2024/06/30

2024年6月30日の聖書日課

(シモツケ)

使徒9:36-42
 9:36 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。
 9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。
 9:38 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。
 9:39 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。
 9:40 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。
 9:41 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。
 9:42 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/27

聖書の教理~(12)罪の起源

 聖書はすべての人が「ことごとく罪の下にある」(ローマ3:9)と言っています。この「罪」という言葉、罪が示す内容について、多くの人にとって受け入れがたいものであるようです。

 ある人は「罪というものは存在しない」と言います。しかし、様々なことを経験した結果、「わたしは…罪を犯しました」と告白する人もいます(ルカ15:21)。

 ある人は「罪は避けられないものだ」と言います。しかし、聖書は「祝福とのろいをあなたの前に置いた」と言い、のろいを招くことになる罪を避けよと命じています(申命記30:19)。

 ある人は「罪は人にとって自然なことである」と言います。そのような人々に対し、「彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪とい」うと言って戒めています(イザヤ5:20)。

 ある人は「罪は妄想である」と言います。しかし、聖書は「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た」と言い、ある人は罪の罪深さを悟るようになることを示しています(イザヤ9:2)。

 創世記3章は、人が罪を犯すようになったきっかけについて多くの示唆を与えています。人は神の命令に背いて罪を犯すように誘惑され(創世記3:1-6)、罪を犯した結果、罪責感が芽生え(創世記3:7-13)、罪を犯した人は神にさばかれて有罪とされます(創世記3:14-19)。しかし、神は罪を犯した人をあわれんで裸を覆われました(創世記3:21)。

 イエス・キリストの救いの最大のものは、罪からの救いです。「彼(イエス・キリスト)は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う」(マタイ1:21)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/23

2024年6月23日(日) 献堂70周年記念礼拝


 今年は志村教会が舟渡の地に建てられて70年の記念の年です。コロナ禍後、久しぶりに外部講師としてお越しいただいたのは、山形神召キリスト教会の布施宣義先生です。布施先生は今から20年前、献堂50周年の際に派遣神学生として志村教会に来られていました。多くの志村教会員にとっても懐かしいひと時となり、新たな思いで「前へ進む」時となりました。

2024年6月23日の聖書日課

(ナツツバキ)

ヨブ42:1-5
 42:1 そこでヨブは主に答えて言った、
 42:2 「わたしは知ります、
あなたはすべての事をなすことができ、
またいかなるおぼしめしでも、
あなたにできないことはないことを。
 42:3 『無知をもって神の計りごとをおおう
この者はだれか』。
それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、
みずから知らない、測り難い事を述べました。
 42:4 『聞け、わたしは語ろう、
わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
 42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、
今はわたしの目であなたを拝見いたします。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/20

聖書の教理~(11)人間の要素

 人間の要素にはいくつかの見方があります。それぞれの要素に分類することができるかもしれませんが、人間として生きるためにはすべての要素が不可欠であり、不要な要素であるとして切り捨てることはできません。

 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)人間が死を迎えると、人間の要素はそれぞれの出所に帰っていきます。「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(伝道12:7)

 聖書の神は、人間のすべての要素を含んだ、全人格的な祝福を賜ります。「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って…下さるように。」(テサロニケ第一5:23)それとともに、それぞれの要素を大事に取り扱うように教えています。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言4:23)

 私たちの体は死を経て必ず滅びます。神は人間に体が必要であることをご存じであり、新しい体を用意しておられます(コリント第一15:35-58)。「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。」(コロサイ3:9-10)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/16

2024年6月16日の聖書日課

(ブルーベリー)

ヘブル12:22-29
 12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
 12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
 12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
 12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
 12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
 12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
 12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
 12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2024/06/13

聖書の教理~(10)人間の性質

 聖書は人間の起源が神によることを語っています。神は、天地創造にあたって人間を「神のかたち」にかたどって創造し、地を治めさせました(創世記1:26-28)。人間には神の特別な愛顧と祝福がありました。

 しかし、人間は神の定めに背いて罪を犯し、神の園エデンから追放されてしまいました(創世記3章)。その時から、人間の本質的な性質である「神のかたち」がゆがめられてしまいました。

 良心(テモテ第一1:5)が汚れた良心(テトス1:15)に、知恵(ダニエル2:21)が腐った知恵(詩篇14:1)に、永遠の生命(ダニエル12:2)が束の間の生命(ハバクク2:10)に、獣を支配する者(創世記1:28)が獣にひとしく(詩篇49:20)なってしまいました。人間は自らの罪により、神の性質である「神のかたち」を損ない、失ってしまいました。

 イエス・キリストによる救いのわざの一つが、私たちの「神のかたち」を回復させることです。「彼(キリスト)は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ3:21)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)