2023/07/23

2023年7月23日の聖書日課

(写真:ヤブミョウガ)

ピリピ4:1-3
 4:1 だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。
 4:2 わたしはユウオデヤに勧め、またスントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい。
 4:3 ついては、真実な協力者よ。あなたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、「いのちの書」に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/16

2023年7月16日の聖書日課

(写真:モミジアオイ)

ガラテヤ6:1-10
 6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
 6:2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
 6:3 もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。
 6:4 ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
 6:5 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
 6:6 御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
 6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
 6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
 6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
 6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/09

2023年7月9日の聖書日課

(写真:セイヨウニンジンボク)

ルカ7:11-17
 7:11 そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。
 7:12 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。
 7:13 主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。
 7:14 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。
 7:15 すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。
 7:16 人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神をほめたたえた。
 7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤ全土およびその附近のいたる所にひろまった。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/02

2023年7月2日の聖書日課

(写真:クルクマ)

 詩篇22:25-31
 22:25 大いなる会衆の中で、
わたしのさんびはあなたから出るのです。
わたしは主を恐れる者の前で、
わたしの誓いを果します。
 22:26 貧しい者は食べて飽くことができ、
主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。
どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
 22:27 地のはての者はみな思い出して、主に帰り、
もろもろの国のやからはみな、
み前に伏し拝むでしょう。
 22:28 国は主のものであって、
主はもろもろの国民を統べ治められます。
 22:29 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、
ちりに下る者も、
おのれを生きながらえさせえない者も、
みなそのみ前にひざまずくでしょう。
 22:30 子々孫々、主に仕え、
人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、
 22:31 主がなされたその救を
後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/25

2023年6月25日3分メッセージ



 使徒8章30節、31節をお読みします。
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。

 私たちは必ずしもすべての事を自分で決めて毎日生活しているわけではありません。他人が決めたことを行い、他人からの依頼に従って行動することも多くあります。それだけでなく、私たちは人知を超えた神の計らいによって日々の行動が導かれていることがあります。私たちには偶然と思われることも、神の目には必然であり、この世の出来事は無意味なことは一つもありません(テモテ第一4章4節)。
 しかし、私たち人間には神のように全知全能ではありません。キリストの弟子であるピリポも、荒れはてた道を行けと主の使に命じられ、不思議に思いながらも従いました。その道でピリポにとっては偶然、エチオピヤ人の高官に出会ったのでした(使徒8章26~28節)。
 このエチオピヤ人の高官はエルサレムの神殿で礼拝を捧げて本国に帰る途中でした。信仰をもって聖書のイザヤ書(53章7~8節)を読んでいたのでしたが、その書の意味するところがわからなかったのでした。そこにピリポと出会い、聖書の教えを請うたのでした。ピリポにとってはこの聖書が示しているイエス・キリストを伝える良い機会となりました(使徒8章32~35節)。
 当時のイスラエル人は入信の儀式としてバプテスマ、別名で洗礼式を行っていました。ピリポの教えを理解し、受け入れたエチオピア人の高官は、自らピリポにバプテスマを授けてもらえるようお願いしました。彼らにとっては偶然の出会いから始まった出来事でしたが、この出会いをさいわいとして、キリストへの信仰を確立することができたのでした(使徒8章36~39節)。
 神にとって偶然はありません。私たちも神の導きを信じ、万事を益としてくださる神に信頼して日々を歩むなら(ローマ8章28節)、未知の出来事であったとしても確信をもって前進することができます。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ」(詩篇37篇5節)てくださいます。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちの日々の歩みは、時として思いがけない出来事に恐れ惑うことがあります。しかし、神には偶然はありません。すべてを導き、万事を益とされる神に従ってまいります。どうぞ導きに従う私たちの歩みを確かなものとしてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年6月25日の聖書日課

(写真:カシワバアジサイ)

使徒8:30-38
 8:30 そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
 8:31 彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
 8:32 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。
 8:33 彼は、いやしめられて、
そのさばきも行われなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには」。
 8:34 宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
 8:35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
 8:36 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
 8:38 そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/06/18

2023年6月18日3分メッセージ



 申命記8章16節をお読みします。
先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

 申命記は、神がイスラエル人に与えると約束された地を目前としながら、モーセがイスラエル人たちに告げた言葉です(申命記1章1節)。モーセがイスラエル人を率いてエジプトから出発して、四十年が過ぎました(申命記8章2節)。その間にイスラエル人の世代は新しくなり、エジプトを出発した当初の出来事を知らない人々がほとんどとなりました。そこで、約束の地に入る人々のため、モーセはこれまでの神の教えを再び告げ知らせのでした(申命記31章13節)。
 今まで受けた神の教えを伝えるとともに、モーセは約束の地に入った後の将来の出来事についても教えました。それは、今まで荒野で苦しい旅を続けてきたが、約束の地に住み着いた後に、今まで経験したこともないような安定した生活を味わい、そして過去の苦しみと共に神の教えをも忘れてしまう危険があることです(申命記8章11~14節)。
 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが人間の性です。しかし、苦しかった記憶と共に大事な教えを忘れるなと、モーセは私たちにも語り掛けています。そして、苦難の出来事を忘れるな、それは私たちがさいわいに至るための試練であった、と言っているのです。聖書の神は、私たちを神の子として訓練するために、人生の試練に会うことを良しとされます(申命記8章5節)。
 聖書は私たちにこのように教え諭しています。「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」(テモテ第一4章4節)私たちの人生の旅路を支え、導いて下さる神に従ってまいりましょう。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは、過去の嫌な出来事を忘れ、将来の不安から目を背ける癖があります。しかし、過去の出来事を思い出しつつ、将来に向かって注意深く前進せよと、聖書は私たちに教えています。その教えに励まされ、私たちは前進したいと思います。どうぞ私たちの人生の旅路を導き、天からの祝福に与らせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)