2024/06/27

聖書の教理~(12)罪の起源

 聖書はすべての人が「ことごとく罪の下にある」(ローマ3:9)と言っています。この「罪」という言葉、罪が示す内容について、多くの人にとって受け入れがたいものであるようです。

 ある人は「罪というものは存在しない」と言います。しかし、様々なことを経験した結果、「わたしは…罪を犯しました」と告白する人もいます(ルカ15:21)。

 ある人は「罪は避けられないものだ」と言います。しかし、聖書は「祝福とのろいをあなたの前に置いた」と言い、のろいを招くことになる罪を避けよと命じています(申命記30:19)。

 ある人は「罪は人にとって自然なことである」と言います。そのような人々に対し、「彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪とい」うと言って戒めています(イザヤ5:20)。

 ある人は「罪は妄想である」と言います。しかし、聖書は「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た」と言い、ある人は罪の罪深さを悟るようになることを示しています(イザヤ9:2)。

 創世記3章は、人が罪を犯すようになったきっかけについて多くの示唆を与えています。人は神の命令に背いて罪を犯すように誘惑され(創世記3:1-6)、罪を犯した結果、罪責感が芽生え(創世記3:7-13)、罪を犯した人は神にさばかれて有罪とされます(創世記3:14-19)。しかし、神は罪を犯した人をあわれんで裸を覆われました(創世記3:21)。

 イエス・キリストの救いの最大のものは、罪からの救いです。「彼(イエス・キリスト)は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う」(マタイ1:21)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/23

2024年6月23日(日) 献堂70周年記念礼拝


 今年は志村教会が舟渡の地に建てられて70年の記念の年です。コロナ禍後、久しぶりに外部講師としてお越しいただいたのは、山形神召キリスト教会の布施宣義先生です。布施先生は今から20年前、献堂50周年の際に派遣神学生として志村教会に来られていました。多くの志村教会員にとっても懐かしいひと時となり、新たな思いで「前へ進む」時となりました。

2024/06/20

聖書の教理~(11)人間の要素

 人間の要素にはいくつかの見方があります。それぞれの要素に分類することができるかもしれませんが、人間として生きるためにはすべての要素が不可欠であり、不要な要素であるとして切り捨てることはできません。

 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)人間が死を迎えると、人間の要素はそれぞれの出所に帰っていきます。「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(伝道12:7)

 聖書の神は、人間のすべての要素を含んだ、全人格的な祝福を賜ります。「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って…下さるように。」(テサロニケ第一5:23)それとともに、それぞれの要素を大事に取り扱うように教えています。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言4:23)

 私たちの体は死を経て必ず滅びます。神は人間に体が必要であることをご存じであり、新しい体を用意しておられます(コリント第一15:35-58)。「あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。」(コロサイ3:9-10)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/13

聖書の教理~(10)人間の性質

 聖書は人間の起源が神によることを語っています。神は、天地創造にあたって人間を「神のかたち」にかたどって創造し、地を治めさせました(創世記1:26-28)。人間には神の特別な愛顧と祝福がありました。

 しかし、人間は神の定めに背いて罪を犯し、神の園エデンから追放されてしまいました(創世記3章)。その時から、人間の本質的な性質である「神のかたち」がゆがめられてしまいました。

 良心(テモテ第一1:5)が汚れた良心(テトス1:15)に、知恵(ダニエル2:21)が腐った知恵(詩篇14:1)に、永遠の生命(ダニエル12:2)が束の間の生命(ハバクク2:10)に、獣を支配する者(創世記1:28)が獣にひとしく(詩篇49:20)なってしまいました。人間は自らの罪により、神の性質である「神のかたち」を損ない、失ってしまいました。

 イエス・キリストによる救いのわざの一つが、私たちの「神のかたち」を回復させることです。「彼(キリスト)は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ3:21)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/06/06

聖書の教理~(9)悪魔

 悪魔について、聖書は明確に示している個所もありますが、悪魔を示唆していると思われるような個所もあります。しかし、不明確な聖書の言葉については慎重に取り扱うべきです。例えば、「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。」(イザヤ14:12)という言葉は、悪魔を示しているとは断言できません。

 悪魔についても、聖書は様々な呼び名によってその性質を示しています。例)サタン(敵対者、ヨブ1~2章)、アバドン、アポルオン(破壊者、黙示録9:11)、試みる者(マタイ4:1-11)、この世の神(コリント第二4:4)。

 悪魔はその呼び名、その活動に示されている通り、神と神に従う者たちに反抗することが本分です(テサロニケ第一2:18)。神への反抗のためなら、正義に擬装することも行います(コリント第二11:13-15)。しかし、悪魔の最後は滅亡であることが定められています(黙示録20章)。

 悪魔は決して恐れるに足りません。なぜなら、神がわたしたちの味方となってくださるからです(ローマ8:31)。キリストはこのように宣言しています。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)。

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)

2024/05/30

聖書の教理~(8)天使

 聖書は、神や人とは異なる存在として天使に言及しています。天使について詳しく説明している聖書の言葉は多くありません。天使を神格化して礼拝することは禁じられています(コロサイ2:18)。「わたしは彼(天使)の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、『そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。…」(黙示録19:10)

 聖書に示されている天使の性質は、明らかに人間と異なり、人間よりはるかに優れています(ルカ20:36)。しかし、キリストに従う存在であることは、この世のクリスチャンと共通しています(ペテロ第一3:22)。神のしもべとして、天使は従順であり(詩篇103:20)、敬虔であり(ネヘミヤ9:6)、賢明であり(サムエル下14:17)、聖なる存在です(黙示録14:10)。

 天使はクリスチャンに仕えるために、神の命で天よりつかわされました(ヘブル1:14)。私たちは天使の奉仕への姿勢から学べることがあるはずです。「感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。」(ヘブル12:28)

参考資料:
日本聖書協会「聖書 口語訳」1955年版
マイヤー・パールマン「聖書の教理(上)」福音出版社(1981年)