イザヤ65:13-1865:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。65:15 あなたがたの残す名はわが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。65:16 それゆえ、地にあっておのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。65:18 しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。
主なる神が「わがしもべは食べ、あなたがたは飢える」と言われます(:13)。神の祝福に与る神のしもべと対比されている「あなたがた」とは誰でしょうか。それは聖書の神である「主を捨て」(イザヤ65:11)て、他の神々に仕える者です。事もあろうに、それは神によって選ばれたイスラエルの民そのものです。「見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。…ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。」(イザヤ59:1)
神の選民が当然神の祝福に与るのではありません。しかし、神の祝福は神の選民のために用意されています。祝福は神の招きに応じ、神に従う者に与えられます。「自分の思いに従うそむける民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。」(イザヤ65:2)
神の御旨に従う新しい民に、神は「新しい天と、新しい地」(:17)を用意してくださいます。「すべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」(伝道3:13)
(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)