2023/10/15

2023年10月15日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・577「聞けよ主の民」
聖書:ルカ17:20-30

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。(ルカ17章20-21節)

 イエス・キリストは「神の国」について繰り返し教えています。神の国は、悪を追い出す神の力を伴うものだ、とも教えられました(ルカ11章19節)。
 そのキリストの教えに対して挑むように、パリサイ人が「神の国はいつ来るのか」と尋ねました(ルカ17章20節)。この質問は何もおかしくはないように思えるかもしれません。しかし、キリストはその質問の根本が間違っていることを指摘します。すなわち、神の国とはこの地上の国とは異なっており(ヨハネ18章36節)、人間ではなく神が支配する国であり、人間が旅をして訪れたり、軍隊を派遣して支配できるようなものではない、と教えられました。
 しかし、キリストは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。この言葉は、神の国が人の心の中だけに存在するということではなく、人々の間に、人間生活の身近なところに神の国が来ている、ということを意味します。それゆえ、キリストは度々「神の国はあなたがたに近づいた」(ルカ10章9節)と語られました。
 キリストは、とある律法学者が適切な答をしたのに驚き、「あなたは神の国から遠くない」と語られました(マルコ12章28~34節)。その言葉を聞いて満足するべきではありません。キリストは、神の国の近くにではなく、神の国の内に入るように私たちを招いているからです。「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」とキリストは語られました(ルカ6章20節)。
 キリストは神の国の祝福に与らせたいと、私たちを招いてこのように語られています。「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章20節)

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちはキリストの多くの御言葉から、神の国に入ることの幸いを教えられています。私たちも神の国の祝福に与ることができますように。神の国の近くではなく、神の国の内におらせてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/14

2023年10月15日の聖書日課

(写真:イワレンゲ)

ルカ17:20-30
 17:20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
 17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
 17:22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
 17:23 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
 17:24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
 17:25 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
 17:26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
 17:27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 17:28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
 17:29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
 17:30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・577「聞けよ主の民」

1)聞けよ主の民 ヨベルの歌が
高潮のように 満ちてくるのを

2)歌えハレルヤ 全能の神が
この世を治める その日は近い

3)仰げ主の旗 勝利のしるし
地の上すべては 主の国となる

4)天地くずれて 消え去る時も
キリストの国は とわに栄える

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/08

2023年10月8日3分メッセージ

賛美歌:讃美歌21・560「主イエスにおいては」
聖書:ピレモン4-10節

むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、(ピレモン9節)

 「ピレモンへの手紙」は、聖書の中でも特に短い書物であり、わずか一章しかありません。しかし、短い文章の中に多くの内容が含まれています。
 この手紙は、使徒パウロからピレモンに宛てたものです(1節)。ピレモンは、パウロのような世界を旅する宣教師ではありませんでしたが、自らの家を教会として開放し(2節)、様々な形でパウロたちの福音宣教に協力する「同労者」でした。
 この手紙が書かれた目的は「オネシモ」(10節)に関わることでした。オネシモという名前は「有益な者」という意味があります(11節)。まるで物を扱うような言い方ですが、実際のところオネシモは主人ピレモンの家から逃げ出した奴隷でした(15~19節)。
 聖書は、戦争や奴隷制などの社会の矛盾についても言及しています。しかし、それらを無条件に肯定も否定もしていません。むしろその当時の現実の社会に生きる人々に向かい、理想の社会を実現するための指針を示しています。実際、パウロたちの時代に多くの奴隷たちがクリスチャンとなっていました(コリント第一12章13節)。
 パウロは、奴隷は主人に従うべきであると教えています(テモテ第一6章1節)。一方でピレモンへの手紙では、オネシモを奴隷の身分から解放することをお願いしています。しかし、ピレモンの主人としての権利を無視することをせず、その主人の権利によって奴隷解放することを勧めるのがこの手紙の目的です(ピレモン14節)。その結末がどうなったかはわかりませんが、私たちの手元にこの手紙が残されていることが結末を語っているかもしれません。
 「愛は多くの罪をおおう」と教えられています(ペテロ第一4章8節)。人間の世界から罪を取り除き、本当の人間関係を結ぶことのできる神の愛に学んでまいりましょう(コロサイ3章14節)。

 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは、様々な矛盾に満ちたこの世界に生きています。この世界に生きる私たちの切なる祈りを聞き届けてください。私たちに天からの愛と知恵を注いで、私たちが希望をもってこの世界で生きることができますように。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/10/07

2023年10月8日の聖書日課

(写真:コケモモ)

ピレモン4-10節
 :4 わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。
 :5 それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。
 :6 どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。
 :7兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。
 :8 こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、
 :9 むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、
 :10 捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

讃美歌21・560「主イエスにおいては」

1)主イエスにおいては 世界の民
東と西の へだてはない

2)主イエスの救いは 力強く
南と北とを 結び合わす

3)人を差別せず 心ひらき
等しくみ神の み前に立とう

4)主イエスにおいては 世界の民
心を通わせ 一つとなる

アーメン

出典:日本キリスト教団出版局『讃美歌21』(インターネット配信について

2023/10/01

2023年10月1日3分メッセージ

賛美:讃美歌21・63「天にいます父よ」
聖書:ルカ16:19-31

もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう(ルカ16章31節)

 イエス・キリストは金銭と結婚の問題(ルカ16章13~18節)について、一つのたとえ話をしました。この二つの問題は、昔も今も変わらず私たち人類に悩みをもたらすものです。
 この二つの問題の要点は同じであり、それは契約を正しく守るということです。契約が守られているならば、金銭も結婚も問題になることはありません。しかし、私たちはしばしば自らの「欲」(ルカ16章14節)に打ち負かされてしまい、欲に引きずられて契約を破ってしまいます。多くの問題はこの契約を破るということから生じます。
 キリストは「金持と貧乏人ラザロのたとえ話」をされました。二人は生前、全く関わりなくそれぞれ生きてきたように思えます。しかし、実際にはラザロは金持の玄関にすわっており(ルカ16章20節)、死後の苦しみの中で金持はラザロを遣わしてくれと願っています(ルカ16章24節)。つまり、金持はラザロのことを知っていながら、彼に何も恵んでやることはなかったのです。
 人の欲望というものは、その人を活性化させるのではなく、むしろ心を無感覚にさせるものです。「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブ1章15節)と言われています。しかし、神は私たちを「罪のもたらす死」から救い出すため、御言葉を与えてくださいました。真の命に至るため、聞く耳をもって御言葉を聞きましょう(ルカ14章35節)。
 キリストの御言葉に聞き従いましょう。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」(ルカ21章33節)
 ご一緒にお祈りいたしましょう。
 天の父なる神様。私たちは日々、自分の望むままに行動し、自らの欲望を制することを忘れてしまいがちです。しかし、欲に惑わされて真実から目を背けることになりませんように。あなたの御言葉は真理であります(ヨハネ17章17節)。どうぞ御言葉をもって私たちを教え、正しい道へと導いてください。
 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)