2023/08/20

2023年8月20日の聖書日課

(写真:サンゴバナ)

第一コリント1:18-25
 1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
 1:19 すなわち、聖書に、
「わたしは知者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしいものにする」
と書いてある。
 1:20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
 1:21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
 1:22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
 1:23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
 1:24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
 1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/13

主の祈り(2)御名をあがめさせたまえ

御名があがめられますように。(マタイ6章9節)

 主の祈りは、「天にましますわれらの父よ」と呼びかけた後、「ねがわくは」と言って祈りの本題に入ります。
 様々な祈りと願いに先立って、神の御名があがめられ、賛美されるように祈れと、キリストは教えられました。このことは、教会の礼拝が賛美に始まり、賛美に終わることにも相通ずることです。礼拝に集う人々の思惑はそれぞれ違っていたとしても、礼拝では言葉と心を一つにして神を賛美することを必須なものとしています。
 教会で歌われる賛美歌は、神を賛美し、ほめたたえるための歌です。その賛美によって、礼拝されるべき神が天地を創造された、偉大な父なる神であることを告白します。祈りはその偉大な神に向かってささげられるものです(ローマ1章25節)。
 しかし、神によって創造された被造物である私たちは、どんなに立派に賛美歌を歌ったとしても、天地創造の神に相応しい賛美を捧げる資格や能力があるということにはなりません(ネヘミヤ9章5節)。しかし、キリストは神を賛美しなさい、と私たちに励ましています。なぜなら、神は拙い私たちの口に、神を賛美するにふさわしい賛美をも与えてくださるからです(マタイ21章16節)。
 「御名があがめられますように」という祈りの言葉は、神の御名を賛美できるのは私たち人間の能力によらないことを教えています。神の御名は、神ご自身だけがふさわしく高めることができることなのです。しかし、その神だけができることを、私たちは祈り求めることが許されています。まして、その後に続く私たちの願い事は、全能の神にとって不可能なことは何一つありません(マルコ11章22~24節)。感謝して祈り続けましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023年8月13日の聖書日課

(写真:ガガブタ)

詩篇99篇
 99:1 主は王となられた。
もろもろの民はおののけ。
主はケルビムの上に座せられる。
地は震えよ。
 99:2 主はシオンにおられて大いなる神、
主はもろもろの民の上に高くいらせられる。
 99:3 彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名を
ほめたたえるであろう。
主は聖でいらせられる。
 99:4 大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは
堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。
 99:5 われらの神、主をあがめ、
その足台のもとで拝みまつれ。
主は聖でいらせられる。
 99:6 その祭司の中にモーセとアロンとがあった。
そのみ名を呼ぶ者の中にサムエルもあった。
彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。
 99:7 主は雲の柱のうちで彼らに語られた。
彼らはそのあかしと、
彼らに賜わった定めとを守った。
 99:8 われらの神、主よ、あなたは彼らに答えられた。
あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、
悪を行う者には報復された。
 99:9 われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。
われらの神、主は聖でいらせられるからである。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/07

主の祈り(1)天のわれらの父よ

天にいますわれらの父よ、(マタイ6章9節)

 イエス・キリストは弟子たちに対し、度々「主の祈り」を教えられました(マタイ6章9~13節、ルカ11章1~4節)。この祈りの言葉は、今日に至るまで世界中のクリスチャンが祈り続け、また教会でも祈り継がれてきたものです。主の祈りは、それぞれの時代の言葉に翻訳されて祈られてきました。日本語でもいくつかの翻訳の形がありますが、私たちはそれらの様々な祈りの形に共通している、主の祈りの心を学びたいと思います。
 キリスト教は、中東の聖書の民であるイスラエル人から生まれました。イスラエル人は聖書の言葉を通して彼らの信仰の営みについて、祈りについて学び、実践していました。キリストが教えられた祈りは、イスラエル人にとっても驚くべき新しいものでした。しかし、実はキリストは彼らの知っていたはずの古い聖書の教えを、新しく教えられたのでした。
 祈りを捧げる相手である聖書の神は、古くから教えられている通り「天と地とを創造された」(創世記1章1節)神です。祈り手である私たち人間は地に住むものであり、神は人の及びもつかない天に住まわれます。天は、私たちが宇宙に飛び出しても、どんなに遠くを観測しようとしても、決して探り出すことのできない世界です。しかし、天地の創造者である神は、天だけではなく私たちの世界である地にも及ぶことのできる方です(申命記30章12節)。
 しかし、キリストは私たちに「天にいます」方に向けて祈れと教えられました。しかも、「父よ」と呼びかけよ、とも教えられました。聖書の民であるイスラエル人にとって、天にいます神を「父」と呼ぶ祈りは考えられないことでした。そのことを、キリストははっきりと言葉で教えられただけでなく、自らの祈りの姿で弟子たちに示されました(マルコ14章36節)。
 キリストは祈りの言葉を授けるだけではなく、天地創造の偉大な神を父と呼んで、親しく祈りを捧げることのできる関係に招いてくださいました。私たちはキリストに御名により、「神の子」として祈ることが許されています(ヨハネ1章12節)。父なる神に感謝しつつ、気兼ねなく私たちの言葉で祈りを捧げましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/08/06

2023年8月6日の聖書日課

(写真:ナツズイセン)

マタイ5:43-48
 5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
 5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
 5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
 5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
 5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
 5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

2023/07/30

2023年7月16日(日) オンライン・イスラエルツアー


 2023年の4月・5月・7月と、第三日曜日の午後に教会教育部ホームページ「こひつじ」に掲載されている「体感!イスラエルツアー」の動画を視聴しました。コロナ禍になり、オンラインによる良い学びの機会が増えたことは感謝です。動画を視聴しつつ、コロナ後の教会の在り方を考える機会ともなりました。

2023年7月30日の聖書日課

(写真:ウツボグサ)

第一列王記19:1-8
 19:1 アハブはエリヤのしたすべての事、また彼がすべての預言者を刀で殺したことをイゼベルに告げたので、
 19:2 イゼベルは使者をエリヤにつかわして言った、「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々のひとりの命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰してくださるように」。
 19:3 そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、
 19:4 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。
 19:5 彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、
 19:6 起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。
 19:7 主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。
 19:8 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)