2026/03/01

「献堂45周年記念文集」(1999年)より

今日まで守られ 長屋ふさゑ

 志村教会創立四十五周年記念に際して、四十五年前の私はどうだったのかと考えてみました。受洗後三年位たった時です。友人たちと夢中になってイエス様のことを語り合い、異言の聖霊を頂き、霊肉共に満たされ、家族に隠れても教会にいきました。「恐れるな、我なり」これは信仰の恩師、菊地隆之介先生が私に書いてくださった聖書の御言葉です。

 四十五年前のアッセンブリー教団は今と同じように、聖霊の風が吹きまくっていたと思います。志村教会もそのすばらしい御霊の渦の中で建てられたのだと思うと嬉しくなります。

 先回アッセンブリー教団創立五十周年聖会の折、私の友人が五十年間信仰を忠実に貫いた人として表彰されました。志村教会にも後二、三年でこの彰状がもらえる、山田イネ、金子なつ子姉などがおられます。とにかく四十五年以上も忠実な歩みが出来たと言うことは、人知では計り知ることの出来ない神の祝福があったからだと思います。私は牧師と共に彼女たちの信仰が守られるために陰ながら祈らせて頂きました。また、私たちのためにも彼女たちは良き祈り手です。私たちが喜ぶ以上に主は「忠実な僕」として喜ばれることでしょう。

 「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら主のために死ぬのです。ですから生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ十四・八)

 「私は主のものです。」この御言葉は、最近の私の告白です。アーメン。私は主イエスの聖名によって救われました。ですから主の聖名によって何でもできます。霊の戦いの中に毎日主イエス・キリストへの信仰を告白し、あの若き献身に燃えた恐いものなしの時をなつかしく思うと同時に、今生かされている中で、主がどの様にさらに用いて下さるのだろうかと、胸おどらせつつ、毎日主のお働きを期待いたします。

 年老いた今からどこ迄献身を続けさせて頂けるのか分かりませんが、召して下さったのは主ですから、なお現役で頑張らせて頂きたいと願っています。唯やがて、主の前に申しひらきする時がくるのは確かです。主より「我、汝を知らず」と言われないように地上の戦いを最後まで戦っていきたいものです。

 今日まで守られしことと又いつも私のためにも祈りの手を上げてくださる信徒の皆様方に感謝しております。その中に私を主の道に誘って下さった小学校以来の竹馬のとも竹田みよ子姉妹が加えられていることの不思議な主のお取り計らいを深く主に感謝します。また多くの天国にある当教会故人の顔もなつかしく、やがて会い見る日を楽しみに、この世の旅路を全うしたいものです。

 多くの方々の長年にわたる祈りのつまれた教会とその聖徒たちの上に主の祝福があるように祈ります

※献堂四五周年記念文集(1999年6月13日発行)