけました。イスラエル人は戦いを恐れたために、また戦いの心備えがないために家に帰され、残ったのはたったの三百人でした(士師記7章2~6節)。
 ギデオンは三万人を超える戦士を自分の目で見て安心しましたが(士師記21章25節)、そのほとんどは戦いにふさわしくない者であり、実に頼りないものを見て安心していたことになります。しかし、神は「三百人をもって救う」と約束されました。これが神の方法であり、神が手渡そうとされる救いなのでした。「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)
 この出来事の後、ギデオンは数多くの戦いに勝利しました。ギデオンは元々小心な者でしたが、神はこのギデオンを召し出して、人手によらない神の御手による救いをイスラエル人に与えられたのでした。聖書は私たちにも語りかけます。「大勇士よ、主はあなたと共におられます」(士師記6章12節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々、様々な意味での戦いに臨まなければなりません。不安にかられることも多くあります。しかし、恐れるべきでないものを見て恐れず、真に恐れるべきものを見て恐れる、確かな目を持たせてください。「救いは神を恐れる者に近い」という御言葉の通りになりますように(詩篇86篇9節)。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/21

2023年10月22日の聖書日課

(写真:イイギリ)

士師記7:1-8
 7:1 さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き、ハロデの泉のほとりに陣を取った。ミデアンびとの陣は彼らの北の方にあり、モレの丘に沿って谷の中にあった。
 7:2 主はギデオンに言われた、「あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえにわたしは彼らの手にミデアンびとをわたさない。おそらくイスラエルはわたしに向かってみずから誇り、『わたしは自身の手で自分を救ったのだ』と言うであろう。
 7:3 それゆえ、民の耳に触れ示して、『だれでも恐れおののく者は帰れ』と言いなさい」。こうしてギデオンは彼らを試みたので、民のうち帰った者は二万二千人あり、残った者は一万人であった。
 7:4 主はまたギデオンに言われた、「民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい。わたしはそこで、あなたのために彼らを試みよう。わたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行くべきだ』と言う者は、あなたと共に行くべきである。またわたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行ってはならない』と言う者は、だれも行ってはならない」。
 7:5 そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、「すべて犬のなめるように舌をもって水をなめる者はそれを別にしておきなさい。またすべてひざを折り、かがんで水を飲む者もそうしなさい」。
 7:6 そして手を口にあてて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみなひざを折り、かがんで水を飲んだ。
 7:7 主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。残りの民はおのおのその家に帰らせなさい」。
 7:8 そこで彼はかの三百人を留めおき、残りのイスラエルびとの手から、つぼとラッパを取り、民をおのおのその天幕に帰らせた。時にミデアンびとの陣は下の谷の中にあった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・463「わが行くみち」

1)わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)
そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん ひとすじに

2)わが心よ 強くあれ
ひとは変わり 世はうつれど
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)

3)あらうみも うちひらき
すなはらにも マナをふらせ
主はみこころ なしたまわん
(くりかえし)

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/15

2023年10月15日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・577「聞けよ主の民」
聖書:ルカ17:20-30

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。(ルカ17章20-21節)

 イエス・キリストは「神の国」について繰り返し教えています。神の国は、悪を追い出す神の力を伴うものだ、とも教えられました(ルカ11章19節)。
 そのキリストの教えに対して挑むように、パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねました(ルカ17章20節)。この質問は何もおかしくはないように思えるかもしれません。しかし、キリストはその質問の根本が間違っていることを指摘します。すなわち、神の国とはこの地上の国とは異なっており(ヨハネ18章36節)、人間ではなく神が支配する国であり、人間が旅をして訪れたり、軍隊を派遣して支配できるようなものではない、と教えられました。
 しかし、キリストは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。この言葉は、神の国が人の心の中だけに存在するということではなく、人々の間に、人間生活の身近なところに神の国が来ている、ということを意味します。それゆえ、キリストは度々「神の国はあなたがたに近づいた」(ルカ10章9節)と語られました。
 キリストは、とある律法学者が適切な答をしたのに驚き、「あなたは神の国から遠くない」と語られました(マルコ12章28~34節)。その言葉を聞いて満足するべきではありません。キリストは、神の国の近くにではなく、神の国の内に入るように私たちを招いているからです。「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」とキリストは語られました(ルカ6章20節)。
 キリストは神の国の祝福に与らせたいと、私たちを招いてこのように語られています。「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章20節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはキリストの多くの御言葉から、神の国に入ることの幸いを教えられています。私たちも神の国の祝福に与ることができますように。神の国の近くではなく、神の国の内におらせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)